愛する魂の冒険者たちへ

 

 

 

 

 

先ほどまで、オンラインセミナーでした。

 

 

 

 

僕らがご提供しているコンテンツの中でも、

 

かなりスピリチュアルなテーマだったのですが、、、

 

 

 

見逃し配信も含めますと

 

1000名以上のかたにご参加いただき、

 

強烈なエネルギーが生まれ、、、

 

 

 

 

笑いあり、涙あり、

 

言い尽くせぬような広がりと

 

深さの感じられる時間になりました。

 

 

 

おひとりおひとりに、

 

心からありがとうございます。

 

 

 

 

まだ正直、自分もぼーっとしています。

 

 

 

 

感動冷めやらぬ中、

 

田宮さんと一緒に

 

カレーを食べたりお味噌汁をいただいたりして・・・

 

 

 

 

ご参加いただいた方からいただいた

 

素晴らしいご感想を拝読し、

 

また感動と感謝でいっぱいになりました。

 

明日以降、またご紹介いたしますね。

 

 

 

 

永劫の時間のなかで

 

今日のこのとき、イベントを共同創造してくださったあなたに、

 

運営を担当してくれた我妻悠さんに、

 

パートナーの田宮陽子さんに、

 

 

 

 

この会の開催を支えてくださったすべての存在に、

 

心から感謝いたします。

 

 

 

 

*見逃し配信を期間限定で配信いたします

 

田宮陽子&西田普オンラインセミナー

「この自分を選んで生まれてきた理由」を思い出す会
~「生まれ変わりの秘密」を知ると、運命が大好転!~

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〜〜〜

 

 

 

 

 

今の時代を選んで生まれてきた私たちは

 

人生で

 

「自分らしさを極めていく」という

 

テーマに取り組んでいることが多いようなんですが、

 

 

 

同時に、

 

「家族」

 

「愛する人との関係」

 

「無条件の愛」

 

といったテーマを見つめ直し、

 

 

 

 

すべてに感謝し、

 

浄化して行く、、、

 

 

 

 

古いやり方・あり方を手放して

 

新しいやり方・あり方に変容して行く・・・

 

 

 

といったことも「お題」に入っている気がします。

 

 

 

 

いくつかの転生を思い出して感じることには

 

生まれ変わる意味の中に

 

「愛を学ぶ」ということが

 

どうも入っているようなんです。

 

 

 

 

で・・・

 

「本来の自分のあり方に戻って行く」と

 

奇跡のようなことが立て続けに起きてきます。

 

気づきます。

 

 


 

それは、何かとんでもない現象が起きる、

 

というよりは

 

(そういう奇跡もあるとは思いますが)

 

多くの場合、日常の中に現れます。

 

 

 

 

 

 

 

楽しい時間や

 

笑顔を分かち合ったり、

 

嘆きや涙を共有したり、

 

悩んでいる時には、

 

黙ってそばにいるとか、、、

 

 

 

 

料理をふるまったり、食べたりする。

 

 

 

 

自分が大好きなことを分かち合ったり、

 

自分が知っているいいことを伝えあったりする。

 

 

 

 

 

 

それは「神芝居」のようなものなのかもしれない。

 

いつかすべてがわかるのかもしれない。

 

そんな気がしてくるときがあります。

 

 

 

 

 

 

トルストイさんというロシアの大文豪の短編に

 

「愛のあるところに神もいる」

 

というステキな物語があるんです。

 

 

 

 

以前にも載せさせていただきましたが、

 

今日の日に

 

再度、ご紹介させていただきますね。

 

 

 

 

すごく、はしょっちゃうと、

 

奥さんと息子に先立たれた、

 

信心深く働き者の、

 

靴屋マルティンさんが

 

 

 

 

「明日は往来を見ていなさい、私が来るから」

 

という不思議な声を聞いて

 

ついにキリストさんに出会う、

 

という物語なんです。

 

 

 

 

 

けれど、

 

キリストさんはキリストさんの姿で現れるわけではありません。

 

 

 

 

物語の中で

 

マルティンさんはその日、

 

 

 

お乳が出ない痩せた若い母親に

 

ご飯を食べさせてあげたり、

 

 

 

りんご一個を盗もうとした男の子を救ってあげたり、、、

 

 

 

 

というように

 

 

 

 

自分の店の前を通りかかった街の人々に

 

精一杯できることを施すのですが、

 

 

 

 

「その日に約束されたキリストさんとの出会い」は、

 

なかったような気がしたまま、

 

帰宅します。

 

 

 

 

 

 

 

ところが、、、物語の最後、

 

 

 

 

 

マルティンさんが優しさを贈った、

 

市井(しせい)の人々が、

 

実は、、、。

 

 

 

 

 

 

 

 

「あれは私なのだ」

 

「あれも私だったのだ」

 

「あれも、私だったのだ」

 

 

 

 

 

と、最後にキリストさんの声で、語るのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

私たちのこの毎日も

 

そんなものなのかもしれません。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私やあなたや、

 

あの人がもう忘れてしまっていたとしても、

 

 

 

 

地球には宇宙には

 

きっと 

 

愛の記憶、愛の気配は

 

消えることなく、豊かに響いてます。

 

 

 

 

眠り込んだあなたに

 

暖かいブランケットをかけてくれたこと。

 

お味噌汁の湯気、

 

炊きたてのご飯の香り。

 

笑いあった時間のすべて。

 

眼差しの一つ一つ。


 

 

 

 

生きている間に体験した全ては

 

叶えられた祈りなのかもしれませんね。

 

 

 

 

 

 

 

あなたは創造主と直結する存在。

 

あなたの全てに感謝します。

 

 

明日も素晴らしい朝がやってくることに心から感謝します。

 

今日も命にありがとうございます。

西田普

にしだあまね