只見での自然ヨガ生活で、楽しみの一つだったのが

「般若心経」を朝、起床後に唱えることでした。

 

理屈では説明がつかないような、

心も体も、奥深くから洗われる感覚がして、

気持ちよく、一日を始めることができました。

 

東京では、只見でやるほど、大きな声では唱えられませんが

それでも、やると必ずスッキリします。

 

佐藤松義先生によると、沖ヨガの道場では毎朝、

般若心経を唱えていたそうです。

 

「呼吸法を兼ねて、息が続く限り、

ひといきで唱えられるところまで読みます」

とのことで、「長息は長生きに通ず」・・・

 

毎朝、そのやり方で唱えているうちに、

ひといきで読める範囲がちょっとずつ伸びていくのがわかり、

それも、やりがいがありました(^^)

 

体は、呼吸が深く、長くできるようになることで元気になり、

心は、知らず知らずのうちに、

般若心経の内容と共鳴したのでしょうね。

だからこそ、あのスッキリ感なのだと思います。

 

 一生続けたい習慣です(^^)

これは、「沖道ヨガ生活行持集」に

掲載されている、般若心経と、般若心経の意訳。

僕にとっての般若心経はこれです。

 

 

「知行合一」

 

 

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さて、ゆほびか今月号では、

「般若心経」の特集を組んでいて、

上記とはまた違ったアプローチで、

般若心経の精神とその実践法に迫っています。

以下に、担当の三浦から、ご紹介させていただきますね。

(ゆほびかメルマガより)

 

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こんにちは!ゆほびか編集部の三浦です。

日本人に最も親しまれているお経『般若心経』。
たいせつな人が亡くなったときに、

そして、その後の法事のたびに、

読経してもらっているかたも多いのではないでしょうか。

では、『般若心経』には、どんな出来事、内容が語られているのかご存知でしたか?

今月号の『ゆほびか』では、

作家の黒澤一樹さんに『般若心経』を現代語に超訳していただきました。

それによると、そもそも、お経の中で話を進めているのは、

お釈迦様ではなくて、その弟子の観自在菩薩。
観自在菩薩が、同じく弟子の舎利子に語っているのです。

お釈迦様はどうしていたかというと、

たくさんの弟子たちの前で、ずっと瞑想に入ったままです。

そして、観自在菩薩が語る話の内容は、「私」はいないということ。

「私がいる」という、幻想の世界から遠く離れてしまおう。

「悟り」とは、「私」の不在を見抜くことだ。

そう気づきやすくなる真言(マントラ)を言うよ。

ぎゃてい ぎゃてい はらぎゃてい・・・

そんなお話なのです。

法事で読経される『般若心経』は、

「私」はいないっていうことに気づきなさいよ、と言っているんです。

では、そんな『般若心経』をどう受け止め、私たちの日常に生かしたらいいのか?

精神科医の名越康文先生と、

京都大原三千院門主の堀澤祖門さんの、真摯で、

わかりやすい実践術を紹介しています。

今月号の『ゆほびか』を、ぜひご覧ください。

今月号の詳細は以下です。
http://bemss.jp/yuhobika/cont111_034_001.php
付録「視力超回復CD」の試聴はこちら
https://youtu.be/AYm7myMsf6Q

今日もいい日でありますように。

ぎゃてい ぎゃてい はらぎゃてい・・・

(三浦)

 

 

 

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色即是空

空即是色

 

それなら、どう生きるのか、、、

 

今日も命にありがとうございます(^^)