愛する魂の冒険者たちへ

 

 

 

 

八ヶ岳の原村に滞在しておりまして、

 

今日は聖なる山に

 

少し登ってまいりました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

いささかヘトヘトで、

 

運動不足と、

 

鍛え直す必要を感じていますが

 

さわやかでもあります。

 

 

 

 

昨年、この地で

 

ヒプノセラピー(催眠療法。人間の潜在意識にアプローチできる心理療法)の講座に参加しまして、

 

思い出したことがあるんですよね。

 

 

 

それは、、、

 

私たちは、いつのまにか、

 

自分の人生で

 

「恐怖の物語」を再生していることがある、

 

ということです。

 

 

 

 

 

 

それは、自作自演で、仕組んでいるのかもしれません。

 

自分で再生をストップできる、

 

という話を

 

あらためて

 

載せさせていただきますね。

 

 

 

〜〜

 

ある夜、おそろしく

 

暗い手記を、、、

 

漆黒の闇夜をさまようような人物の、心情を吐露した手記を

 

ついつい、

 

読んでしまいました。

 

 

 

うーん、引き込まれます。

 

 

 

西田のなんですけどね。笑

 

 

 

 

gmailの整理をしてたら出てきて、

 

ついつい読んでしまいましたよね。眠いのに。

 

病気や別離や、

 

その時の、職場や仕事のことで

 

「鬼クソ悩んでる」心のうちがしたためてありました。笑

 

(もう10年ほど前のものになります)

 

 

 

 

 

 

悲しみ、怒り、不安、、、

 

その時は本当にしんどかったです。

 

 

 

 

ところがですね、、、

 

読んでると

 

なぜだか不思議と

 

「生きている歓び」みたいな

 

暗い情熱が伝わってくるんです、不思議と笑笑

 

 

 

 

悩んでることで、一生懸命、

 

生きてることの充実感を感じているような、

 

あのねじれた感じ。。。

 

まあ確かに、せいいっぱいやってきた。

 

 

 

 

それで、何年も経った今

 

別の宇宙にきた感じで、

 

知らない間に、

 

生きたまま生まれ変わったのかもしれない、

 

という感覚を味わいました。

 

 

 

 

で、あるとき、

 

スロージョギングしていた時のこと。

 

隣では、パートナーの田宮陽子さんが、

 

新しく買ったスポーツサンダルを履いて、

 

 

 

 

「このサンダル、とてもよくできていて・・・

 

あ、もうアジサイがたくさん咲いている」

 

などと言ってニコニコしながら走っています。

 

 

 

 

それで、その時に、僕が何を考えていたか。

 

隠さずに書きますと、

 

「今は、付き合い始めだし、仲がいいから、

 

こうして一緒に、朝、楽しく走ったりできるんだ。

 

ありがたいことだ。

 

でも、時間が経って、だんだん、

 

関係性も変化していったとしたら、

 

一緒に走ったりすることも、

 

いつかなくなっていくんだろうか・・・

 

いつか、この日は思い出となり去っていき、

 

笑顔の彼女も、去っていくんだろうか・・・」

 

 

 

 

明るい日差し、

 

海からの爽やかな風、

 

海辺の公園では、縁日がたち、若者たちがテントを立てています。

 

 

 

そのまぶしい光に照らされて、

 

暗い物語が浮かび上がったのです。

 

我ながらネガティブだなあと思います。

 

カルマか!?はたまた、そういうのが趣味なのか!?

 

 

 

 

 

その時は、そのままスルーしていたのですが、

 

その後、ヨガのポーズで、背中を伸ばしたり、わきを伸ばしたり、

 

ひざの裏を伸ばしたりしていたら、

 

突然、ハッと、

 

気づきが浮上してきました。

 

 

 

 

 

「ああ、さっきのは、僕が勝手に、過去の

 

恐怖の物語を、心の中で再生していただけだったんだ。

 

恐怖の物語は、気づいたらストップできるんだ。

 

過去と、今は、関係ない。

 

失敗の物語、別離の物語、失意の物語、

 

そんな物語はもう嫌だ。

 

自分の選択で、新しい物語に変えられるんだ」

 

 

 

 

 

 

ほんとうに

 

人間は、意外と「恐怖の物語」が好き、というか、

 

「見てみようかな」みたいなところがあるんですよね。

 

 

 

そして実は

 

「恐怖の物語」を見ることで「なにか得ているものがある」。

 

「恐怖の物語」を見ることで「やらないで済ませていることがある」。

 

 

という可能性があるようです。

 

 

 

 

 

それを自分も、頭ではわかっていましたが、

 

ハラにおちた感じだったのです。

 

 

 

 

 

命のバトンをつないで、つないで、

 

しぶとく生き延びるために

 

恐怖の物語が、逆に必要だった時もあるかもしれません。

 

 

 

 

それでも、もう、

 

「恐怖の物語」の再生は終わりにしよう。

 

もう飽きちゃったから。

 

 

 

 

 

全ては尊い経験ですが

 

いつでも、

 

自分が本当に望む物語を

 

スタートできるようになっているようなんですよね。

 

 

 

 

 

〜〜〜

 

 

 

このことは、何度も何度も、

 

自分に言い聞かせる必要があることなのかもしれない、

 

と感じています。

 

 

 

おそらく今、この春はまた、

 

自分の体験する人生を決め直すチャンスなので、

 

 

 

 

たとえば

 

「自作自演の恐怖映画はもう終わり。はちゃめちゃコメディにします」

 

とかとか、きっぱり口にしてみると、

 

なにかが変わるかもしれません。

 

(セリフはご自身のアレンジで!😁)

 

 

 

 

 

 

それではひきつづき素敵なゆうべをおすごしくださいね。

 

今日も命にありがとうございます。

西田普

にしだあまね

 

 

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