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愛する魂の冒険者たちへ

 

 


TOKIO山口達也さんの事件で、アルコール依存症について、注目が集まっているようです。

 

彼がそうなのかどうか、ということは僕にはわかりません。事件についてコメントする立場でもありません。


 

 

ただ、アルコール依存症は、患者さん自身も、その家族も苦しめる病気です。

 



患者さんは、全国でおおよそ80万人〜200万人程度いるとされているようです。

 

男性も女性もいます。

しかし、病院で治療を受けている患者さんはわずか数万人程度という状況のようです。

偏見も多い病気です。




念のため最初に書いておくと、僕はお酒自体は好きな方だし、

 

楽しいお酒は大好きです。

もともとお酒に弱いのと、

 

病気になってからの養生で、より健康に気をつけるようになってからは、

あまり飲みませんが、今も、たまに飲みます。

 

お酒は、昔から、神様も飲むものですよね。

 



でも深酒している人を見るのは、正直言って、あまり好きではありません。

なぜかといえば、僕自身も、身近なケースがあって、

アルコール依存症の患者さんと、その家族の苦悩をよく知っているのです。

なので、今回のニュースはとても複雑な気持ちです。



~~~


実は今朝の、本田健さんのメルマガ「はひふへほっとコラム」で、

 

山口達也さんの件について、健さんが書いていたんです。

健さんは、確か「未来は、えらべる!」か、

 

「人生の目的」などのご著書の中に書かれていますし、

 

セミナーなどでもお話しされていますが、

亡くなられたお父様がアルコール依存症だったのです。


僕はその本を、泣きながら読みました。


それで、今朝、本田健さんのメルマガで、

 

アルコール依存症という病気のことが書いてあるのを読んでいて、ハッと気づいたのです。

これは、僕もこのタイミングで、このテーマで書かせていただいた方がいいのかもしれないと。



なので、以下に書きますね。

「自分には関係ない」と思ったらスルーしてください。

また、ブログを読んでしんどい気持ちになりたくない方や

 

頭が痛くなったりしたくない方は、

 

今回は読まないことをお勧めします。



~~~



まず、アルコール依存症の患者さんがいる家族の気持ちを書くと、

その苦悩のサイズと深さは、計り知れません。



家族の中にアルコール依存症の患者さんがいると、


家族は、涙と、怒りと、くやしさと、無力感と、申し訳なさと、

 

絶望の広大な底なし沼で、もがいているようなものなのです。

そこから何とか脱出できたとしても、

 

癒されるべき傷と向き合って行くことになります。





患者さん本人は、日々お酒を飲んで、だんだん、量や飲み方が異常になり、

 

暴れたり、暴言を吐いたり、暴力を振るったりしながら、

体調がどんどん悪くなっていきます。言動や外見も変わります。

まるで別人のようになってしまうのです。

そのうち、満足に働けなくなって、家事も前のようにできなくなります。

 

 

 

 

家庭の経済状態も、悪化して行きます。

仲が良かった家族が壊れていきます。



最初は、アルコール依存症の患者さんは、「絶対に認めたがらない」という特徴があります。

ただお酒が好きなだけだと言い張るのです。

ある時期が来るまで、本人は絶対に認めない。家族も認めたくない。

 

なので「否認の病気」とも言われます。



そして、患者さんは、「お酒をやめさせようとする人を憎む」という特徴があります。

西原理恵子さんの本でも詳しく書かれています。


がんばってお酒をやめさせようとするほど、夫婦仲、家族仲が悪くなります。



それは「そういう病気」なので、

 

アルコール依存症になっている人の

罪ではないし、人格的な問題ではないし、

 

「努力が足りない」ということでもないのです。



でも、家族からすれば、「なぜ?」と感じるし、

家族の中に、愛や信頼がなくなってしまったように感じられます。

「ひょっとして、自分が悪いんだろうか?」

「ただ、お酒が好きなだけで、自分がうるさくいうから、こんなことになるんだろうか?」

「いつか、目を覚ましてくれるのを待てない自分に非があるのか?」

 

などと、家族は、自分を責めたり、罪悪感を感じることもよくあります。




患者さんは、自分の意思ではコントロールできません。

 

子供の誕生日であっても、深酒します。

他の病気と一緒で、「その当日だけ病気をやめる」と言っても、できないのです。

ですから「この日だけは飲まないでほしかった」という家族の願いも届きません。



お互いに、泣いたり、怒ったり、懇願したり、脅したり、あるいは、逃げ出したり、、、

タンスや物置に、お酒の瓶を隠したり、

 

それを探し出して叩き割ったりする、終わらないいたちごっこもあったりします。



本人もつらく苦しいのです。周囲に申し訳ないと思っているでしょう。

 

でも、コントロールできない。

 

病気が進むと、肝臓が壊れて、肝硬変やガンになったり、

脳に異常をきたして、幻覚や幻聴を訴えたりすることもあります。

その過程で、本人だけでなく、

 

多くの場合、家族も、心も体も健康状態を崩してしまいます。

周囲を巻き込む病気なのです。



そうした苦闘の果てに、ようやく、病院に行くようになって、通院したり、

 

入院して、

 

断酒できた!となることもあります。



そんな時は一筋の光が差して、本人と家族に、明るい希望が戻ってきます。



ところが、ふとしたことをきっかけに、一口、飲んでしまう。

一滴でも飲むと逆戻りです。断酒でないとダメなのです。


そしてまた苦闘の日々が始まる、、、



そうなると、本人も、どこかで、これはもうダメだと思ってしまうし、

家族は諦めるだけでなく、いっそのこと死んでくれないか、と願ってしまうことさえある、、、



実は、一度や二度、リバウンドしたとしても、病院に行くのをやめてしまわないことが大事なのです。

あきらめず、治療と断酒を継続して行く必要があるわけです。

他の病気もそうですよね。



以上はどこかであった特殊な例ではなく、

 

アルコール依存症という病気のおおまかな「あらすじ」です。

この病気を治療しないでいると、平均寿命は50歳ほどだと言われています。

臓器不全や、事故などで亡くなることもあるようです。

 




患者さん本人が亡くなった後も、家族に深い傷跡を残します。

 

家族を救えなかったという罪悪感で

 

自分を生涯、痛めつける人もいるかもしれません。


子どもは、「私も将来、どうにかなってしまうんじゃないか」と恐れることもあります。

もちろん、そうじゃない道を選択できるし、

 

どんな傷跡も、必ず癒していくことができます。

 

家族は自分を責めないことが大切になってきます。


 

 

 

これは病気で、「誰が悪い」というようなものではなく、病気なのです。

 

でも、まるでこの世の地獄みたいではありませんか。

 

楽しくお酒を飲んでいたはずなのに。。。

 

こうして書いている僕もしんどくなってきます。




ですが、それよりも、強く言いたいことは、

 

「希望はある」ということです。



それは「本人の決意で変えられる」ということです。

 

「一生、断酒する」ことで、体も心も回復することがわかっています。

 


 

この病気になるのは、周囲の責任でも、本人の責任でもありません。

けれども、治そうと決意して、行動し続けられるのは、究極のところは、本人しかいません。

もう飲まない、もう絶対に嫌だからこの病気を治そう、

 

絶対に断酒する、

 

何としても治りたい、という患者さん本人の決意と行動だけが、決め手になるのです。

 

もう自分を許して、治っていくことを、許可してあげるのですね。
 

 

そこで専門家の継続的な助けが必要です。

調べると、いい病院が各地にあるのが見つかると思います。

代表的な病院の一つは、国立の久里浜医療センターです。

 

http://www.kurihama-med.jp/outpatient/clinic/cl_alcohol.html

 

 

 


理解と知識と経験のあるお医者さんもたくさんおられるでしょうし、

 

薬も、以前は、「お酒を飲むとのたうちまわるように苦しい薬」が処方されていたようですが、

今では、患者さんに苦痛を与えない、いい薬も発明されています。

飲酒欲求そのものを抑える薬だということです。



社会のサポート体制も整ってきています。

各地の「断酒会」や、「家族の会」に参加できます。

 

これも調べると出てきます。

 



この世は広いので、お酒以外に、人生の楽しみはいくらでも探せます。



このしんどい文面をここまで読んでくださって、

 

「自分はそうかも」

「家族がそうかも」とピンときた方がいたら、

本とか、インターネットで調べてみてください。

飲んでいる量や、言動などのチェックリストが載っています。

 

久里浜医療センターのサイトにも出ていました。

http://www.kurihama-med.jp/alcohol/cage.html

 


もし、当てはまるなら、気軽に、専門の病院に足を運んでみてください。

恥ずかしくありません。

 

例えば、転んで骨を折ったら、専門の病院に行きますよね? それと同じです。

専門家の力が絶対に必要です。


 





極論のようですが、病気でいる自由もあるのが、この世のすごさです。

でも、決意さえすれば、何も変えられないことはなくて、

今どんな状況でも、どんな段階からでも、いい方向に向かうことは始められます。

最初の一歩から全ては変わります。

運命は変えられます。

 

周囲にも希望を与えます。

 

どうか自分を大切にしてください。

 

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今日も命にありがとうございます。

西田普

にしだあまね