愛する魂の冒険者たちへ

 

 

 

 

明日から秋のお彼岸期間に入ります。

 

目に見えない世界との境目が薄くなる時期とも言われています。

 

 

 

 

この記事は、

 

ちょっとスピリチュアル度高めなので

 

関心がない方はスルーしてくださいね。

 

 

 

 

西田の父はすでにあちらの世界へ帰っていますが、

 

生きている間は

 

唯物論者と言うか、

 

「死んだらそれで終わり」という考え方で

 

たましいの存在を信じていない、と言っていました。

 

 

 

 

ところが、旅立つ直前になって

 

僕がベッドの横にいる時に

 

「びっくりするようなこと」を話し出したのです。

 

魂的なお話でした。

 

 

 

(一族の歴史についての話も含んでいました。

 

奇想天外すぎてブログには書けません)

 

 

 

 

あの不思議な気持ちを思い出すと、

 

そうか、、、

 

父も演じていただけなのかな、という感覚を感じます。

 

 

 

 

 

 

 

 

この世界は

 

本当に神芝居のようなもので、

 

すべての人が、

 

持ち場持ち場で、

 

魂の進化成長のための体験を繰り返しているらしい、

 

そのための役割を演じているらしい、

 

と言う話があるんですよね。

 

 

 

 

 

 

 

 

ヒプノセラピーは欧米で医学的に効果が認められている

 

心理療法ですが、、、

 

 

 

前世療法といって

 

いわゆる過去生の記憶にアプローチする方法もあったりします。

 

 

 

前世療法で

 

自分の過去生の記憶や、

 

場合によっては未来の記憶を思い出す、ということも可能だったりします。

 

 

 

 

 

西田は 

 

自分が江戸時代の飛脚だったり、

 

ネイティブアメリカンのシャーマンだったり、

 

古代ヨーロッパの大工だったり、

 

小国の軍人だったり、

 

南米のギャングだったり、

 

イギリスの貿易商だったり

 

いろんな時代、

 

いろんな国で

 

生きて死ぬ体験を繰り返していたのを

 

思い出しました。

 

 

 

 

そうした過去生で、

 

パートナーの田宮陽子さんや、

 

自分の父、母、兄、

 

子供たちと言った

 

自分の家族と、

 

何回も何回も配役を変えて

 

ドラマを体験していることも思い出しました。

 

 

 

 

 

また、中間生(いわゆるあの世)での意識状態も思い出し、、、

 

 

 

そうだったのか、

 

全てが魂の成長のために起きていることなんだ、

 

この繰り返している悲喜こもごものドラマは…

 

魂の進化成長のプロセスなんだと

 

体験を通じて理解させていただいたのでした。

 

 

 

 

その最中にいると

 

苦しかったり悲しかったり

 

飛び上がるほど嬉しかったりもする

 

生き死にのドラマは

 

いったい何のために起きているのか。

 

 

 

 

これも小さい頃からの疑問だったのですが、

 

 

 

 

どうやら、

 

「大いなる源の光」にかえっていく旅路の中を

 

みんなが生きている。

 

生かしていただいている。

 

 

 

*ここでいう光は、光と闇の二元論の光ではなく、

 

大いなる源の光です。

 

その光が自分だった。みんなだった。

 

 

 

(自分が亡くなったとわかったときは

 

光のほうへ進むことが大切になるようです)

 

 

 

 

不思議なことですが

 

「自分の本質」を意識し始めると、

 

途端に、いまここで生きるのが

 

楽になるということがあります。

 

 

 

 

生きづらさ、

 

なにかを置き去りにしているような感覚、

 

記憶喪失になったような感覚が消えていきます。

 

 

 

 

そして、、、

 

なぜあのこと・このことが今回の人生で起きたのかな、

 

あの人やこの人や、目の前の人がなぜ

 

「その配役」を演じてくれているのかな、、、

 

といったことが

 

なんとなくわかってくることがあるのですね。

 

 

 

 

 

 

これからは、これまで無意識とされていた部分を

 

なんとなく、

 

あるいははっきりと意識化して

 

本来のパワーを発揮できるようになっていく、

 

ますますそうなっていくような気がします。

 

 

 

 

もしピンときたら以下のようなコトダマも使ってみてください。

 

 

 

 

 

 

神様、なぜ私のたましいにこの体験を与えてくださったのですか?

 

私が、どのようにあることが神様はうれしいですか?

 

 

 

 

 

なんとなくわかってくるから不思議なものです😁

 

 

 

*この場合の「神様」とは、

 

自分の内神様だったり、

 

森羅万象の源だったり、

 

その両方だったりと、

 

設定を変えてみると

 

感触が変わったりして、それも面白いと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

それでは明日も素晴らしい朝をお迎えくださいね。

 

今日も命にありがとうございます。

西田普

にしだあまね