愛する魂の冒険者たちへ

 

 

 

 

 

 

最近改めてハマっているのが

 

「三年番茶」をおいしくいれて飲むことです。

 

 

 

 

 

 

茶葉を大きなヤカンに入れまして、

 

水から火にかけていきます。

 

 

 

 

 

茶漉しがついてると便利!

 

 

 

 

 

沖ヨガの達人、

 

佐藤松義先生の只見ヨガ道場で

 

ヨガ自然生活をしている最中には、

 

朝、目を覚ましたら、

 

ヤカンに水を入れて、

 

三年番茶を入れるのが

 

2ヶ月間の日課でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

水を入れたやかん、、、

 

火にかけてお湯を沸かします。

 

 

 

火は「か」

 

水は「み」

 

 

火と水で「かみ」

 

 

 

 

 

大自然という神様の中には

 

異なる性質のものが存在しています。

 

 

 

 

全部を大きく包んでくださっています(^^)

 

 

 

 

 

異物とか邪魔だと感じられるものも

 

カメラを引いてみてみると

 

自然の大循環のなかで

 

計り知れないけれど、

 

なにかを果たしてくださっているのかもしれません。

 

 

 

 

 

 

・・・そんなことを感じながら

 

三年番茶を飲むと

 

香ばしく深いうまみがからだに広がります。

 

 

 

 

 

 

 

私たちの内側にも神様がいる、

 

という考え方があります。

 

「うちがみ様」、内神様、とか、

 

神様の分け御霊(わけみたま)なんていいますね。

 

 

 

包み込む力が私たちの内側には確かにあるようです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

内側にあり、

 

またあらゆるところに満ちている、

 

「命こそが神様」という価値観もあります。

 

ヨガでもそう考えると教わりました。

 

 

 

 

 

 

 

「生命即神」(せいめいそくかみ)という哲学です。

 

 

=====

 

「生命即神」について

 

人間は一人一人がかけがえのない尊い存在であり、

 

人生はたった1度の尊い人生ですから、

 

人間として本当の生き方をしていれば、

 

今日の一日、

 

今の一瞬がいかに尊いものであるかを感じ取ることができます。

 

この本当の生き方をするためには、

 

「私たちにとって一番大切なものとは何か」を悟り、

 

その大切なものを最も大切にする生き方を、

 

生活の中で実行していかなければなりません。

 

一番大切なものとは、

 

それがなければ一切のものは存在し得ない根本的なもの、

 

すなわち生命のことです。

 

私たちは、生命そのものの存在です。

 

生命によって生み出され、

 

生かされて生きている存在です。

 

このことを理解できたときに、

 

生命ある総てのものに尊さを見ることができ、

 

そこに神の働きが存在することが理解できるのです。

 

生命すなわち神は、

 

私たちに備わっている能力が最高に発揮できる状態の時、

 

最もよろこんで下さいます。

 

よろこびを得るためには、

 

人間として自然で無理のない生き方をすること、

 

すなわち条件心を除いて、

 

とらわれない心で他に自己を捧げる生き方をすることです。

 

また、心身に適応力をつけ、

 

積極的な生き方を心がける。

 

この生命の法則に沿った真実の生き方が、

 

よろこびにつながる生き方なのです。

 

(沖道ヨガ生活行持集より)

 

=====

 

 

 

目で追うだけでなく、

 

音読してみると、

 

命の深いところに響くのがわかります。

 

 

 

 

 

この「生命即神」という哲学を実践、体現していく道が、

 

沖ヨガです。

 

 

 

 

道場での

 

2か月間のヨガ自然生活は、

 

この「生命即神」を深々と実感する時間でした。

 

 

 


 

 

 

 

そういえば、、、

 

ヨガ生活中はよく、

 

山のなかを歩いていたのですが、

 

ある日、

 

風にゆれる森の高い木の先端を見ていたら突然

 

「私たちもだよ。

 

私たちもあなたたちを見ているよ。

 

知っているよ」

 

という声が、木々から聞こえてきた気がしました。

 

 

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この森の木々からの声、、、だけでなく

 

地上すべての森に生きる木からのコダマという気がして

 

こころ打たれました。

 

 

 

 

いいえ木だけでなく

 

全生物、全存在からの語りかけという気がして

 

 

 

 

しかも今だけではなく

 

過去・未来からも響いてきた気もしました。

 

 

 

みなさん本当にありがとうございます。

 

 

 

 

ご縁のあった人たちのなかにも、

 

木々の葉先にも根っこにも

 

コケにも、

 

コケむす岩にも

 

なにかとんでもないくらい、

 

有り難いものが潜んでいるんだ、

 

 

 

 

そのうえ、それは自分の内側にもあるのが確かで

 

お互いそうらしい、

 

ただただ有り難い、と打ち震えつつ、

 

寒くなって 温泉に向かったのでした。

 

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「生命即神」

 

 

 

 

その神様は、源の神様と直結しています。

 

 

 

 

 

 

今、その神様の意思に従って、

 

神様が喜ぶように、

 

生きていくことがとっても大事になっていくようです。

 

 

 

 

 

命には、「嘘をつかない、間違わない」という、

 

素晴らしい仕組みが備わっていると

 

教わりました。

 

 

 

 

というのは、誰でも、命が喜ぶ時には、

 

「気分が良くなる」

 

「脈拍・呼吸が整っていく」

 

という「働き」が備わっている・・・

 

というのです。

 

 

 

 

 

 

もしも悩みや、

 

困ったことがあって、

 

出口がわからなくなったなら、、、

 

 

 

 

 

 

 

自分の命の働きにゆだねて、

 

 

「気分が良くなること」

 

「脈拍・呼吸が整っていくこと」

 

 

これを少しでも

 

自分に与えていく許可を

 

自分に出してあげるといいのかもしれません。

 

(人それぞれあるんですよね。

 

タイミングによっても違います)

 

 

 

 

 

 

 

 

命が喜べば、その日はいい日になります。

 

それが続けば、いい毎日になります。いい人生に。

 

 

 

 

 

 

・・・なんてことを思いながら

 

いま三年番茶をすすっているのでした。

 

 

 

 

 

 

 

それでは引き続き快適な夜をおすごしくださいね。

 

今日も命にありがとうございます。

西田普

にしだあまね