昔、友人がとあるアイドルの親衛隊に所属していて、恐らくザ・ベストテンのことだと思うが、アイドルを支持するはがきを、アイドルのマネージャから書くことを指示され、言われるがまま適当に書いていたら、これじゃ同じ人間が送ったってばれるだろう、蛍光ペンでふちを彩るとか字体を変えるとか工夫しろと叱咤されたという話をふっと思い出したのは(ちなみにパンクバンドにはまっていた私は、その正確な意味も知らずにあたりかまわず中指を立てていた、言うまでもなく馬鹿だからだろう)、アジテーション・ビラのプラカードを掲げて何やら主張している方々の存在で、私はプラカード内容から極左活動家と反応して悪印象しか湧かないのですが、堂々としているのはおそらく自身らは極左なんて思っていなくて正義の為なんて考えているのかもしれません、工夫がなくどこも似かよった感じなので全部同じ極左活動家に見えてしまう。

 

悪印象なのはアジテーション・ビラの内容に正当性がない、というのも例えば台湾のひまわり運動の人たちは、そのシンボルに反服貿(海峡両岸サービス貿易協定)を掲げ中国に対する経済的依存が台湾の民主主義に悪影響を及ぼすのではないかと懸念を示していて、香港の雨傘運動は真普選(真の普通選挙を求める)北村達哉の現役世代デモの「現役世代を社保税負担で殺すな」と、誰に対し何のためにが明白に伝わっていて、そのシンボルとなる主張にも正当性を感じ嫌悪感どころか応援する気持ちさえなる、それが、安倍政権にNO(それは結構ですけど、後ろに控えているのはあれやで) I’m not ABE (せやな) レイシスト帰れ(貴方がそう思う心情と相手の原動力は同じという理解を持とう)戦争反対(専守防衛の日本よりも攻撃してくる可能性があるところに言え)見て分かるようにイデオロギーに凝り固まって実態とかけ離れている主張に込みあげてくるのは、いい年なのに迷惑をかけるなという感情です。なによりもその活動とやらはほんのわずかでも日本の安全保障に貢献していない、自己満足でしない。

 

アジビラはロシア革命のアジトプロップ(agitpropアジテーション煽動プロパガンダ誘導)を剽窃したもので日本には1920年頃に入ってきた。そもそも文言にあるように他人を誘導し煽動したりするのが目的で極左にシンパシーを感じている媒体のおかげで社会党や民主党を躍進させて社会に混乱を起こすことには成功したが、それで結局どうでしたか?昔は無産階級による理論闘争、階級闘争という名目でしたが、現れたのは「現役世代を社保税負担で殺すな」で、その人たちからすると、空疎なアジテーション・ビラのプラカードを掲げているあの集まりはただの道楽にしか見えないでしょう。

 

シンボルとなる主張に正当性があったのは50年ぐらいまでで、60年になると何かわからないけどそういう空気だから参加していたのも大勢いて、その残党が2026年になってもアジトプロップを掲げている。

1951年の旧安保の時、米軍は駐留するけど日本の防衛義務の明記は無し、内乱条項もあり

労働者からすれば労働スト(デモ)を内乱ということで国に認定されると米兵が鎮圧に関与してくるのは治外法権だろう、防衛の義務もないのに駐留するとは完全な不平等条約として問題視していたというのは、問題意識の矛盾もなく理解できますが、それを改正しようとした、1960年の安保闘争になると、何が問題かよく理解できていないのもたくさん存在していて、というのも1960年の新安保では内乱条項は削除され、日本に対する武力行使を排除する義務の発生(共同防衛)、それに対する事前協議等も改正され前回に噴出した不平等の箇所は改善、一部のアメリカの戦争に巻き込まれたくない勢以外は、地勢的かつ状況からして理解できる内容と思われますが、そういうことなくあの始末です。地勢的かつ状況と書いたように、なぜアメリカがアジアで戦っているのか、前回に書いたように敗戦処理によって日本も半分に分けられていたら共産勢力との内戦になって日本が主戦場になっていた可能性は否定できないことから、アメリカが戦っていたのは共産勢力拡大の阻止であり、首脳陣ら上部はいろんな思惑があったでしょうけど一介の兵士たちは自由主義国家の自由を守るためを信じて血を流していた。戦勝国が日本の代替えをしているという観点からは、アメリカこそアジアの共産勢力拡大の阻止に巻きこまれていると見ることもできる。インテリならわかりそうなものですが、ああ、共産、中核(今回も白いヘルメットかぶって高市打倒とやっています)、かくまるとかいう斜め上を行く赤の方々でした、それなら赤側ですから連合赤軍らの一部のようにあなたがたも北朝鮮に渡れば希望の生き方が出来たでしょうに

それは政治家にも広がりアジトプロップを国会にまで持ち込んで「アジテーション」しているようです。ただし最初からそうなのではなく、1990年代はそれまで分厚い資料を読むだけが、細川護熙が活躍していた時代には、わかりやすくするためにパネルを持ち込んで物事の解説するプレゼンテーション型をとるようになって、その少し前に、天才たけしの元気が出るテレビのたけしメモ、午後は○○おもいッきりテレビ、晴れ時々たかじんのパネルを使った解説の手法が人気を博していたので模範したかもしれない、要は政治がTVのお茶の間向けになったということ。それが2000年代に入ると小泉純一郎のワンイシュ 、ワンフレーズ・ポリティックスに対抗するために野党が持ち込んだのがアジトプロップで、より視覚的に訴える方法を用いるようになった。2004年のPKO派遣(政府は三人を見殺しにするな、とするプラカード)にいつもの人らによる抗議活動と連帯し、白い布に暴挙、抗議、強行の文字程度から始まり、それまでの解説から抗議に変質した。その方がTVの切り抜きの写りが良いからだろう。しかし、調子に乗って堀江メール問題を引き起こし前原が辞任する羽目に、結局、小泉の「人生いろいろ、会社もいろいろ。良いところもあれば、悪いところもあってよし」「改革なくして成長なし」の言葉選びのが一枚上手で野党は勝てなかった。野党によるアジトプロップが激化するのは2015年の安保法制時にSEALDs(シールズ)らと連帯し本格的になるも、国際情勢や安倍の「こんな人らには負けるわけにはいかない」とする言葉に再び野党は負けた。野党とその造反派によるアジトプロップは今も継続しているが、メディアにそれがとがめられることはまれ(MBSのように逮捕を放送するだけでアジテーション・ビラによる嫌がらせをされる)である。

 

柏尾安希子(神奈川新聞記者)

権力批判を「悪口」と。多数決で決まった代表には逆らわず黙ってろと。それはおかしいな。主権者は国民であり、選んだ代表がおかしなことをしだしたら、主権者として文句を言うのは当たり前だろうが。指くわえて見てろと? ほんと、白紙委任と思わせたい空気なんなの。

 

これは東浩紀がリベラル・左派は負けた現実を受け入れろと事実を述べただけのことを過剰に反応している場面ですが、高鬱なんていうものは侮辱罪すら余裕で認定される文言であり、これを自民党の議員が口にすれば数年単位で誹謗中傷、差別主義だと騒ぐのは杉田水脈を見ればわかりますけど、左派陣営が申せば権力者に批判に言い換える、一方で稀と書いたように不可侵するのがばれているのに平気でする、媒体にはこのような傲慢な人々がごろごろいて社会を歪めているけれども、それを真に受ける人もいるから、

 

サミュエル・スマイルズの自助論にあるように「一国の政治というものは、国民を映し出す鏡にすぎない、政治が国民のレベルより進みすぎている場合には、必ずや国民のレベルまでひきずり下ろされ、反対に政治のほうが国民より遅れているなら、政治のレベルは徐々に上がっていきます。これは水が低きに流れるようなごく自然のなりゆきで、立派な国民には立派な政治、無知で腐敗した国民には腐りはてた政治しかありえない」政治も国民も「隠蔽できるんだよ」に戦前から翻弄されている人がいて、沈殿したままのようです。このことから私は民主主義が最善というのも懐疑的に見てしまいます。

ここに書いているように、隠蔽できるんだよはメディアのことを指しており、偏差値が60以上あろうがなんだろうが、新聞記者なんてどこの馬の骨かもわからない、イデオローグを基にしかものを書けない人たちの、たかだか一人の言葉にアジテーションされるのは、新聞という肩書が信用を生んでいるのだとしても、さすがに体裁が悪い。どんなにおためごかしをたれていても法律で守られ、例えば朝日新聞の一部の価格が180円 約320万部販売されているので消費税減税分2%で1152000円これだけ減税されて政治に保護されている既得権益側の人たちです、ということを媒体の主張を見る前に加算するだけで、主張の内容が薄っぺらくて欺瞞に満ちているものかを審査できます。例えば、法律で守られ、政治から高額減税の恵みを受け取り、高所得者である媒体人の主張「違法でなければいいか」と連日粘着して悪事に見せる手口のように。この程度の人たちが、やれ自由や権利、民主主義を都合の良い時だけ持ち出して、その言葉の価値を下げていて、これがいわゆる日本でリベラル左派(単なる極左なんですけど)と自称している人たちの正体です。そういえばオウム真理教の上祐もこんなもん見なくてもわかるだろうと説明に使っていたパネルを投げていて、野党は妙なダンスで親近感を掴もうとしているけど、オウム真理教も歌とダンスで有権者に訴えていた。