ボクシングマガジンの休刊
ボクシング雑誌のことを、ここでは業界紙と表現していますが、広告は主にジムの宣伝で購読者も業界の人間やボクシングファンと考えるとあながち間違っている表現というわけでもなく、その規模の減少に伴い継続は難しくなったということなのだろう。他方、インターネットに押されてという言葉も聞くが、具体的な言葉にすると速報性に欠けるということになるのだろう。それではインターネットで継続すれば速報性を有することができるという考えも出てくるが、ボクシングマガジンの前身ガゼットには映画の宣伝やビタミン剤という業界にはあまり関係のない広告も掲載されていたけれども「業界」に特化しているところに誰が広告を打つんだ?課金制ということにしても業界自体の規模減少に伴いということを念頭に置くと事業として成り立つのか?という問題が出てくる。そうした総合判断での休刊なのだろう。
私は新聞が読めるということは良いことだと考えていて、読めると言っても文字を読めるという意味ではなくて中身を精査するということにあって、ある主張に対してある論理を出しているけれども、その論理には異見があり、主張はイデオロギーに基づいたものなのか現実的なのかを精査、理想論の存在も結構ではあるが私の場合はより現実に近い整合性のある方の論理を承認しているが、それには探究心をもって他の本とかも読まないといけませんが、新聞は社会面、政治、国際、経済、スポーツなどいろんなものを取り合っかっていて総合として丁度良い教材になると思っている。ボクシングにもネット上のスポーツ紙や有料記事にて速報性を有するところは存在しているが、恐らく新聞はいらないネットでニュースを読むという層がポータルサイトのおすすめするニュースを読むというように個別的な案件に接するという感じになるのだろうか?勿論、ネット上でも探究心をもってネットサーフィンすることで総合としての教材を必要としない人もいるだろうが、精査する力をつける助力として個別的な案件以外の余剰 に触れることも大事。ボクシングにとっての余剰とは、知られていない4回戦の結果や名前(ひととなり)が載る。知られていない選手からすればやりがいにも繋がるだろうし現在はコミッションに引き継がれているようだが、前身のガゼットはボクシング年鑑も出版していてボクシングマガジンに受け継がれたようにアーカイブとしての意味合いもある。こうした余剰に触れることで著名選手の個別的な案件に触れているだけでは見えてこないものも認識できるようになるのではという趣旨で書いてみたが、ネット上に昔のファンからするとお金を払えば試合動画も観れるというかゆいところに手が届くボクシングモバイルという総合としてのボクシングサイトがすでに存在し、数十年来のボクシングファンで業界紙、ボクモバも購入、PPVでボクシングを観ていると言っている人をネット上で見かけたりするけど、そういう人の偏狭かつ道理に暗いところを見ると総合に長期、触れていても精査する力をみにつけることには必ずしもつながらない「人にもよる」ということを示していて、ネットで速報性があり専門でも結局のところ「規模の減少」が進めば同じ道を歩むということかな。
つづく