私の考える非核三原則とは

 

1960年代の世界情勢はベトナム戦争の真っ最中、国家指導者と言っても賢いわけでもなく中には狂人かつ単細胞な人もいて武器を手に殺し合いをしている。日本社会も学生運動に1972年で言えばあさま山荘の連合赤軍の事件があり、赤が国内で暴力活動をしていて、佐藤総理としては単細胞は背景を考えずに直感のみで物事を判断するので非核三原則をキリッと閣議決定でもしておけば馬鹿は単純だから深く考えずに治まるだろうと考えていたかもしれない、しかし日本としてもソ連、中国を念頭に防衛意識を高めなければならない、そこで沖縄返還後も裏では核の持ち込みを密約していたという1972年の話、それを平然と佐藤総理の非核三原則は由緒正しいみたいに錦の御旗にしている・・・単細胞は今も直感で生きている。

 

 

 

前回の詭弁を弄するの最後に

 

判断材料をインフォメーションしているのが「争点をずらし角度を付ける支持率を落としてやる報道」日本の政府に寡占の優遇までされている反体制ごっこのメディアですから、日本は大変厳しい状況と言わざるを得ません。

と記載しておりますが、どうして大変厳しいと考えているのかを書いていきたいと思う。

 

お題になっている認識の大切さというのを感じたエピソードが以前にありまして、Xを閲覧しているとアフリカ系アメリカ人の女性がアフリカ系アメリカ人が扮したアニメのコスプレ写真を参照して、日本人は差別主義者だとしている投稿に目が入ったので、この人はどうしてそのように考えているだろうかと関心が湧き、いつものポリコレ的なところから湧き出たものかと想像して、リプ欄を確認すると、「お前ら黒人は皆に嫌われている」とか散々な投稿があり、ぎょっとしたのですが(海外の投稿は日本の表現を誤魔化したのとは違いボクシングの世界にしろ赤裸々というか放送禁止用語が多くDEIに力を入れている割にはぎょっとすることが多い)、その女性もそれらに対する抗弁と言ってよいのか逆ギレと呼んでいいのかはわかりませんが、「なんとなくそう思ったから」そう書いたと、「イライラすんなよエンジョイしな」とアメリカらしい返しをしていた。最初私はポリコレとして差別主義者といっていると思ったから、私はアニメを見ないので、最近のはまるで知識がなく、そのアニメがフリーレンというものだということを調べて知って、ああ、キャラクターが白人を模様したものなのでお怒りなんだと、勝手に想像して、日本のアニメはキャンディキャンディやベルサイユのばらのように伝統的に白人をモチーフにしたものが多い云々とその経緯を知らせてあげようと最初は考えましたが、まさかの理由は「なんとなくそう思ったから」ということなので背景なんかは知りたくもないでしょうし余計なお世話になるので辞めました。ちなみにこの日本の伝統は海外経由の文化とか映画とかで知るキャラクターが白人が多かったから、日本側とすれば特に他意はないけどポリコレ案件に向こうではなるでしょう。アフリカ系アメリカ人が活躍する映画でいうと私の場合、TVでルーツ(1977年)を観て、小学生のころケンフォーリーが出ていたゾンビを映画館で観た。夜の大捜査線は随分後になってから、48時間(1982年)エディマーフィをみてアフリカ系アメリカ人は面白いと(なのでそのあとにマッドブルなんていうアニメも出てくる)、あとはブッシュマンぐらいが有名どこになるのか、キャノンボールに出ていたサミー・デイヴィスJrもいたがやはりアフリカ系アメリカ人は歌手とスポーツ選手の方が知っている人が多い。マンガで有名なのはやはりちびくろサンボ、明日のジョーはネグロイド系チャンピオンだらけの時代のボクシング漫画なのになぜかネグロイド系は出てこないでベネズエラのカーロスリベラとマレーシアのハリマオのオーストラロイドしかでてこなかったのだが軽量級が舞台なので間違ってはいない、カールルイ子は知られると激怒されそう、いずれにしても文化も同様に日本のアニメのキャラクターが好きなら歴史的な経緯とかを認識していれば「なんとなくそう思ったから」とはならず良くも悪くもその背景を理解することで興味の深みも出てくるのではないのかと、その背景を理解するということで一つ日本人ファンから見た海外ボクサーについて書いてみよう。

 

私の部屋に一つポスターが飾ってありまして、マーベラスマーヴィンハグラーという80年代に活躍したボクサーで、浜田剛史さんと一緒でファンなのですが、ハグラーが大工仕事をしながらトレーニングに励みコツコツとキャリアを積みようやくたどり着いた世界戦、チャンピオンはビト・アンツォフェルモ、下馬評ではハグラーが有利でしたが引き分け、その後、アランミンターに勝利してチャンピオンになる。ビト戦に限らずハグラーは虚栄心の強いところがあってビトとの世界戦を引き分けで終わったハグラーにジョーフィレージャーか誰だったか忘れたけど、レジェンドボクサーから何をやっているんだと叱責されていて、それはこの試合のメインイベントはベニテスに挑んだレナードの試合で、一般的には階級が上の試合をメインに持ってくる傾向があるも、スーパースターレナードがこの興業の顔であり、ハグラーの試合はファイトマネーの差も含めて露払いの立場、そのことがあってか?ハグラーは恐らく自分を良く見せようと、いつものボクシングが出来ずに引き分けになったとレジェンドボクサーは見たのだろう。再戦では4R終了でビトの顔がはれ上がり棄権させている。ちなみにビトは映画ゴットファーザーのボディガード役に出ていて俳優としての格では引退後に俳優に転身したハグラーよりもちょい役としてもインパクトがあったビトの方が上だろう。敵地のアランミンター戦を余裕で勝利するも怒った観客に物を投げつけられると不運は続くも、ここから快進撃を続けて、押しも押されぬ名チャンピオンになった。そしてクライマックスはスーパースターレナードとの試合である。虚栄心とは反対にスーパースターになる人はなにか無自覚なところがあって、例えば、デラホーヤーがライアンガルシアをめぐるもめ事のニュースに接して、自分もなぜかわからないけど現役時代にメディアに叩かれ他のボクサーからも執拗に噛みつかれたみたいなことを話していて、私からすると記者も選手もあなたを利用した売名をするのに必死で、もしかしてあなたは自分が特別とはわからなかったのかと?レナードも挑戦者みたいなイメージを作っていたけど、いやいやあなたが常にボクシング界の中心であり、それが高じてキャリア終盤はナルシストとしてブーイングを飛ばされていたでしょと、タイソンは素行が悪いし、判っていたのは一番異常に見えたが振る舞いもスーパースターであったアリだけ、そしてデラホーヤ以降ボクシング界にはスーパースターは出てきていない、いろんな名選手はいますがどの選手もスターどまりということを、良くも悪くもその背景を理解する「興味の深み」があれば理解できます。クライマックスのレナード戦も虚栄心に押しつぶされたと私は思っていて、ハグラー陣営はレナード贔屓の判定にならないようにアウトボクサーに有利に採点するジャッジを排除するよう要請、この願いが叶いジャッジを変更させたが、この変更させたジャッジが2-1の判定でレナードにつけたと、こうした話から、先日、行われた井上拓真と天心の試合で天心側が大橋に審判の選択は任せますよの話と繋げたりもします。結局、ハグラーはレナードに対するジェラシーともいえる怒り=影を背負ったまま、2-1の判定を失いレナードの栄光の一つになったけれども、ハグラーのスタイルは怒り=影が良い具合に発揮できた際に魅力を発しいぶし銀と呼ばれる、私はそういうどこか暗い影を持ったのが好みで、もう亡くなりましたが今でも私に部屋にポスターが飾ってある。

 

一人のボクサーの断片を書きましたが、こういうのを百人単位で記憶に入っていて、私としては興味のあることの歴史や背景を知ろうとすることは特段のことではなく、ボクシングファンの思考、それも観察対象に入っていて、それには理由があって、一番は昔の香川照之を他のファンに期待していることにあります。それは特に日本のメディアは一人が書いたら他も同調するかのような画一化が多く、一般のファンの方が多角的に物事を見れているのではないのかという期待です。そういうことから海外の試合で発生した議論を呼ぶ判定=八百長判定に対してファンたちが、どのように考えているのか見に行ってみると、不思議なもので世界共通なのか、日本と同様に大手プロモーターを名指ししながら八百長と判で押したような内容に、私は村田 エンダム戦の判定に、(村田がかなり優勢でエンダムの勝ちはないと判定はおかしいと考えながらも)遺恨が出来て次の再戦の視聴率は期待できる、よかったね、というような評論をする人間なので、「イライラすんなよエンジョイしな」的に馬鹿ばかりだなっとブラウザーをそっと閉じています。馬鹿というだけに、私はそれなりに議論を呼ぶ判定=八百長判定の見かたというものを独自に考えており

 

 

 

上記に書いてあるのもその一つですが、八百、八百と言っている方が本当に楽で注目も浴びやすいのですが、ブログ名だとしても一応は看板があり恥ずかし真似はできません。八百するなら別の手があり、判定についてはそこまで単純なものではなくて、視聴覚というのは想像以上に人の判断に影響を与え鈍らせたりします。私も会場で観戦した試合と、同じものを録画して後で家で見直すと、会場で観た判定に関する印象と、TVの録画で解説を聞きながらの印象は乖離することも珍しくはなく、会場はパンチの打撃音、観客の応援の声、録画は解説の声とパンチの見た目の効果が会場に比べて低い、あからさまな偏った解説なら白々しく感じるも、それ以外はそのように見ようと思えば、そのように見えるというもので、会場で観た試合の内容と判定に納得も、家に帰ってみたら八百長だと騒ぎになっていることもあった。それぐらい違うこともあります。そういうこともありまして、特に聴覚の影響があることから認定団体WBCではヘッドホンを付けた採点も意見に上がっていた。

 

これらを念頭に、中国が各国に日本の軍国主義がと耳打ちして広めようとしている行動、周辺国に高圧的に牽制している軍国はどちらか言うまでもなく、そんな解明も程度も低い突飛な発想に誰が乗るんだよと思っているあなた、それは甘い、日本に住んでいても軍靴の足音というのがいるのですから、世界には「なんとなくそう思ったから」と直感で考える人たちがごろごろいて、日本の軍国主義に直感で反応する人がいてもまったく不思議ではなく、実は合理的な手法を使って中国の王毅は外交をしているのであり、言い換えると他国の人を直感馬鹿だと認識しながら啓蒙していると私は見ている。つまり効果的と

 

それは日本のメディアも得意としており、誘導報道、繰り返す報道、横並びの同調報道の影響力は大変強く、八百長、八百長と同様に裏金、裏金を連呼したように物事の解明などの中身は必要なく言葉のインパクトで直感で物事を判断している人々の心情に訴えかけ、それは場合によっては社会自体に影響を与え、とんでもない方向へ行くこともある。本来であればそこから発生する災いの責任は発信者が背負わなければならないが、発信者同士が身内に甘く責任を回避することも珍しくもなく、何ら制裁も受けないからいつまでも改善しない。そんな民間企業を異常に庇護しているのが政治家と官僚で、少しでもまともな社会にするには抜本的な是正が必要、民間企業なのだから電波使用料はオークション形式にして携帯事業者と同様に正当な料金を取るべき、独占禁止法にあたる再販制度もやめる、スポンサーしている企業も少しは企業の社会的責任として誘導報道で出た悪い社会影響に社会が壊れてもあなた方も存在できるのかと考え責任を感じなければならない。私は天下りとかかなり甘く見るタイプの人間でしたが、天下りが原因で、総務省が意図的に行政指導や改善をさせないのであれば政治の責任を持って一切の天下りを禁止すべき。