愛する魂の冒険者たちへ

 

 

 

 

 

自分に自信がなかったり、

 

自己否定や罪悪感が強かったりすると、

 

なにか出来事が起きた時、

 

より、しんどい形で、

 

現実を体験することになります。

 

 

 

 

「だめだなあ自分は」って

 

自分を責めますからね。

 

 

 

 

でもそれも

 

必ずしも悪いことじゃないと思います。

 

なんでも、魂の肥やしだから(たぶん)。

 


 

 

 

そういえば

 

僕は物心ついたときから、

 

アレルギー&ぜんそく持ちで

 

すぐ熱出したり、

 

通院・入院したりしてました。

 

 

 

 

死にそうに息が苦しいときも

 

どこかで

 

親に迷惑かけて悪いなあと思っていました。

 

 

 

 

で、

 

 

「自分はからだが弱い、

 

体力がない、

 

だから運動も嫌いだし

 

苦手だ」

 

と思っていました。

 

 

 

 

特にマラソンとか大嫌いだったんです。

 

走ったらゼーゼー苦しいし、

 

場合によってはゲーゲーしちゃうし(笑)

 

いやそのときは、笑いごとじゃなかったです。

 

 

 

情けないし、

 

どうして自分はこうなんだと思うと

 

ゲーゲーしながら

 

目から涙が、腹から力が流れ出していくようでした。

 

 

 

 

それでどんどん「嫌いだ」という気持ちを強化して

 

マラソン大会をさぼったりしてました。

 

(さぼるのは平気だった、、、)

 

 

 

 

ところが今は

 

走るのが大好きなんです。

 

特に、自然の中を走るのは、

 

なんて気持ちいいんだろう~!!!

 

足に羽が生えたようで

 

全身がウキウキします。

 

 

 

 

体力もないわけじゃないとわかったし、

 

運動も、本当は、

 

好きなんだとわかっています。

 

 

 

 

 

どこで変わったのかな?と考えてみると、

 

ひとつには

 

「ぜんそくのおかげ」という観点を

 

自分のなかに持てた瞬間だった気がします。

 

 

 

 

 

というのは

 

 

 

「自分はぜんそくだったから、

 

健康に関心を持つことができた。

 

よく寝込んでたから、

 

本を読む時間が増えて本好きになった。

 

そのおかげで、今の仕事に出会えたし

 

家族や仲間や

 

いろんな人と出会えた」

 

 

というふうにどこかで気が付いたのです。

 

 

 

 

 

まあ、気が付いた、というか

 

「新たな思い込み」を持てたんですね。

 

 

 

 

 

自分にとって、最大の泣き所の一つの

 

ぜんそくが、

 

幸せの種でも、

 

成長の肥やしでもあった。

 

 

 

 

そうしたら、それがすごく、

 

しっくりきました。

 

 

 

 

「ああ、お空の上で仕組んで来たことだったのか」という感じだったのです。

 

 

 

それが本当かどうかはあの世にいったらわかります(笑)

 

でも、この世でも「自分に折り合いがつけられる」と、思うんです。

 

 

 

 

自分で仕組んだことなのかもしれない。

 

そう思ったその時

 

ぜんそくごと、運動ごと、長距離走ごと、

 

なにかが勢いよく、

 

プラスにひっくり返ったのです。

 

 

 

 

 

なんだっていつか肥やしになるし

 

こうやって宇宙のバランスが整っていくんだなあと

 

今は思います。

 

 

 

 

 

 

みことちゃんの物語に時々

 

書かせてもらっていますが

 

 

 

 

神道の価値観からすると、

 

ひとりひとりの中に神様が、大自然が宿っている

 

ということになります。

 

 

 

 

仏教のなかには、

 

みんなに仏性(ぶっしょう)が備わっている

 

という考え方があります。

 

 

 

 

これってすごく自信になりますよね。

 

自分の中に、神や仏の化身が存在する。

 

 

 

 

たしかに私たちはその気になれば、

 

やさしさ、

 

思いやり、

 

分かち合い、

 

感謝、

 

ゆるし、

 

ほほえみ、

 

といった、

 

驚くほどの力を発揮することができます。

 

 

 

 

知恵を身につけて

 

視野を広げて

 

異なる立場から

 

物事を見ることができます。

 

 

 

 

 

自分や他を癒すことができます。

 

 

 

 

 

また、物事に対する「意味づけ」を

 

ゼロリセットして

 

別の信念でとらえなおすことで

 

新たな現実を体験できます。

 

 

 

 

これはとてつもない

 

現実創造の力だと思うのです。

 

 

 

 

 

 

今朝の記事にも書きましたが

 

広島で、

 

尊敬する古神道の神官、

 

和氣正京先生に

 

祖先をおまつりする祖霊祭を取り行っていただきました。

 

その時もあらためて、

 

上記のようなことを感じたのでした。

 

 

 

 

 

 

和氣先生は以下のようなことをおっしゃっています。

 

 

=====

 

 

人生でちょっとしたところから運が下り坂になったとき、

 

未来への希望を失ってしまうかたがいらっしゃいます。

 

そういうかたはご自分が嫌いなのです。

 

自己否定が強すぎて、自己評価がうんと低い。

 

ですから私は

 

「あなたは数え切れないご先祖のDNAを受けて

 

今ここに存在しているのです。

 

あなたの家の最先端にいるのはあなたですよ」とお伝えしています

 

「あなた自身が自己評価を低くするのは、

 

ご先祖に対する冒涜(ぼうとく)ですよ、

 

もっとご先祖とのつながりを考えてください」

 

と伝えると、

 

中にはハッとする人がいます。

 

やはり原点に戻して差し上げることではないでしょうか。

 

私たちの持っている本源的な神性、

 

本源的な魂を活性化させることが、

 

いちばんの救いになると思います。

 

その入り口は、自己評価を高めることです。

 

 

「あなたはこういういいところがある」と、

 

自分も他人も褒めてください。

 

そうすれば、ちょっとずつ自信がついてきます。

 

私はそのようにさせていただいています。

 

 

 

=====

 

 

 

ちなみにですが、

 

感じすぎて落ち込みがちな癖のある人は

 

その深く感じる力を「表現活動」の方に振り向けるというか、

 

そっち方面に活かすといいんですよね。

 

 

そういう人は、表現活動をしても

 

落ち込むことがあります(笑)

 

消えるわけじゃありません。

 

 

でも、充実感がある。

 

 

 

それに

 

ああ、これで良かったのだろうか、

 

もっとよく書けたんじゃなかろうかってくよくよするのも、

 

変形した自信というか、

 

ちょっと変態的な向上心なんだとも思います。

 

 

 

 

「そこでやめてしまう人が多い。

 

やめないで続けることが大事だと思う」と

 

パートナーの田宮さんからお告げをもらったりもしています。

 

(同じような癖のある方、ご参考までに)

 

 

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今日も命にありがとうございます。

 

西田普

にしだあまね