四十肩とか五十肩っていうけれど、
そんなことってあるのかな、って思ってました。
ところが昨年のある時から、
腕の角度によっては、
目の玉が漫画みたいに飛び出るほど痛くなったんです。
これは、自分の魂が経験している出来事の一つなんだなって、気づきました。
この人生で体験したかった。
なんのためかというと、
ちゃんと、体という、天と地からお借りしているこの宝物を
もっと大切にするように、と。。。
肩さんが教えてくれました。
で、おかげさまで、数ヶ月ほどかかったんですが
すっかり治りました。
あんなに痛かったのが嘘のようです。
体の痛みをきっかけに、
心の方を見て、
「思いグセ」とか「こだわり」を外していったのが、
この場合、よかったのかな、と感じています。
心が変わると、行動や生活習慣が変わりますもんね。
よく言われることですが、
自分の心をみがくと、
「かがみ」のなかにある
「が」=「我」がとれて、
「かみ」が現れるといいます。
「自分の中に神様がいる」。
「他の中に神様がいる」。
神社のご神体が鏡なのはそういう理由なんだと聞いたときは
へえー、なるほど、そうだったのか、と感心しました。
心がスッキリしていると、
この世の自分を客観視できて、
何かを体験した時、
なぜなのか、とか、どうすればいいのか、とか、わかってきます。
自分のためにならない、思いグセやこだわりに気づけて、手放せます。
以前あった出来事も、
「本当は何が起きていたのか」
違う見方が現れることもあります。
内側を磨くと外側も、
内側を磨くほど、誰かや何かが
輝いて輝いて、まぶしくて、
ありがたくなっていくようなんです。
以下に、只見の自然ヨガ生活で、
沖ヨガ・佐藤松義先生(イタリア政府公認沖ヨガ総合自由大学教授)から教えていただいた
「沖道ヨガ生活行持集」にある、
沖正弘先生の「木曜日の誓いの言葉」を
佐藤先生のご許可を得て、紹介させていただきます。
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●心を中心とする誓い
私たちはいろいろな行法と訓練を、
学ばさせていただいております。
それはヨガが、行法哲学(ぎょうほうてつがく)であり、
実践する宗教であるからです。
私たちはすべてのことを、
心を磨き高めるものとして、
学び行じさせていただきます。
(「沖道ヨガ生活行持集」にある、沖正弘先生の言葉)
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これを、山の中の道場で、木曜日の朝に、
力いっぱい唱えました。
*ここでいう「宗教」は、特定のものではなく
「心の大切な教え」という意味とのこと。
不思議なもので、唱えるだけで、
シャッキリ目が覚めました。
ヨガの学びは聞いて学ぶだけじゃなくて
日常生活で実践していくことなんだなあ、、、
生活全部が、
心の鏡のピカピカ度を高めてくださる、
先生なんだなあ、、、
って、明確になったんです。
今も唱えました。
体さん、ありがとう。
肩さん、いつもありがとう・・・!
忘れないようにします。
ピンと来たら試してみてくださいね。
効果はてきめんです。
素敵な6月27日をお過ごしくださいね。
今日も命にありがとうございます。
西田普
にしだあまね