数年前、作家のアラン・コーエンさんが講演会で、

ある参加者のかたからの質問にこたえて、

「たとえ、人生でどのような困難に出会ったとしても、

あなたのお子さんの魂は、

どんな困難よりも大きいのです。

ですから、そのような存在として、お子さんに接してあげてください」

というような意味のことを、言っていました。

 

それを聴いて、直感的に

「ほんとうにそのとおりだ、

それは真実だ」、

と感じました。

 

 

そのとき同時に、

自分自身に対しても

「あなたの魂は、あなたが出会うどんな困難よりも大きい」

と言ってもらったような気がしたのです。

 

 

この言葉が妙に心に残っていて、

特に、自分の病気のこと、

家族の病気のことで悩み、

「もう自分の力は及ばない、

とうてい及ばない、、、」

そのように思われた時に、

励ましてくれました。

 

 

今朝、散歩中に、

公園の新緑を眺めていたら、

感謝とともに、この言葉が浮かんできて、

あらためてその意味に思いを巡らせました。

 

考えてみるといろんな解釈ができる言葉です。

 

 

「もともとは全てを知る存在である魂が

この世にやってきて、

生身の体と心を持って

今回の自分の人生を体験している。

だから、越えられない困難は

そもそも与えられないのだ」

、、、という考え方もできると思います。

 

極端にいえば

「だから、たとえ死んでも大丈夫」

というような考え方もあるかもしれません(・_・;)

 

 

ただ、そうはいっても、

やはり今回の人生、

ひとつひとつが初めての経験で、

当然、つらい時もあれば、

もう自分にはどうしようもない、

太刀打ちできないと、

心が粉々になるような瞬間が

きっと誰にもあるはずです。

 

 

それでも人が頑張れるのはなぜか。

しぶとく困難に立ち向かえるのはなぜか。

 

人は自分のためだけだったら、

そんなに力は出ないし、

そんなにいつまでも頑張れないと思うのです。

 

でも、愛する人のためになら頑張れる。

家族のためになら、

パートナーのためになら、

わが子の笑顔のためと思えば、もう一度頑張れる。

 

で、そう思う時に、そう思っているのはその人の本心で、

その人の魂の叫びだと思うのです。

 

本当に奥底から、

この人のために

この人たちのために

これをしよう、この困難に立ち向かおうと思うとき、

その人は肉体を超えて、

本来の魂の大きさに近づいているのではないでしょうか。

 

自分1人だけではなくて、隣の人も愛せる。

もっともっと大きなこの世界も愛してる。

それだけの大きさと強さが

本来、誰にもあるのだと言うことを、

心に留めておきたいと思いました。

 

 

だから、Mちゃん、

「あなたの魂は、どんな困難よりも大きい」

 

 

午後も、ふらっと公園へ。

スダチとシークワーサーの鉢を買いました。

初夏に花が咲くようで楽しみです、

実もたくさんみのると書いてあるのですが、どうかな!?

 

感謝したい人の名前、

これからやりたいことをノートにたくさん書きました(^^)

 

そして深呼吸。

ゆっくり回復していくのを感じます。

 

 

 

皆様、明日もすてきな一日をおすごしください。