「生ずるものはなく、滅するものもない」

という一節が、般若心経にあります。

 

毎朝、呼吸法をかねて
般若心経を読経をしているうちに、
この言葉が、からだに染み込んできたぁーーーーー!

 

肉体をもちながら、
「不生不滅」を深く観じることができるし、
日々を生きていける。
なんなら死んでいける。

 

そこには、この世の一つのおもしろさがあると思います。

 

「不生不滅」だったら、どうなのよ~?
自分なりに考えてみると、

 

すべては一つ。
すべては一つ、
一つのものの変化なんだから、

 

自分がほんとうにやりたいことをやるのが自然。
分かち合うのが自然。
困っている人がいたら、助け合うのが自然。
自分がどうにも困ったら、助けを求めるのも自然。
それぞれが自分で立って生きるのが自然。
豊かであるのが自然。

 

だから、

 

なにも心配しなくていいですよ。
なにも、心配することはない。
貴重な命をいかして、

やりたいことを思いっきりやって生きましょう。

 

となります。

 

もうちょっと考えてみると、

 

意識していても、していなくても、
みんな、実はすでにやりたいことをやっている。
すでに、すべてを分かち合っている。
すでに、この世界で日々、助け合っている。
すでに、限りなく豊か。
祈りはかなえられた。

そのなかで、みんな生きて生かされている。

 

となります。

 

 

今朝、キエさんが、

囲炉裏に炭火を入れてくれました。


鉄瓶でわかしたお湯でいれた、お茶をいただいて、

まあ、そのうまいこと、うまいこと。

 

鉄瓶と言えば、

分福茶釜、

という昔話を思い出します。


あれは、ざっくりいうと、
茶釜にばけたタヌキが、
和尚さんに助けられて、
タヌキはそのご恩返しをして、
お寺は豊かになる、
というストーリー。

 

お福分けする茶釜。
正体はタヌキ。
キツネというバージョンもあるそうです。


とにかく、自然の生命体。

 

神様のつかいである生命が、
助けてくれた人間に福を分けてくれる。
恩返しをしてくれる。


こういう、循環を描いた昔話、いろいろありますね。
取引じゃなくて循環が自然。

 

「不生不滅」は

人間だけじゃない。

 

みんな星のかけら、宇宙の光の一部なんですね。

 

それで、ここからが肝心なポイントなんですが、、、

 

昔、家族で、河口湖のコテージでバーベキューしていた時に、

傷だらけのタヌキが、エサを求めてきたんです。

 

そのとき、おなかすいてるんだろうと思って、

焼いていたものをいろいろあげました。

 

そうしたら、タヌキが、興奮して

足にかみついてきたんですよ。

 

人にいじめられたタヌキだったのかもしれません。

助けを求めていたのは間違いないでしょうけれど。

 

幸い、分厚いジーンズをはいていたので、

足の皮一枚、すれすれで済みました。

もし、肉まで届くほどかまれていたら、

化膿したりして大変だったでしょう。

 

こういうこともあるのですね。

そのときは、理不尽に思えました。

 

今では楽しい思い出の一部ですが。

 

それもこれも全部、

不生不滅のなかに含まれているんですねえ・・・。

 

矛盾たっぷり

理不尽たっぷり

悲しみや悪に見えることもたっぷり

 

幸せや恵みや豊かさもたっぷり

 

そのうえで、自分が何を見たいのか

どうしたいのか、

一瞬一瞬、任されているのだと思います。

 

 

 

さ、足の裏、叩こうっと。

 

 

 

 

 

*般若心経。
パンニャ、というのは、サンスクリット語で、
根源的な智慧というような意味で
それをあらわしたのが
般若心経ということになります。

サンスクリット語はとても古くて

6000年くらい前からあるそうです。

 

 

 

今日もお読みくださりありがとうございます(^^)

 

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