愛する魂の冒険者たちへ

 

 

 

 

あるとき

 

春の木立の中を歩いていましたら

 

「あっても幸せ、なくても幸せ」

 

ということを

 

周りの存在が伝えてきました。

 

 

 

 

ちょうど、花が咲いていまして、綺麗でしたよね。

 

 

 

 

この花たちはやがて枯れることでしょう。

 

やがて別の花が咲きます。

 

自然はそうなっています。

 

 

 

 

「あっても幸せ、なくても幸せ」って、おっしゃっいますが。

 

 

 

お花さん、それじゃあ聞くけど

 

自分があっても 自分がなくても 幸せだって言うの?

 

 

 

 

 

うーんそうなの。教えてくれてありがとね。

 

 

 

 

 

思えばいろんなことが

 

生まれては消えていった日々でした。

 

 

 

 

 

 

ある・ないに注目せず

 

「あっても幸せ、なくても幸せ」

 

そう決めていたら

 

 

 

 

 

やせがまんではなしに

 

折り合いがつくことが増えそうです。

 

 

 

 

 

 

 

大自然の声(?)か、

 

内神様の声か、わかりませんが

 

時々、無茶振りのように思えるメッセージが来るものです・・・

 

 

 

 

 

「あっても幸せ、なくても幸せ」

 

 

 

 

花よ木々よ、今生、僕は、お坊さんではないのですが・・・

 

 

 

 

 

でも

 

家族のことでいろいろあった時期、

 

ちょうどいい具合に

 

この言葉で助けていただきました。

 

 

 

 

 

 

 

「あっても幸せ、なくても幸せ」

 

宇宙の流れに委ねます。

 

 

 

 

 

 

そんなことを思いながら歩いていたら

 

澄んだ太陽さんが背後におられました。

 

雲が湧き上がるように流れていました。

 

 

 

 


すべてはよくなるようにできている、

 

すべてはよくなるために起きている、

 

という本源の意識につながることが大切なのかな。

 

 

 

 

やっぱりそうなのかな。

 

っと感じましたよね。

 

(すると、本当にそうなっていくようです)

 

 

 

 

 

 

 

今日もありがとうございました。

 

快適な夜を、そして、

 

どなた様も素晴らしい朝をお迎えくださいますように。

 

 

 

今日も命にありがとうございます。

西田普

にしだあまね