こんにちは、赤ちゃん、私がママよ。あいまいな記憶で万博を回想していたら、なぜかこの曲と365歩のマーチが1970年の大阪万博のイメージソングと思い浮かんでしまったが、正解は世界の国からこんにちはでした。しかし勘違いとはいえ、こんにちは赤ちゃん、365歩のマーチは夢と希望が湧いてきそうで概念としては良い感じです。1970年の大阪の万国博覧会に私は行ったらしいのですが、まさしく赤ちゃんだったのでまったく記憶にありません。その後、神戸ポートピア(1981年)と花博(1990年)に行きまして、それなりにパビリオンと遊園地を楽しんだと記憶するが、おっさんになって万博や博覧会が何を示すものなのかと考えてみると、万博や博覧会が何を意味するのか正直分からないが、そもそも博覧会は侵略や戦争で奪取した戦利品を為政者が権勢誇示の役割として開いていたという説明があって、権勢誇示の役割の説明が今もしっくりくる、というのも今回、万博や博覧会が何を示すものなのかと考えるきっかけとなったのが東浩紀さんと猪瀬直樹さんの「日本は訂正できるか」を題目に大阪万博についての議論でありまして、司会の東さんの開催反対意見のある万博開催の趣旨とその決定のプロセスに対する質問にあいまいな返答を繰り返す猪瀬さんという感じだったのだが、猪瀬さんの「批判するなら万博実行委員になれ」が象徴するように、選挙で勝利した民主主義の勝利者がその権勢を誇示したいが、それはなるべく権勢誇示に趣旨しなければならないので、大きな箱ものやイベントもしくは優しいかわいいの福祉(徳政)といったものを提示していれば馬鹿な民衆に受けがいいだろうと、いくらその趣旨に対してふざけるないい加減にしろというのが馬鹿な民衆の平均的な意見だとしても、それ以外の方策は思いつかないし大手メディアが優しいかわいい福祉にはその結果問わず援護してくれるので民主主義の勝利者の選択となっているように見受けられる、ということで権勢誇示以外の意味なんて最初からないのだから権勢誇示以外の目的「万博はどういった意義があって誰がどのようなプロセスで決定したの?」「新進気鋭のプロデューサーたちはどうしたプロセスで決まったの?」の質問にあいまいな返答が返ってきても不思議ではない。これは万博に限った話ではなく国策、とりわけ昨今のかわいい、やさしい、福祉と言ってさえいれば馬鹿な民衆に受けがよいと想定されていると見受けられる国策も目的に相反する政策で、あとあと難題となって国民に背負わす可能性があっても悪びれる様子がないのは権勢誇示が目的なのだから、正しいか間違っているかなんて関係なく、とにかく民主主義の勝利者たちと、その勝利者に選ばれた人たちによる権勢誇示以外の目的しかない思いつき国策に翻弄され続ける馬鹿な民衆という壮大な人間博覧会が現実社会で開催中です。

 

かわいい、やさしい福祉というのは比喩です。

 

少しでも訂正したいと思うならそもそも福祉を経験した人ならわかるでしょうけど福祉は優しいかわいい世界ではないのですが、とにかくやさしいかわいい福祉の言葉を投げかけている候補者より、その原資は何かを説明する整合性のある人に投票するということを心掛けるというのが大事だと言いたいところだが、そんなことは馬鹿な民衆の平均は知っているからこそいまだに野党の支持率はそれほど上がらずに自民が瀬戸際第一党の面目を果たせているというのが馬鹿な民衆側の矜持だとすると、それすら感じることができない危機に対する感度の低さで岸田政権とその関係政策を引きずりおろせない安倍さんの七光りで当選してきた自民党議員は、私からすればもはや民主党の後続政党がいまだ沈下している理由の責任与党としての能力がないということを知らしめていると一緒であり(角福戦争、40日抗争、郵政やTPPの時代は自民党同士で喧嘩していたのに)、代替えが出てきたらさよなら自民党になるのは不可避な流れなのですが、故意にやっているように見えるほど代替えが育たない、代替え政党候補の一つである維新も全世代医療費3割負担というバランスを考えた政策を掲げているものの、一方でこうした旧来の方向性を訂正することができないでいるというのが現状。(私は国(日本人)を第一優先で守る政策をするなら万博の件など気にしない)この選択がない訂正こそ日本には必要でしょう。

 

 

大阪の話をすると猪瀬さん曰く大阪は地盤沈下にあり、東京水準の知性を大阪に注入するということらしいのだが、ここにきて「東京水準の知性」という「こんにちは、赤ちゃん」に並ぶパワーワードが出てきて、確かに

 

「いのち輝く未来社会のデザイン」人間一人一人が、自らの望む生き方を考え、それぞれの可能性を最大限に発揮できるようにするとともに、こうした生き方を支える持続可能な社会を、国際社会が共創していくことを推し進めるものです

 

 

行政主導らしく面白味がまるでなく、SDGsや命~と言われてもいまだに戦争、紛争に終わりがなく、欺瞞もたいがいにと考えてしまうので、それなら「東京水準の知性」をコンセプトにして間違った東京水準の知性で笑いを取りに行くのが大阪文化なのだが、そんなのは寄席でという話になる、結局、地盤沈下と万博もあまり関係ないし大阪にもう日限萬里子さんはいないが、ニセコのスキー場の件を参考に、町が元気を取り戻すというところに焦点を合わせると、好きから始まるところにきっかけがあるかも。