嘘つき連中が中道と口にするので、中道が話題となっています。中道が仏教用語からきていることから、何やら良いことのように捉えられている節もありますので一つ申し上げておきますと、中道の意味するところ複数あり、一つがバラモン教に倣い仏陀は修行を敢行、死にそうになっているところをスジャーターに助けられ、あのスジャーター♪スジャーターで有名なミルクのような乳粥を与えられて、スジャーターの奏でる歌を聴きながら、閃いたのが、やり方の間違えている修行を無理しても死ぬだけやで、考えの方向がそもそも間違っていた、やり方を間違えずにするとほどほどの修行でも解脱できる、ほどほどにという意味の中道、龍樹あたりも基本はこれを引き継ぐも、説一切有部のアビダルマ仏教が出てきて龍樹が中論でどちらでもないという解釈をして大乗仏教の中観派を名乗った、これが2つ目の中道、日本に入ってきて日蓮もこの大乗に影響を受けている法華経を信仰しているのですが、大乗と小乗(部派)の違いは修行をしている、していなくてもみんな乗れるかと言う点でいえば中道なんてものは存在せずに、修業をした者だけが修行の意味もそこから出てくる物事も理解できるなんて当たり前やろというところで私は小乗派ですが、何もしなくても楽に極楽浄土やでと言えば横着な人間がたくさん騙されよるんですわ、時代が変わっても。ということで今の中道&大乗(国のことやで)も他人の金で福祉をして善い人間に見られようとするのが大半で、修行もしないでその意味は理解できないでしょと同様に、自分自身の持ち物や家でも売って施しをしてこそ、いろんなことが理解できるのでは?。中道という観念は私も大事だと思いますが、意外にこれを理解するのは難しく、というのも道徳って状況によって動くので中道を目指すこと自体が修行のようなものになり、中道にとどまるのはなかなか難しい。カメプロの中道解釈です。