愛する魂の冒険者たちへ

 

 

 

今朝のスロージョギング。

 

材木座海岸から、富士山が望めます。

 

 

 

 

 

 

 

 

遠くに見える伊豆半島。突端は、伊豆下田かな??

 

 

 

佐藤松義先生とともに走ります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その前に、

 

自宅で唱えたのが、「般若心経(はんにゃしんぎょう)」です。

 

 

 

 

只見での自然ヨガ生活でも、楽しみの一つだったのが

 

「般若心経」を朝、起床後に唱えることでした。

 

 

 

ヨガで、般若心経を唱えるっていうのもおもしろいですよね。

 

沖ヨガならではかもしれません。

 

 

 

 

 

般若というのは、パンニャっていう

 

サンスクリット語(大昔の言葉)に漢字をあてたもので、

 

「偉大なる知恵」って意味だということです。

 

 

 

 

 

 

般若心経、

 

唱えていると、理屈では説明がつかないような、

 

心も体も、奥深くから洗われる感覚がして、

 

気持ちよく、一日を始めることができました。

 

 

 

 

 

 

 

鎌倉では只見でやるほど、大きな声では唱えられませんが

 

それでも、ものすごくスッキリします。

 

 

 

 

 

佐藤松義先生によると、沖ヨガの道場では毎朝、

 

般若心経を唱えていたそうです。

 

 

 

 

 

「呼吸法を兼ねて、息が続く限り、

 

ひといきで唱えられるところまで読みます」

 

 

 

 

とのことで、「長息は長生きに通ず」・・・

 

 

 

 

 

毎朝、そのやり方で唱えているうちに、

 

ひといきで読める範囲がちょっとずつ伸びていくのがわかり、

 

それも、やりがいがありました(^^)

 

 

 

 

 

体は、呼吸が深く、長くできるようになることで元気になり、

 

心は、知らず知らずのうちに、

 

般若心経の内容と共鳴したのでしょうね。

 

だからこそのスッキリ感なのだと思います。

 

 

 

 

 

 一生続けたい習慣です(^^)

 

 

 

 

 

これは、「沖道ヨガ生活行持集」に

 

掲載されている、般若心経と、般若心経の意訳。

 

 

 

 

使い込んでいて、ボロボロですみません。

 

 

 

僕にとっての般若心経はこれです。

 

 

 

この中に、「不生不滅(ふしょうふめつ)」つまり

 

「生ずるものはなく、滅するものもない」

 

という、ディープな一節があります。

 

 

 

 

 

毎朝、呼吸法をかねて


般若心経を読経をしているうちに、


この言葉が、からだに染み込んできたんですよね・・・

 

 

 

 

 

肉体をもちながら、


「不生不滅」を深く味わうことができるし、


日々を生きていける。
 

 

 

 

そこには、この世の一つのおもしろさがあると思います。

 

 

 

 

 

「不生不滅」だったらどうなのよって、


自分なりに考えてみると、

 

 

 

 

 

 

 

生じない。滅しない。

 

すべては一つのものの変化なんだから、

 

だったら、

 

自分がほんとうにやりたいことをやるのが自然。


分かち合うのが自然。


困っている人がいたら、助け合うのが自然。


自分がどうにも困ったら、助けを求めるのも自然。


それぞれが自分で立って生きるのが自然。


豊かであるのが自然。

 

 

 

 

 

 

 

だから、

 

なにも心配しなくていいですよ。


貴重な命をいかして、

 

よき教えを実践し、

 

本当にやりたいこと、

 

思いっきりやって生きましょうよ・・・。

 

となります。

 

 

 

 

 

なんだかちょっと、過激ですよね。般若心経。

 

 

 

 

 

 

今日も命にありがとうございます。

西田普

にしだあまね