前澤さんが宇宙へ行った。こうしたお金持ちと私との決定的な違いは何なのかと考えたら、多分こういう人は自分の信念に持ち金すべてをBETできる精神の持ち主なのだろう(生存バイアスでえらい目に遭っている人の方が多いかと)、私も学生の頃はギャンブルに身を投じ帰りの電車賃まで使い切り歩いて帰ったことを思い出すが、アニメ銀と金に出てくる確実に5千万円を手にするか、それとも0円か5億円に賭けるかという選択があれば5億は金額に開きがあるので2分の一に賭ける可能性もあるけど1億なら確実な5千万を選択すると思う。そして手に入った5千万円も何かに全額BETするのではなく少しづつ使って気が付けばなくなっているということが考えられてプロスペクト理論にあるような損失回避性の傾向そのままという感じになるだろう。
武尊と天心の試合決定の発表があり格闘技界隈が色めきたっている。最初に成立にいたった背景を前澤さんが宇宙へ行ったニュースを見たら60年以上前に宇宙船に乗せられた動物達に思いをめぐらせてしまう頭で思考してみる。専業プロモーターのrizin側が注目を集める客が望む試合を組むというのは自らの利益に反していないので当然と言えよう。rise側も対戦の場を提供しているところで天心がプロボクシングに転向するということ自体に損害があるので天心が負けても大きな損失はない。しかし自立としてやってきた新k-1は武尊が負ければ、その主体にほころびが出かねないということが対戦決定の障壁になっていたと考えると随分な方向転換を決断したということになる。私の推測はコロナ禍第一波の時に行動制限の要請に抵抗したk-1も顰蹙を買ったことから以後は行政の行動制限に従い興行を自粛したり規模を縮小したりの営業の自由が奪われたことで会社としての体力が弱り武尊らの要求を撥ね退けられなくなったのではないのかというものです。
次に結果次第で想定できる損失について考えてみる。
天心がKOで負けた場合、新天地を前にしてKOで負ければ汚点が付いてダメージもつく可能性がある。汚点についてはキック界の無敗の天才が転向するということにプレミアムな価値があるとすると、その価値を落としかねない。ダメージについては人によって違いはあるけれどもどんなに才能豊かな選手でもあの一発(一戦)がその後の選手生命を変えたということはあって、例えば先日、レイマート・ガバリョに豪快なボディでKO勝ちしウバーリにもKOで勝利したノニト・ドネアは復活したと見られているところもありますが、私は全然そうだとは思っていなくて、以前のスーパーフライとバンタム級の時には相手のパンチを紙一重にかわす瞬発力が見受けられたが敗戦を機にあの瞬発力(加齢だけで消えるものではない)は薄れ被弾するようになり実力は半減していると考えている。半減と査定した理由は瞬発力こそが彼が得意とするカウンターの機動力になっていたからで、ガバリョ戦も打たれて序盤の段階で顔が赤くなっていてKOで勝てたのはガバリョに限らず半減しても勝利できる実力(勿論、ロドリゲス戦等も観ていての判断)の選手が相手だったと言わざるを得ない。トレーニング不足のスタミナとは違いダメージによって落ちたものは戻らないことが多い。キックを去る前に犯すリスクと考えると本人と新天地先のジムには危険な賭けになるだろう。
武尊がKOで負けた場合、コロナ禍で営業の自由を奪われることが無ければ今でも可能なら関わりたくないというのがK-1経営陣の本音ではないだろうか?想起するのはUFWインター(国際プロレスでも可)と新日本プロレスの対抗戦です。子供の頃であったら対抗戦に心躍っていたかもしれないが成人の私は「こんなんやる前から親日の勝利やん、軍門に下るということはそういうことやで(飲み込まないといけないことがある)」という感想だった。映画アウトレイジに三浦友和の「形だけだから」で利権を奪い、中野英雄の「母屋(組)乗っ取られたら仕舞いじゃねぇか」というものがあったが庇を貸したら母屋を取られることもあるという話である。旧k-1中量級の魔裟斗は総合格闘技戦はしなかったけれども旧k-1特有の外敵(猪木イズムでもいいが)という概念と無縁だったわけではない。k-1ルールの中でボクサーや総合格闘技の選手と対戦し、武田や佐藤という他のキック系の看板を背負った選手とも手合わせしている。ただし仮に魔裟斗が負けても他の外国人k-1選手で挽回して有耶無耶にすることができるし、矢張り魔裟斗はk-1ルール以外で試合をする必要がないというのがその時の立場を表していて、このことは母屋の経営が堅調(に見える)な方が優位(隣の芝は青い)にたち他の所が旧K-1に美味しい部分を吸収(参戦させたことに意味がある)されたということを考えると、飲み込まれないためには独自の堅調な経営の場の存在は個々の能力を生かせるかもしれないということを含めて重要と言える。新生k-1も独自のものを目指していたわけだが志半ばで引きずり出されたという感じだろうか、武尊がKOで負ければ今度はk-1がおいしい部分を吸収されるということなのだろう。
「あくまで負けるのは個人であって団体ではない」
これはその通りで所詮は心理の話にすぎないのだが、移籍で揉めることがあるようにエースというものはそれなりの時間とお金をかけて育て上げているので大事に育てたひとり娘を何処の馬の骨かわからない男に奪われるおやじさんの心情と同じようなもので、それが結納などの段取りを飛び越えて駆け落ち的な横取りなら腸が煮えくり返るというものだろう。そのために移籍の場合は金銭トレードというもので心情を緩和させたりしている。それに個人的なものであればムカつくで済むかもしれないが社会的(家族主義)なものとなれば物事は複雑になってくる、家名を傷つけるかもしれないが入ってくるからだ。格闘技ビジネスにおいてはメイウェザー×パッキャオはどちらが負けようが個人的な#1損失はあるけどボクシング自体を傷つけることはないが元UFCの選手が#2ユーチュバーにボクシングの試合で負けたりホリフィールドがベウフォートに負けたら家名を傷つけたと波紋を呼ぶ。#3他流試合なら家名に傷がつくかもしれないが武尊×天心は同じキックボクサー同士でパッキャオ×メイウェザーと同じじゃないの?確かに競技としては同じですが食べ物屋にもほとんど変わらぬものに本家と元祖があって競い合うように競合他社になると話は変わってくる。今は仲良く振る舞っているボクシングの団体もかつては敵視しあっていた、それがなぜ変わったのかはカリー、ハグラー、タイソンのように統一チャンピオンというものが商品価値を生み敵対するよりも利用した方が得策だと判断したからと推測できる。そしてキック界が見習うというか目指すものがあるとすれば、一過性の大花火でその時に盛り上がって終わるのではなく、この価値を生むことこそにあって、天心がボクシングに転向するのもボクシングの世界にはそれがあると思っているからなのではないだろうか?(あるならベルトの返上が頻繁に行われることはない。)そして、その価値を生む礎となるのが(タレントである)選手であるということは言うまでもない。それらを考えるとこの両雄の対決はあまり良い状況とは言えない。それはその後にボクシングに転向する天心が勝利した場合にキック界に何が残るのであろうか?再戦条項を結んでいないと新生K-1に雪辱のチャンスもないことになる。よってキック界にとっては武尊の勝利かドローが好ましい結果となるでしょう。この程度の考えは武尊陣営も十分理解しているので中立に拘り(魔裟斗×佐藤の判定も意識したんでしょうかね)そのうえで契約にいたったのでしょうから覚悟はあるのでしょう。そして自分に全額BETしたがる性分(I want the fight so bad)なんでしょう。
#1
損失のことを考えて緻密に再戦条項、ファイトマネー(PPVの売り上げ)の配分が契約で縛られている。
#2
世の中にはその道のプロではないが才能がある人はいて諸々の条件が重なってその道のプロに勝利することもあるというのは、数年前はアウトサイダーは素人の集まりと格闘技界隈から格下に見られていた朝倉が今では素人相手に弱い者いじめをしていると称される立場にいることからも理解できる。
#3
