世論についてもパート12の中に書く予定でしたが、夫婦別姓を調子に乗って書いていたら(別姓の話は長くしなくても明治の「婚姻」制度の否定なんだから事実婚ではい終わりなんですけど)長くなりましたのでこちらに書きます、そんなことよりも陰謀論だろ?大丈夫です、陰謀はあなたの近くにちゃんといます。
1、2・5次元の世界
2、それでも自由民主主義?
2・5次元の世界
陰謀論の話11に政治家やメディアらが奴隷道徳(福祉、人権、価値観なんたらと)にうつつをぬかすのは、そうした社会が先にあると書きましたのも、選挙に立候補する面々ほぼ全員が自分の金でもないのに福祉、支援と息巻いているところからすると、社会にそういうことを求めている人たちがいるということが考えられ、昔から徳政令なんてものが存在しているように人々から好かれていない権力者の奥の手の一つなのでしょうけど、芥川の「蜘蛛の糸」の話のように国民は手を伸ばして福祉、支援と懇願しているのだろうか?福祉が必要な人は確かに存在するも、全員がそうではない、インターネット上では配るぐらいなら最初から取るなという意見も強い。それもそのはず最終的に原資は国民の税金になるのだから、垂らされている糸は垂らされている人がこしらえた糸ということになり、それを支援と言われてもお前の金じゃないだろう人の褌で相撲を取るなと言いたくもなるだろう。それでも政治家は自信満々に福祉、支援と言っている、ということはやはり福祉、支援と発言した方が善人にみられ得をする社会がどこかに存在しているということになるのだが、福祉がいくら完備されていても国が滅んでしまえば元も子もないのだから国体の存在意義、すなわち政治家の第一義が国防や治安にあるのは100%間違いない、というのは陰謀論の話12に夫婦別性を持ってきましたが、戸籍は何の為にあるのか?を追うことで、籍帳(戸籍 計帳 班田収授法 租調庸)の古代律令制の意味するところにたどり着き、ヤマト王権となり律令制(飛鳥時代)において班田収授法が施行されるも、荘園、地頭が出てきたことで三世一身法 墾田永年私財法が出てきて、年貢の為に農民を囲い込み、土地の奪い合い統治の争いで戦闘を繰り返し、僧兵の一向一揆、島原の乱の宗教を絡めた反乱、とりわけ加賀一向一揆では一揆側が勝利し100年統治したのもその一環、あの楽市楽座も民意を囲い込むための一つの手段であり、国防や治安ができないのが為政者で居続けることはできないと理解する。それが、この国は戦後から国防を口にすることはネガティブに見られるという異常かつ不思議な趣意がありまして、勿論、それは「戦争の反省」からの戦後教育の影響もあると考えられますが、奴隷道徳のごり押しも含めて、いったい誰がそれを形成しているのかというところを、国会にも取り上げられていた安倍元総理の戦後レジュームからの脱却から見ていくと
国会の答弁での戦後レジュームからの脱却とは
レジュームは
戦後の「憲法を頂点とした、行政システム、教育、経済、雇用、国と地方の関係、外交・安全保障などの基本的枠組み」を意味するものである。
脱却は
二についてお尋ねについては、平成二十七年二月十七日の参議院本会議において、安倍内閣総理大臣が「二十一世紀となった今、時代の変化に伴い、そぐわなくなった部分については、自分たちの力で二十一世紀の現在にふさわしい新たな仕組みに変えていくべき」と述べたとおりである。
ということらしいけど、理解できそうで内容が抽象的なことから理解しにくい戦後レジュームからの脱却は、安倍元総理らのチームが汗をかきたどり着いた平和安全法制もさんざん戦争法案と呼ばれ安全保障関連法案に反対する学生団体SEALDsらの団体に非難されたように、「現在に相応しい新たな仕組みに変えよう」にも全力で言いがかりをつけ阻止してくる勢力がいるので与党という政治権力が一つ変更するだけでも大変な困難を伴うことから、明確な意味での戦後レジュームからの脱却は奴隷道徳のごり押しも含めて全力で阻止してくる妙な勢力からの脱却のことを指すのであり、それはつい最近も・・・
偏った老人福祉→老人に死ねというのか、インバウンド、移民に前のめりになっていないで外国人の犯罪、粗暴なふるまいを推進した政治は何とかしろ、(そこに間違った情報は入り混じっているにせよ)それに対する応答として日本人ファースト→外国人排外、差別反対のように相手側の主張を一番強い言葉で歪曲し、憎悪を作り出すことで形式化(世論形成)させる手口で半世紀以上、戦後の言論世界に君臨してきた左派メディアと左派勢力はインターネット規制にも前向きで、多くの「批判」の意見の中から過激な意見を抽出し誹謗中傷・・・と、さも全体のような錯覚に陥れる。私はそういう過激な意見の人を見ると精神に問題がある人と想像し、というのも、例えば安倍政権への攻撃は言うまでもなく、継続中ですがオールドメディアの敗北といわれたことに根をもっているのか知りませんが兵庫県知事に一年以上もあーだこーだと粘着し、差別差別と杉田水脈を狙い撃ちして(青木理の日本人に対する人種差別の劣等民族には下手な言い訳させて追い打ちはしない)報道リンチを継続する共同通信社らも同様に、執拗に攻撃を加えるのはまともな精神状態と私は考えないから、過激な意見を見ても人権派的態度で聞き流し、ネットの誹謗中傷対策がどうしても必要というなら精神疾患のある人はネット規制(管理)&治療するという「差別」な手段が一番効果があると考えます、で差別な手段は結果的には攻撃されている方も本人も助かることにつながるという、差別を絶対悪と考える人には永遠に理解できないでしょうが。このように普段は人権派をうたっている方々は野生の世界の一番弱い獲物を狙うように、差別とか排外とか口にしているけれども実際はそういう人たちを理解して救済や擁護をしたいわけではなく自己顕示力(それを理解している障碍者の方は24時間テレビに良い顔していないでしょ)の材料として利用しているだけなのです。よく観察していればわかります、そういう人たちの方が差別心が強い人がいるということが。それは外国人排外、差別反対に相対している「インバウンド、移民に前のめりになっていないで外国人の犯罪、粗暴なふるまいを推進した政治は何とかしろ」この意見も結果的に現在、合法かつ平和に日本で働き生活している外国人の方を守ることになる。どちらが社会をかき回しているかは一目瞭然ですが、しかしいまだにこうしたメディアの意見(情報ではない)に従ってしまう方々がいる、しかしそれは仕方がない、一般の方々は別の仕事をしているのであり、忙しい生活の中、パッと耳目入ってくるメディアの意見(再度書くけど情報ではない)に従ってしまうのは仕方がない。みんなそれぞれの消費生活に忙しいのだ。それに乗じて情報に忍び込ませプロパガンダを垂れ流す。しかしそれは現実と虚構のはざまの世界であり、誤りであってもだれも責任を取らない、こうして病巣は広がっていく。
それはメディアだけではなく、戦争の反省から教育界、司法界、政治、メディアとあらゆるところに存在していて、自らのイデオロギー堅持の引き換えに多くの人の安全を脅かしている、9条信仰なんかはそのもっともたるもので、頭の中がお花畑でいられたのはアメリカの軍事力があってこそというのは自明ですが、アメリカの軍事力のおかげで頭の中がお花畑でいられている理解もなく9条が平和をと信じてやまないから、日本のあらゆる防衛関係に反対していて、それは結果的に多くの人の安全を脅かしているという考えが及ばないから口を動かせば戦争、戦争と相手側の主張を最も強い言葉で歪曲し、がんじがらめにすることによって、勿論それは議論させないという戦略であり、それによって自己目的を達成しようとしていてほぼ達成したのだろう。そういう人らが作り上げる世界は現実と虚構のはざまの2.5次元の世界だと私は考えており、東日本大震災の大勢の死者、余震と原発の厳しい現実の中、一時現実回避するような東日本大震災時に流されたACのcm ぽぽぽぽーん(マッチ売りの少女のマッチの火の中に現れる幻覚でもいいですが)、一瞬の安堵、何も問題のない世界が作られる。それが2.5次元の世界、世の中には他人への迷惑を考えずに延々とその世界に浸っていたい人たちがいる。
何度も指摘しているように差別は許さないの許さないを生み出している脳の機能と、その差別者と指摘する差別は同じ脳の機能であるのに、差別を許さないって自分をどのように許しているのかという回答をこれまで見たことがない。扁桃体と前頭前野が貴方らには無いのか?差別は許さないは自分の嫌いな差別をした相手に対する憎悪(扁桃体、差別に順位があるとすれば悪口レベルの差別よりも憎悪は3段階ぐらい上になる、あと2つぐらい上がれば殺し合いに発展)であり、それはただの選別(前頭前野)に過ぎないというのは、2・5次元の世界は外国人による問題はなく産経以外は無視するが、それを不満に持つ層の対応しろは差別問題としてそれまで息をひそめていたメディアがスクラムを組みというところからも見えるでしょう。この人たちは小泉元総理時代の特定秘密保護法案には「国民の知る権利」を盾に批判している方々というから呆れるばかり。その解釈権を自分たち左派だけはあると考えていて、それはまったく正しく、権力勾配によるもの、それを自分たちはやれ権力の監視や、権力と戦っているとして存在意義を強調するけど、これまで一つのやらかしで廃業に至った雪印乳業、ミートホープ以上のやらかしを何度もしているのに廃業に至らないのは権力者だからであり、つまり上位下達であります。その上位下達でせしめんとするのが教養の高さ、権威としての肩書だったはずなのに、近頃は様子が変わってきた。50%以上の人間が大学に行き、インターネットという新たな言論空間ができて、上位下達しようと上位も参入してきたが、無論、知見をお持ちの方もいますが、世間知らずといいましょうか?話の中身がなく社会性、常識に欠けていたりして批判にさらされることも珍しい光景ではなく、教養の高さ、権威としての肩書は肩書ほどのものではなく、現実と虚構のはざまの2.5次元の世界のようにはいかなかったが、そんな人たちが2.5次元の世界ではまだまだ力を持っいていて相手側の主張を歪曲し外国人排外、差別反対と権力勾配の解釈権を振りかざし世論というものを作り出しているから驚きます。その異常さというか厚顔に思うのは、以前YAHOO系のスポーツナビというところにこのブログを投稿すると多い時で3万人ぐらいの人が閲覧してくれたりして、こんなに多くの人が閲覧しているのにいい加減な内容は書けないと恐縮し抑制的に私はなったが、それの数百倍ぐらいの閲覧がメディアにはあるんでしょ?、今の程度の内容を堂々と主張していて、恐怖を感じないのかと、逆の意味で感心します。やはり上位になると周りは見えなくなるものなのでしょうか。
差別についてのメモ書き
差別心は感情によるものなのだから誰にでもある。
軽視、妬み(憤り)、悪意、憎悪、哀しみ(身内を殺されたとか)、殺意
恐怖、不安が混じると闘争心に火が付く
人種差別の話になるとなにかとナチス、ナチスという人がいるがナチスのは
アーリア人は優秀、ドイツ人も科学的根拠に乏しいがアーリア系、非アーリア系のユダヤ人と非ヨーロッパ系ではないのもは下に見る排斥理論→優生思想=左派リベラル系は差別反対しているから賢い、差別をする奴は低能(差別は許さない勢の方が権力性を帯び心情的にも近い)
そんな権力勾配で上に立つメディアが仕切る選挙で実のない政治家がたくさん誕生してきそうですが、結局、これがメディアが作りだせる2・5次元の世界の程度(限界)というもので、今の社会を作り出している。私は何も英雄を必要としているのではなくて、防衛、経済に関する能力のなさを隠すために多様性などの価値観どうのこうのと、まやかしを振りかざすのではなく現実を見据え行動する「普通」の議員を求めているだけであり、小村寿太郎は財政が底をつき戦死者の被害も相当なもの、これ以上の戦争の継続は望みがないと判断し講和を受け入れるとする現実に沿った対応をしたまで、しかしメディアらに煽られ日比谷焼き討ち事件が起きた。私は煽られても焼き討ちなんてしないし、逆に小村の擁護に走りますが、焼き討ちする人らには小村がいて、我々に小村寿太郎は与えられない。大正デモクラシーのポピュリズムがのちの戦争に繋がっていく、もちろん一役買っていたのはメディアです。ここまで書けば理解していただけると期待したいですが、戦後レジュームからの脱却とは自由民主主義なんだから自分たちで議論して物事の是非を考えなさいということである、それがどうしても許せない、物事の解釈権はどれだけ虚構でも自分たちのものだとする戦後レジューム。こんな社会が先にあるとわかっていたら小村もびっくりして講和を受け入れずに別の世界を望んだかもしれない。
小泉悠教授が海外からの政治介入の目的は先鋭化させて対話をさせないことを目的とするような話をしていたらしいが、明治後半、大正、昭和、平成、令和の日本に存在していたのはメディアの作る2.5次元の世界では上意下達でありもともと対話はないに等しい、それではなぜ政治介入が洗脳ではなく対話をさせないことなのかは自由民主主義を破壊するのには良い手になるからですって、陰謀論の話11に書いたように日本は自由民主主義ではなく選挙権威主義なんじゃないの?
それでも自由民主主義?
奴隷道徳の勝利ということを書いてきましたが、労働の勝利という考えもあります。これはハンナアーレントの活動的生(人間の条件)の話の中にでてきた言葉で、活動的生活は 労働 仕事 活動の人間の活動を3つに分けて、古代ギリシャ・ポリス(農民は土地を私的所有しており市民が民主制を行い軍事も担っていた)の時代は活動こそが私的領域を離れた公的領域の社会との関わりであり民会で自分自身をアピール(公共の場での対話こそが人間の営み)することが支配のない自由(ポリスの政治に関与できる(市民>奴隷)権力は持っている)であるとしていて、この活動だけが物とかが関係しない他者の存在に依存している共生であり社会的動物である人間の営みの一つで、当時は活動こそが崇高として評価されていたとしている。しかし消費社会到来すると同時に生きることが目的の労働が勝利し、結果、金を持っているとかの私的所有が人間の価値を決めることになった労働の勝利としています。人間の活動について検証しているだけでどちらが正しいとはしていませんが、自由民主主義が自由民主主義として存続していくためには活動(単なるディベートではなくそれが崇高として評価されることで民主主義の強化になる)が重要ということは、私もその通りだと思う。
古代ギリシャ・ポリスでの話で、アーレントの問いも欧米に対してしている話だと思いますので、東洋を見ていくと、諸子百家、六師外道、鎌倉仏教 禅問答があってそれなりにアジアにも活動の場は存在しておりますが、一般的な生活といえば違うので、江戸時代に入り目安箱、寺子屋、藩学なんてものはあるけどこれも活動とはいえない。1905年の日比谷焼き討ち事件で解るように活動のないまま来たので、アーレント曰く野蛮なアジアということですが、1912年ごろの大正デモクラシーで政治家を動かすポピュリズムを覚えてしまった結果、戦争に突き進んでいくことになった。戦後、高度成長期を経て欧米と同じく消費社会の中、労働が勝利、活動がないまま朝生らテレビの討論番組を観て何かを理解し、美人投票の選挙に行っているだけの、結局、国民は自分たちの未来を活動によって決めているわけではなく、その大半はオールドメディアが担っている。そういうことから私はこの国は権威に支配されている選挙権威主義としている。
それに対し、例えば桜井誠、強引な行動に不快に思う人は多く、学校に乗り込んでスピーカーを使い大声を上げるのは迷惑も甚だしいというのも同意はするが、桜井には言論がある。威圧とやじしか飛ばせない反在特会のしばき隊とはここが根本に違い、福祉とかしか言わない政治家より断然、活動していたと言わざるを得ない。橋下との会談も論争をしようとしていたのは桜井、橋下はやめろとしか言えなかった。折角、生活保護についての論争を仕掛けてきているのだから、ちゃんと向き合い対応していれば、在日韓国人朝鮮人のもやもやを晴らすことができるチャンスだったのにだいなしにした。桜井が発する程度の言論に向き合えないでヘイトとして口をふさごうとするのが自由民主主義国のわけがないでしょう。差別野郎に言葉は与えないノーディベートといえているのは権力性を帯びているから言えているだけ、それが相手に移ると売国奴の言葉のようにどうなるかは想像できるでしょう。差別を許さないと表明を出したペンクラブ、~協会~会~市民の会、戦後の反省教育を形成したみんな老人じゃないの、地方新聞に情報を発信し世論形成している共同通信も、もうあと10年もすれば地方新聞を読んでいる人はこの世にいないと全然、先見がない。ディベート(活動)を鍛えていないと権力性がはがれたとたんに簡単に飲み込まれてしまいます。活動がすっぽり抜けたままデモクラシーになったことが第二次大戦に繋がったのに、その活動を理解できないどころか規制で口を封じて特定の人間だけで物事を決めようとしている人たちが戦争の反省と口にしているは何の冗談でしょうか?活動が担保されて初めて自由民主主義の自由の部分が成り立つのです。それを司法が名誉棄損として高額判決を出して自由民主主義の敵となっている。(古代ギリシャ・ポリスの民会もやじが飛びそれを乗り越えて崇高の対象となる。)
しかしネガティブな材料だけではありません、治療が必要な方々も存在していますが、ネット上では日々、活動(公式でも政治でもないが)がなされていて、なかなか良い感じで論戦がなされているように見受けられる。今も主導権を握って世論を形成しているのはオールドメディアですが、1999年2ちゃんねるが開始されてから26年、名無しも今やハンドルネームを持ち日本人の活動も随分と板について自由民主主義の為の種まきになっているでしょう。もしかすると初となる大がかりな活動を日本は手に入れかけているのかもしれない。オールドメディアは戦争を煽り、日本を焼け野原にしたことについては横に置いて、誹謗中傷、フェイクニュースとインターネットの危険性を叫ぶ、確かにそれは事実で誹謗中傷、フェイクニュースもたくさんあり課題は存在するも、活動は自由民主主義を育て強化する。
下の動画を見ればわかりますが、日本のメディアの報道しない自由、偏向な報道姿勢がどのように作用するのか、ゲッペルスの左翼メディアを茶化す文言に観衆が冷笑で返しているのが、少なくとも会場にいる方々の心情を表していて、ディベート(活動)を鍛えていないと権力性がはがれたとたんに簡単に飲み込まれてしまいますと上に書いたように、あなた方の手法はすでに一度飲み込まれている。それを学習しないで繰り返す現在をアーレントがみれば何を考え批判してくるのだろうか?
陰謀論の話10の海外版の方にもカール・ポパーの開かれた社会とその敵にちなんでメディアこそ社会の敵だと帰結になりましたが、日本バージョンも意図として持ってきたのではなく話を組み立てていくうちに自然と同じ答えになった。