前回の32を前置きに、今回の無能という記事はいつものように中身は一切確認しておりませんが、想像から、恐らく「政治が下手くそすぎる」「無能の人気者」の著者が最も主張したいのは、

 

映画仁義なき戦いの松方弘樹が演じた坂井鉄也のセリフの

 

「あんた最初からわしらが担いでいる神輿じゃないの、神輿が勝手に歩けるなら歩いてみいや、わしらの言うとおりにしてくれていたらわしらも黙って担ぐが・・・」

 

というところから、政治が上手すぎるというのは、政党、官僚らに担がれるだけの神輿に収まりがつき、マスメディアに持ち上げらた演出により人気者を演じる総理大臣のことを指すのであろう。何人か脳裏によぎるが、そこは自粛します。

 

一方の「政治が下手くそすぎる」「無能の人気者」は神輿は軽いほうが良いという慣例に従わない、自分の足で歩こうとする総理大臣からこぼれ落ちる「手落ち」に目を凝らして針小棒大に評価したものであり、示し合わせ、なれあい、表現を変えると村社会、良い言い方では和の文化と昔から言われているように日本は強いリーダーを好まない、合議主義の調和に対する拒否反応なのだろう、その程度の他人(著者)の評価に便乗しかできない無能が他人を尊大な態度で無能扱いにする。

 

尊大だけならまだしも、手に負えないのは、政治が上手すぎる方の調整型リーダー(合意形成型)←聞こえだけは良いが、これは生贄をだして他は責任回避できるシステムであり、この調整型の「政治が上手すぎる」政治こそが日本社会(1980年から日本は時代が止まっていると揶揄される)を停滞させている要因だということは、調整型リーダー(合意形成型)の陰に隠れて既得権を得ている人間からすると社会変化は、その権利を失うことなので必死に過去に縋り付こうとする。記憶に新しいことだと思うが、野球のWBCの放送権のことを思い出してほしい、ネットフィリックスが放映権を獲得し、WBC日本関係としてはこれまでにない金額の報酬を得た、それに対して高齢者が視聴できないのでと、文部科学大臣の記者会見でも質問する記者がいて、大臣の「配慮」ほしいという言葉を引き出した。わずか500円を支払うだけで視聴できたものに対して政府に関与させようとする、井上尚弥も90億、これも有料番組という対抗馬が出てきたことでの日本ボクシング史上ありえないほどの収入を得ることになった。資本主義の中で成長するということはこういう競争を繰り返し敗者は消えていくことだという特段の話でもないことすら、「高齢者が視聴できない」「配慮」というところで自身らが所属するマスメディアが没落するという理由だけで妨害をする。足を引っ張るというのは身内であるNHKのウエブニュース縮小の件でも見られたし、調整型の政治との癒着によって社会自体を停滞させようとしている。官僚も個人の関係(能力)で天下りをする欧米に対して、役所が組織的に天下り先を作り(税金を流す)あっせんする、調整型の四分五裂状態は、裏で糸を引くには願ってもない環境で簡単に操ることができ、何よりも責任は政治家がとる、とても都合の良いシステムなのです、日本社会の停滞を引き換えに。この三者が得意なのは国益ではなく政局で、それに乗っかる国民はただの鴨。操り人形というのがありますが、はっきりいって操り人形のほうが操るのは難しい。