10億円の公的資金が入っている学術会議が夫婦別氏について提案していたらしい。内容は確認していませんが、これまでのことを顧みると、女性の人権が~程度のものだと推察してしまいます。その程度というからには私も夫婦別氏について提案してみるが、そこら辺のおっさんなのでコンサルティング料は10円でお願いしたいところで、ロシアによるウクライナ侵攻、処理水、コロナ対応についても提案しているので40円となりますが、そこら辺のおっさんの提案はチラシの裏の~と同列になるでしょうから、報酬はなし、仕方がありません、社会的活動の一環としてとらえましょう。

 

 

 

 

 

長いので、問題点を先に書いておきます。夫婦別姓は「家父長制、男性中心主義的が自分たちの邪魔をして女性の権利、未来が収奪されたとしているが、別姓で継ぐのはその父姓であり、さらに同姓は差別だというが、血統主義からいうと別姓はどこまで行ってもよそ者の証である、また、自由が~としながら政府の義務の制度の中に入ることに執着」何から何までおかしなことだらけで結論は婚姻制度の廃止をするのが妥当ということになりました。

 

 

 

1、日本は遅れている

 

2、女性の権利

 
 
日本は遅れている
 

別姓関連に出てくる推進している方々の理屈、女性の活躍、女性の権利、海外は別性だ日本は遅れている、ほぼ全部が私には虚言に聞こえています。別姓はそんなものは無くても活躍する人は活躍する、しない人はしない、夫婦別姓じゃないから女性が社会で活躍できない!と、マリー、イレーヌ、エレーヌ・ランジュバン・ジョリオのキュリー一族が聞いたら、せやろか?とびっくりするだろう。だから特段のものはないけれども、わがままな人たちの為に奴隷道徳に尻尾を振る政治家が民法を改正して恩義を売ると仕事をしているふりができるというのが正しい見解と考えています。どうしてそのように考えるのかは、日本は遅れている一つをとっても、これは婚姻に関する話であるのにも関わらずOECD平均42%で日本と比較されていると想定する国々は50%~の婚外子の割合と、明らかに婚姻制度自体が破綻(日本とは違って婚外子の権利を保護する法律も・・・シングルマザーの相対的貧困率は約50%で両親がそろっているところと2倍の差がある、それは日本も同じですけど)している国々と婚外子の割合2%の日本と比べること自体に瑕疵があると考えているからです。例えば2021年に法を改正し夫婦別姓を選択できるようになったチリ、75%の婚外子と、生まれてくるほとんどが婚姻の形をとっていないことを示しているのですが、2017年の規制緩和でレイプの場合は中絶の許可が下りるようになりましたが、それ以外は禁固刑のある人工中絶禁止というのがその背景にあります。禁固刑のある人工中絶禁止が背景の75%が婚外子なのに夫婦別姓を取り入れたから進んでいるとなるのでしょうか?婚外子が進んでいるというなら少なくとも日本もアメリカのモーリートークショー「YOU ARE NOT THE FATHER」1991年~2022年というDNAを調べて自分の子供かどうかの有無を売りにした番組を健全な社会に見えるようになったら進んでいるの仲間入りするのかもしれません。(あどけない顔をした子供の映像が映し出されている中、司会者のあなたのお子さんではありませんに口汚くざまーと罵り手をたたいて喜ぶ男性、涙ぐむ女性、ダンスを踊る男性、それを見て興奮する観衆←こんな感じで、これの新しいタイプにアメリカ市民権をかけた移民のリアリティショーを検案中というニュースを見かけた。←このニュースに苛つくようでは進んでいるに加わることは夢のまた夢

 

訂正、「最初、男女ともに罵るような表現を使用していましたが別のDNAの番組の一部だったので表現を正確に変更しました。正しくはその番組に出ている女性側は平気で嘘をつくでした。男性も同番組の嘘発見器のコーナーで平気で嘘をついてばれていましたけど、訂正とお詫びします。」

 

アメリカ1970年代に76・5%あった女性の婚姻率が2022年に31・2%、2000年ぐらいまでは1000人に対して8%あった婚姻率は2020年には5・1%(2022年6・2%)と下落していて、他の先進国と言われている国も下落している。未婚率アメリカ約38%フランス40%イギリス男性約40%女性30%韓国男性30代で50% 女性33.6%と未婚率も高い。(日本、男性28%女性18%)そういうことですから「海外は進んでいる」に焦点を当てれば、婚姻という手段を選ぶことは少なくなっているが正解なので、婚姻についての話に、日本は遅れているとした海外では~の権威に訴える論法は婚姻自体が崩壊しているので有効な論にはなりえません。しかし、それは議題にすら出てきません。変わりに出てくるのが誰も困らない、幸せなどの感情に訴える論法、つまり根拠、道理の中身は感情にしかないということです。ちなみに婚外子がとても低い日本は無子率27%(4人に一人は生涯子供を産まない)と世界1位、これは他の国よりも進んでいる?。それでは婚外子を増やしてとなると、婚外子は貧困の再生産を生みやすく、それは支援となるけど、再生産なのでくりかえすのはアメリカの黒人層約70%と白人層20%の婚外子の水準と黒人は差別されているから這いあがれない論争から見えてくるものがあるのではないだろうか。(よく言われるのが父親の不在)まじめに働く片親よりも無職の片親が優遇されているという別の問題も出てきます。 

 

各国の婚姻率

https://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/jinkou/tokusyu/konin06/dl/gaiyou1-c.pdf

OECDの婚外子率

https://www.oecd.org/content/dam/oecd/en/data/datasets/family-database/sf_2_4_share_births_outside_marriage.pdf 

 

 

 

 

イギリスのシングルマザーの相対的貧困率

https://ifs.org.uk/articles/pre-pandemic-relative-poverty-rate-children-lone-parents-almost-double-children-living-two


 

 

「三従の道が善良正道だと箱に押し込む、いわゆる函入娘「箱入り娘」はよろしくない教育によって自立(手足が伸ばせる箱)を目指していきたい、というのがスローガンで」自由民権運動の岸田俊子や津田梅子も女性の自立を目指した。明治のころの主張は世帯主で税金も多額収めている女性に選挙権がないのはおかしい、今は是が非でも世帯主にはならないけど別姓が選択できないのはおかしい。


 

夫婦別姓を推進している側に国が苗字を強制しているのは明治時代のイデオロギーであり自由が損なわれているのはおかしいという理屈もあります、一つの考え方なのでしょうけど、明治のイデオロギーに反発しながら、その影響を色濃く受け継いでいる国の定める婚姻制度に入ろうとしているのは#1矛盾していておかしいとは考えないのだろうか?それなら事実婚で問題ないでしょう。明治憲法の近代化として春画禁止など意味のない自由が制限されていくのは正しいとは思わないけれども、明治=古い=悪いというイメージを紐づけるというのは単純すぎるものがあり、明治のイデオロギーが悪いのなら江戸時代に禁止された庶民は名字を公表してはいけないも正しいということになってしまう。それまでは(姓「八姓、カバネ」、氏→名字→江戸時代に名字が公の場で使用禁止 苗字が出てくる)正倉院に籍帳が残されているように過去帳などに家単位で記載していたのを、尊卑分脈的に国が管理しやすいように戸に集約した公文化は文化として立派なもの、それをどうして出生証明書かつ婚外子の多い欧米を見習わなければならないのか?推進派の錦の御旗となる法務省の調べを提示したうえで、日本は遅れているをもう少し検証してみる。

 

#1

学術会議が政府の諮問機関から外され法人となるのは許せない、諮問機関にいて人事等に口を出されるのも許せないというのも似たような話。

 

法務省の調べ

「夫婦の氏に関する制度は国によって様々ですが、平成22年に法務省が行った調査(注)等によれば、
 ⑴ 夫婦同氏と夫婦別氏の選択を認めている国として、アメリカ合衆国(ニューヨーク州の例)、イギリス、ドイツ、ロシア、
 ⑵ 夫婦別氏を原則とする国として、カナダ(ケベック州の例)、韓国、中華人民共和国、フランス、
 ⑶ 結婚の際に夫の氏は変わらず、妻が結合氏となる国として、イタリア
があります。
 もっとも、法務省が把握する限りでは、結婚後に夫婦のいずれかの氏を選択しなければならないとする制度を採用している国は、日本だけです。

 (注)調査を行った国は、次のとおりです。
 アメリカ合衆国(イリノイ州、カリフォルニア州、ニューヨーク州、ハワイ州、ルイジアナ州)、アルゼンチン、イギリス、イスラエル、イタリア、インド、オーストラリア、オランダ、カナダ(ケベック州、ブリティッシュコロンビア州)、韓国、サウジアラビア、スイス、スウェーデン、スペイン、タイ、中華人民共和国、ドイツ、トルコ、フランス」

 

ボクシングブログということを突然、思い出したかのように、ボクサーの名前で確認してみると

 

婚外子率約40%(人種別で異なりアフリカ系アメリカ人はもっと高く約70%)のアメリカ、フロイド・ジョイ・メイウェザー・ジュニアという氏名、日本でいえばどれが苗字かわかりますか?メイウェザーがそうで、叔父のロジャーとジェフもメイウェザーです。でもこれはもともとの氏名ではなく、旧姓はフロイド・ジョイ・シンクレアでジャマイカ出身のDeborah Sinclairの母姓が半分入っていましたが、12歳のころ父姓のメイウェザー姓に変更してフロイド・メイウェザー・ジュニアになったそうです。親父さんのフロイド・ジョイ・メイウェザー・シニアは副業で麻薬の売人をしていて母親も中毒者ということですから複雑な家庭環境だったのでしょう。最初の名前は日本名なら茂 〇〇 中村という感じになります。接続語のシニアSrとジュニアJrでいうとガイウス・ユリウス・カエサルの親父と同姓同名というのは分別しにくいので、7世までいたナポレオンのようにⅠⅡⅢⅣとつけるのは便利です。suffixサフィックスなのですが日本なら石破茂先(前) 石破茂後という感じでしょうか?最近は馴染みはないですが昔は中大兄皇の大兄とsuffixのように使用していました。

 

 

改名した人でいうとモハメッドアリの本名はCassius Marcellus Clay Jrで親父さんはCassius Marcellus Clay srで母親オデッサ・リー・オグレディから結婚してOdessa Grady Clayに改名、Cassius Marcellus Clay srの両親もClay なのでクレイは父姓。面白いのはBelinda Boydがアリと結婚してKhalilah Aliに改名、しかし離婚後、再婚したその相手がカマチョという名前でKhalilah Camacho-Aliに改名、田中さんと離婚した後に加藤さんと再婚して〇〇加藤ー田中になるみたいな感じです。アリはイスラム改宗した時のネームでKhalilahの親御さんもネーションオブイスラムのメンバーということだからイスラムなのが理由だと思われます。

 

婚外子率約70%のメキシコ、フリオセサールチャベス(フリオ・セサール・チャベス・ゴンサレス)父親はRodolfo Chavez Lizarraga母イザベルゴンザレスなのでチャベスは父姓、ゴンザレスは母姓、チャベスとアマリア・カラスコが結婚をして生まれたのが、 長男フリオ・セサール・チャベス・カラスコ、次男オマール・アロンソ・チャベス・カラスコで父姓と母姓が入っていて、再婚相手のミリアム・エスコバルとの間にできた娘の名はミリアム・ニコール・チャベス・エスコバルと再婚相手の姓が入っている。ミゲルアンヘルゴンザレスもミゲル・アンヘルゴンザレス・ダビラでゴンザレスが父姓ダビラが母姓と両姓が入っている。

 

1994年時点で婚外子率42%のプエルトリコ、ヘクターマッチョカマチョ(本名はエクトル・ルイス・カマチョ・マティアス)親父さんがエクトル・ルイス・カマチョ・シニアで母親がマリア・マティアス、こちらも両方の姓が入っていて日本なら石破 〇〇 中村みたいな感じです。両姓がはいるのはスペイン語ポルトガル語圏の慣習的な氏名の付け方で確かに両方入っていて平等ですけど慣れかもしれませんが苗字の漢字が並ぶのは相性の関係でどうなんでしょうか?発展していった言語の違いで氏名の付け方に違いがあるようです。そこで気になるのが異国の人との婚姻、亀田和毅 子供は 望有 有里 奥さんはシルセ・クエバスなのでスペイン語圏なら カメダ ノア クエバスという氏名にするのが慣習となり、カタカナにするとなぜかしっくりきますと、生まれてくる子供の姓についてはスペイン語圏が丸く収まるやり方を提示してくれますが、強烈に仲たがいして、袈裟まで憎いみたいにあいつの姓がついている子供も許せないになったらどうするのだろうか?、その場合の保険みたいのは

 

婚外子率52.5%のデンマーク、ミッケル・ケスラー 父オーレ・ケスラー、元イギリス人の母アン・クリスチャンセン、妹リンス・クリスチャンセンと兄は父姓、妹は母姓と上手いこと2人出来た場合は別々につけるという例があります。ちなみに親父さんはデンマーク人となっていますがケスラーというのはドイツに多い。ハンス・クリスチャン・アンデルセンが有名なように、デンマーク人は以前は慣例として下に~の子供という意味でsenをつけていたが1826年に廃止、親が自由につけれるようになったようです。ケスラーがドイツ人に多いということと同じように、アメリカ人のスカーレット・ヨハンソンの父親カルステン・オラフ・ヨハンソンのこのsonといえばスウェーデンが最も多くボクサーでいえばインゲマル・ヨハンソンが有名ですがデンマークにもヨハンソン姓はいてson senどちらも~の息子という意味で北欧ではポピュラーな氏名の付け方です。グエン王朝からきているグエンならベトナム人に多く見られるように氏名に起源が刻まれている場合もあります。

 

 

起源にすこし近い話としては、俳優チェ・ミンシクが「悪いやつら」という映画で元税関員の役をしていましたが、慶州チェ氏忠烈公派家系の両班出身という高い身分だったことにかなり誇りをもっている元税関員は、押収した密輸薬物をヤクザに横流ししようと企み、ヤクザとの交渉の場で、交渉相手の組長が同じチェ姓ということから家系を訪ねると同じ慶州チェ氏の忠烈公派家系ということがわかり、高祖父にむかってなんだその態度はと、急に横柄になった、日本も昭和のころ家系を誇るおじさんを見かけることがあり、ちゃんと家系を記憶していて~何代目当主がどうのこうのと嬉しそうに話していた。映画の設定もよく練られていて、税関員の友人が薬物の横流しを計画する際に、日本のヤクザと関係の深いヤクザを知っているという話を持ち掛けるのですが、やはりさすがに日本人に薬物を蔓延させるのは気が引けると話すと、元税関員のチェは薬中だらけになればいいと切り返した、というのも義理の弟になるマ・ドンソクに今は落ちぶれているけど忠烈公派家系は偉い人物をたくさん輩出していると、家族や妹がまた始まったとあきれ顔をしている中、コンコンとドンソクに語るほどの誇りなのですが、日本が入ってきて1894年の甲午改革で両班(ヤンバン)の身分制度は廃止されたと、これの恨みを持っている。韓国で戸籍が廃止されて家族関係登録制度になったのは、こうした両班おじさんが原因とかなんとかというのは冗談ですが、個人情報保護の側面が強いそうです。韓国も家族関係登録制度に変えたのに日本は遅れているだろう・・・昭和42年(1967年)住民基本台帳が誕生して1999年改正住民基本台帳ネットワークシステムとそんなものはとっくにあります。戸籍の話に限定すると元号を廃止して西暦にしろと戸籍いらない勢は重なっているのではないでしょうか?日本の祭主も西暦593年から脈々と続いて明治まで世襲制で今は黒田さんが継いでいるけど、こういうのもくだらないと考えているのかもしれない。

 

婚外子率約50%のイギリス、カールマーティンフロッチ ポーランドに出目がある父フランクフロッチとイギリス人の母キャロルフロッチ(元ダグラス)兄弟リーフロッチ、ウェイン・フロッチ 奥さんレイチェルフロッチ

 

ジョーカルザゲ(ジョセフ ウイリアム カルザゲ)サッサリ島生まれの父ピエトロ・ヴィンチェンツォ・エンツォ・カルザゲ 母ウエールズ出身ジャッキーカルザゲ、イギリス人ですが、カルザゲという姓は珍しく検索してみるとコルシカ語=サルデーニャ島と親父さんの出身地の関係性が出てきます。

 

婚外子率約30%のカザフスタン、ゲンナディ・ゲンナディエヴィチ・ゴロフキン、東スラヴ語系の慣習によって父称(パトロニム)がゲンナディが名前で姓がゴロフキン、ゲンナディエヴィチはミドルネーム 父Gennady Ivanovich Golovkin、母Elizaveta Golovkina、奥さんAlina Golovkina、女性はゴロフキナの呼び名になるようです。ロシアなら男~スキーと女~スカヤのように

 

婚外子率53%のフィリピン、エマニュエル・ダピドラン・パッキャオ(マニーパッキャオ)父ロサリオ・パッキャオ、母ディオニシア・ダピドラン=パッキャオ 弟アルベルト"ボビー"ダピドランパッキャオで父姓と母姓が混在していて結婚すると結合氏になるようです。 奥さんはジンキー・カペーニャ・ジャモーラ=パッキャオ5人の子供は母姓は付いていないので名前の付け方に変化があったことが伺えます。フィリピンが両姓だったのはスペインが植民地にしていた関係かもしれません。

 

婚外子約50%のスペイン、フランシスコ・ハビエル・カスティジェホ・ロドリゲス 名 父姓カスティジェホ 母姓ロドリゲス

 

 

婚外子率65%のブラジル、アセリノ・フレイタスは子供ら親族は全員がフレータス姓ですが、女色を好むようで夫人の何人かは別氏、今の人は同姓なのかな?ブラジルは2002年から別姓ができるように法律を改正、その理由が婚姻(離婚法)によって女性の姓が消滅し離婚後にもとに戻らないのは侵害だということが理由の一つだそうで、融通が利かないのが法律改正の理由の一つ。日本は外国人が中国など麻薬に厳しい国なら間違いなく死刑になる量を持ち込み摘発されても不起訴で終わるような、抜け道だらけの国、日本国民が薬物汚染に巻き込まれているのに政治は修正しようともしない、そんな温い国で同性婚、夫婦別姓もいくらでも政府の認可をもらわなくても疑似的な生き方はできるのに(実際している)もかかわらず譲れと法律改正を求める。

 

 

他にもスリランカのように4つぐらい父姓をつけるとか、アフリカ(植民地にされていたくには他国の文化が組み込まれて違うところもあるようですが)も二項連名方式 や三項連名方式の父称、イスラム圏も同様に父称(パキスタンなら称号、本人 父の名 姓)を引き継いでいるとか、ほとんどの国が慣習を継承、そして韓国の別姓が儒教の影響で血統が重視されているように、法務省(2)別氏原則のほとんどは族制がそのまま残った結果だと考えられ、族制を言い換えると血のつながりのないのはどこまで行ってもよそ者、それは進んでいるとは言わない、つまり推進派のいう女性の人権としての別姓は少数派(世界195~196か国あるのに推進派が出してくる表に人権としての別姓国は約20か国ぐらいしかなく、ということは175か国は族制の別姓)である。(結婚後に夫婦のいずれかの氏を選択しなければならないとする制度を採用している国は、日本だけです。)どうして日本だけ、アジアで最初に近代化したからで、廃藩置県で藩が県に置き換えられたように族制から公的領域に入れられた、戦後は専業主婦が増えて家に入り込むのでどうでもよいと考える人も多かったのでしょう。離婚後、元の氏名に戻るのも難なく出来るから特に大きな問題はなかったのでそのままということが考えられます。

 

ここの検証で試したかったのは名前の付け方の違いから日本は遅れているのかを探ることで、氏名の付け方には国それぞれの慣習的かつ多元であり、自由民主主義の国よりも権威主義国の方が多いように、人口の多い方で見るとアフリカ圏やイスラム圏のように今も族制的な慣習は残っていて日本はいまだに家父長制、男性中心主義的だから遅れているとした批判については注意が必要かもしれません。「日本はいまだに」は自由主義国を指している場合が多く、しかし他所も子供の名前を付けるときの順序は父姓が前で母姓が後ろという決まりがあったり、基本は父姓(父称)の使用なので男性中心主義的な名残はあり、ほとんどの国が父姓(父称)を使用し祖父や曾祖父の氏名を子孫につけて伝承し氏名に信仰、先祖崇拝の意味合いを強く感じます。諸外国は氏名に先祖の証を残していくのに対し、日本は名前を結合させたりしない代わりに戸籍でそれを代替しているという風に見ることもできます。最初に書きましたように日本が遅れているという理屈にすると婚姻しないで婚外子60%目指そうぜとなるのが正解ということになります。ただし金をとられたくない男性がゴムをつけてのSEXに専念すると今度は国に大変困ったことが発生したりします。

 

 

 

 

小休止

 

古市憲寿「なんでただのデータベースに愛を持てるのか」、堀江、「戸籍なんか廃止でいい」辛抱「日本の低迷につながっている」普段は彼らが忌み嫌うネットイナゴの手法、ワンフレーズの意見表明。あまりにも味気がないので私が書くと

 

戸籍に入れただけで財産のある人は多くを奪われ、東京ソナタという映画に描かれているように仕事を失い養うという責任を果たせなくなるということから死を選ぶ人もいる、一人ならどれほど楽か、婚姻も紙きれ一枚なのに、ただのデーターベースに命を懸ける男たち。きっと戦争で死んでいった多くの兵士もデーターベースに命を捧げたのだろう、しかし丙種合格や良心的兵役拒否(白い羽運動)は女性たちから見下され、現在風なら肩書も金もない男になるでしょうか。人間の値打ちはホワイトカラーの肩書や資産で決まりクレジット、ビットコイン、証券ら金融資産やAIが蔓延るように社会はたかがデーターベースに管理され翻弄されている、そりゃ低迷にもつながりますよ、資本主義なんて廃止でいい、映画ファイトクラブにもありましたが、各国のデーターベースの入っているビル(データーセンター)が破壊されがれきの山になると持たざる者たちから歓喜の声が上がった、さあ革命のはじまりだ!。

 

 

女性の権利


平等は同じ人間という枠組みだけに収め、戸籍に入る婚姻は義務であるが強制しているわけではないので、すでに婚姻している人は苗字にこだわれられているのなら紙切れ一枚のことなので離婚、それか世帯主になって男が女性の戸籍に入るか、婚姻(事実婚)しなければ済む話という複数選択があり、婚姻数が減り少子化社会において別姓を希望する人たちが結婚しなくても影響なんてない、遠慮なく権利を行使し「自由」に生きればよろしいのでは、財産を持っている男性も、奴隷道徳を好む政治家らが財産分与に手を加え結婚するとえらい目にあうかもしれないという道筋をつけたので合理的な人なら結婚はしない方が正しい選択になるかもしれない。金持っているのだから子孫は契約的なことで対処・・・義務付けの婚姻(戸籍)という観念は恐ろしいもので、江戸時代は離婚、再婚率(女性は子供を産むのと働き手としての価値)が高かったのに、あっという間に下がって(責任を持たしたら張り切りすぎて婚外子まで増える始末)、その観念がなかったら安倍の美しい国の提案の中に家族の責任を紐づけようとする箇所があり不服を漏らす人もそれなりに存在していたので、ホームレス中学生の家のような、親父の「はい解散」という号令一つで家族を捨てきれる人も出てくるでしょう(いらなくなるとそこら辺に捨てる生類憐れみの令を出される価値観の人たち)と、丁度、働き盛りの年齢で女性よりも倍以上も多めに死ななければならない女尊男卑の社会で男性の自殺率(活躍というなら役員や議員数だけではなく世帯主や自殺者数でも男性と肩を並べる覚悟が必要)が下がる社会実験になるかもしれないから、夫婦同姓が時代に即していないというのなら徴兵の義務が今はないように「政治家の責任」で婚姻制度自体を廃止すれば男性側の養わなければならないとした固定観念の脱却が進み、男女平等も進み、婚姻に関するあらゆることが丸く収まり多くの人を助けることになるかもしれない、そして国民国家の公的領域から脱却し私的領域の中で生きていけばよろしいのではないでしょうか、それが明治の戸籍と婚姻制度を否定するということ、要するに国や女性子供にとっては大変困ったことに発展するかもしれないことに奴隷道徳を好む政治家たちは手をかけようとしているけれども、権利、権利の奴隷道徳と、それに寄り添うことが人徳であり選挙に有利と考えている人達はずるい人間なので廃止は損をするから裾野広げて恩を売ろうと画策しようとしている、それはマイナンバーカード一つにしても不服に配慮し資格証明書を発行するように。けして皮肉で言っているのでも極論でもなく海外に比べ日本は遅れているという主張なのだから、その進んでいるという海外が蝶のように舞う恋愛感覚で2人か3人に一人が婚外子ということなので、その模範をもう少し踏みこむと自然に婚姻制度自体を廃止を念頭に置いて議論するのが論理的思考というものです。選択であろうと夫婦別姓のような何の役にも立たない改変をするぐらいなら婚姻制度自体の廃止を強く求めたい。それで差別云々の婚姻に関するあらゆる問題は終わる。無論、夫の財産は夫のもの、女性の財産は女性のものに法律の改正も同時進行のセットで、なにせ平等ですから。

 

 

女性の権利を追求したら男性の開放につながる不思議、2000年800万世帯存在していた専業主婦世帯が2022年には400万世帯と半減、それは婚姻数の右肩下がりとも一致する。私の勘では不況9割と男女共同参画1割で得られた結果だと思いますが、二兎を追おう者ものは一兎をも得えず、何かを得ると何かを失う、それぐらいは考えて政策を決めているだろうと考えるのは甘い考えで、例えば道路交通法が改正され自転車も青切符の対象となりましたが、現在は第一次モータリゼーションが始まる前程度に死亡事故の水準は低下していて自転車の事故自体も減少している、どこに厳罰化しなければならない要素があるんだと不思議に思う、一方でループなんていうモーター付きの乗り物が免許なしで路上で走れると22年の電動キックボード事故件数と比べると今は5倍増えているとのこと、飲酒運転等の悪い話もあり、思い当たるのはこれだ、とすると、まさにマッチポンプで、ループなんて乗り物は都会に多く、また道路交通事情も都会と田舎ではまるで違い歩道を走れないのは逆に危険な場合もあり、環境が違うのですから本来これは地域の事情で対応するのが適当と、そういう考慮もなく法律が改正される。田舎の小中高生は都会の事情と大人の思い付きの帳尻合わせに巻き込まれたのである、と指摘したところで頑なに認めることはないだろう、それは学校を統括する文科省の事務次官が出会い系バーに出入りしていても調査と言い張ったように←勉強ができるといっても、この程度の人間性です。こういうところから日本の政治行政に関する問題が見えたりします。公明党に配慮してなど、物事の根拠よりも、もたれあいによって物事が決まる政治、そして結果が悪くても責任を取らない。それは自動運転のような「これから」を考えるうえで肝心となるものに関しては、誰も責任など取らないのに事故が起きればのような理屈がここでは湧いてきて、表に出てこない「もたれあい」で進展が遅れている。それはライドシェアの件からも理解できるでしょう。(私はライドシェアよりも自動運転、特に田舎からどんどん開始したほうが良い派)こういうのは明らかに行政の責任で日本は遅れているのですが、そういうのはあまり声高に出てきません。「もたれあい」の問題は民主制なのに現在のように共産党が政権を担っているわけでもないのに、共産党が政権を担っているかのような政策(家事育児の社会化、無償化など共産主義の政策)が実行されたり、日本人のほとんどは創価学会でもないのに、与党の一部というだけで公明党というそこの影響がある政党の思惑が反映されているのは統一教会や日本会議よりもはるかに問題。

 

一例

2020年、菅総理の時代の話で医療費の窓口負担を75歳以上も2割に引き上げるときも一律ではなく単身世帯で「年収200万円以上」としたのは自民と公明の協議という名の「もたれあい」によって決定されたものである。

 

同性婚、夫婦別姓を求めている側の感情に訴える論法の一つに「幸せ」というのがあります。それを聞くと正直なところ半笑いになってしまいます。レヴィーストロースの親族の基本構造にあるように、そもそも婚姻が「交換」ということは、キルギスの誘拐結婚(アラカチュー)やロシアの伝統的な結婚の儀にも花嫁の買い取り(выкуп)というのもあり、現在でも部族間同士(なので近親婚も多く、児童婚というものまである、上に書いた公的から私的領域ということはこういうこと)の婚姻は家を強くするための安全保障的なものとか、別のもの(例えば納采的に家畜とか)との交換に用いられていて、それは日本でも天皇家に娘を嫁がせる外戚政治、許嫁や戦国時代に政略結婚が執り行われていた。そんな婚姻が幸せかとなれば、戦火の合間の合間こそが幸せに感じたりするかもしれませんし、私的領域から公的領域に組み込まれたということさえ不満を持ち不幸だと考える人もいるので、何が幸せかは難しいものです。それが明治に入り制度としての婚姻ができたということは、婚姻が私的領域から公的領域に組み込まれたということを示していて、一応はそれにより男は養育の責任を持たされ女子供は公的に保護されているということになっている。それに対して自由民権運動の岸田俊子は(#1三従の道が善良正道だと箱に押し込む、いわゆる函入娘「箱入り娘」はよろしくない)と逮捕されながらも運動をしている。箱入り娘=保護はよろしくない女性も学問を身につけ自立すると、その後、解放されて出てきた一面が(コインロッカーベィビーが社会問題になったり、桂朝丸がウィークエンダーという番組でこいつ(男女)悪い奴でっせとやっていた時代、80年代後半には保険金目当てに旦那を殺害する主婦も出てきた。81年にはロッキード事件の「蜂の一刺し」があり、東山紀之の必殺に枕営業がネタに使われていましたが、必殺シリーズは世相を反映したネタを使うことがあり「今の世の中、男は女の力に負けそうです」というナレーションで始まる新必殺仕舞人は1982年の放送で、1982年で言えば1/3愛して、ハッピイに生きたいギャルとオジさまの愛人バンク、その後も援助交際、パパ活、頂き女子りりちゃん、立ちんぼ)そうして不同意罪 色恋営業禁止であたらしい公的領域における保護と、私からすればもうええでしょう以外にかける言葉はありません。愛情が深ければ深いほど背負う苦は相当なものになるので、それが幸せ?と聞かれると神妙な面持ちになる。「幸せ」を求めている方は婚姻はその苦を背負うということでもあるということを理解しておいた方が良い。ちなみに私が問うている幸せは精神的幸福を指しているのであって、日本の女性の幸福度は非常に高いらしいが、恐らくそれは物質的(それも精神かと問えば精神ですけど)な幸福度であり、物質的な幸せは金と物がマストなので連れ添いはそれを運んでくる日本風に言うとATMというところでしょうか。男女雇用機会均等法から39年、男女共同参画から25年経過して(もちろんそれを誰が言っているのかの問題はある)出てくるのはあらゆることの責任を女性も持つ(実社会では持っている)ではなく、与えろ、譲歩しろ、幼児のように扱えで、今度は夫婦別姓にならないと日本は先に進めないらしい、「政治家の責任」で婚姻制度自体の廃止を激しく求む。

 

#1不思議なのは三従は儒教や仏教の道徳であり明治政府は神道を推して廃仏毀釈 まであったのになぜというのはある。

 

日本の婚姻から見てみると、支配層の貴族と庶民に形式的な違いはあるものの婿取婚(妻間婚、招婿婚、対偶婚、経営所、 擬制婿取婚というのもある)嫁取婚、寄合婚といろんな形態の婚姻形式が存在していたようですが、妻間婚は同居せずに通い夫で子どもは母親側で育てるというもの、招婿婚では男が女性の家に上がり込んでうまくいけばそのまま居付くという形に変化していき、庶民の方は夜這いという感じの方がわかりやすいでしょうか、女性の家に行って気に入られるようにふるまい気に入られたらそのまま婚姻という。それから女性を向かい入れる嫁取婚というのは御成敗式目のように武士が権力を持ち父系が勢力を持つようになってきた変化で、庶民の方は女性は子供を産むのと働き手としての価値を吟味され、男性側の家に入っていくというのに代わっていった。これは江戸時代まで続き、明治に入って公的領域になって寄合婚となりましたということですが、こうした婚姻の形態はどれも現在にも存在しているように昔もいろんな形態が混ざっていたのでしょう(←歴史学者で母権等の論争がある。)ここ大事ですが、公的になる前の庶民の私的領域での婚姻は村内と村外の意識はすごく強くて村外に出る婚姻は顰蹙を買い家に大勢で石を投げられることもある村社会。それが公的領域になったことで両性の合意なんてものが出てきて、今は一応、自由恋愛の婚姻(寄合婚)となるのでしょう。日本も元々は夫婦別姓だと主張するのならもともとは婿取婚も普通に存在していたということも合わせて論じる必要があります。

 

 

自由恋愛といえば社会、共産主義(ブルジョワの家族死滅論=家事育児の社会化=完全な男女平等=短期の婚姻、共産主義の世界では家族や結婚もなくなり蝶のように飛び回る自由な恋愛観、それは共産の社会において実現するというもので)が主張していた経済的支障が女性の社会進出を阻害しているから男女平等にいたらない=資本主義の弊害としており、社会共産党系の人たちが夫婦別姓を強く推しているのは偶然ではありません。しかし資本主義の契機から結婚を選択しない、できない人たちは出てきたけれども、社会共産になったら経済的支障から解放されて男女平等になったという形跡はなく、家族も死滅しなかった、見果てぬ夢なのでしょうけど、そこからわかるのは別姓にしたところで単に生まれた時についていた名前で終わりたい人は満足感が得らるかもしれないが、女性の権利、未来が収奪されたと論陣を張っている人達は唯物史観的に家父長制、男性中心主義的が自分たちの邪魔をして活躍できていないから邪魔する存在を破壊しないと前にすすめないという発想に基づいているので、別姓になったところで満足はできないから家族死滅への道を追求するしかないけど、それは国の利益と相反するので政府がまともなら果たせぬ夢となるのは、ブルジョワの家族死滅論はソ連が1918年24年の憲法で別姓 複合姓 事実婚 重婚を実現したが、国家にとって思わしい結果(出生率の低下など)に至らなかったから1930年代に反家族政策は修正されて家族死滅から家族政策に転換している。ロシアが別姓なのはその名残。逆に生めや増やせの家族政策が強化されるとニコラエ・チャウシェスクの法令第770号避妊、堕胎の禁止や独身税が出てくる。ソ連は10年もしないうちにイデオロギーの柱の一つでもあった家族死滅論は国体にとり損しかない意味のないことだと理解して転回(この裏ではクラーク撲滅運動でゴロゴロ死体が出ているのですが、そんなことをする人たちでも損得は気づく)、日本は1999年の共同参画から25年目に入っているようだけど、逆に加速しようとしていて、まともじゃないということを表している。そして家父長制、男性中心主義的が自分たちの邪魔をして女性の権利、未来が収奪「未来を希望をかえせ」されたとしているが、別姓で継ぐのはその父姓であり、おまけに同姓は差別だというが血統主義からいうと別姓はどこまで行ってもよそ者扱いである、また、自由が~としながら政府の義務の制度に入ることに執着していて、いったい何を信念の柱にして主義主張をしているのか私にはまったく理解できない。←のような考えを持っている人間はアンチフェミニズムであり、女性が仕事育児家事に追われているから社会で活躍できていないことを考慮していない、別姓じゃないので女性が社会で活躍できない!なんてマリー、イレーヌのキュリー親子が聞いたら、せやろか?とびっくりするだろう。結果を出してもそれを認めない今とは比べることができないぐらい女性に厳しい環境の中、フランス語を学習して3か月後に受けた検定試験で筆記は受かるも口頭で落ちたが、今後フランスでの研究を考えると落ちてよかったと考える湯浅年子らは戦火のなかでも自分の好きなことに必死に向き合って結果を出しいている。まともじゃない日本政府の女性の活躍なんていう政策は、逆に女性の活躍の道を作ってきた人達を愚弄している。女性の活躍には婚姻制度の廃止が大変おすすめですが二兎を追おう者ものは一兎をも得えず、何かを得ると何かは失うかもしれませんけど。

 

 

婚外子約60%のフランス ピエール・キュリーとマリア・サロメア・スクウォドフスカ=キュリーの子供がイレーヌ・ジョリオ=キュリーでイレーヌはジャン・フレデリック・ジョリオ→ジャン・フレデリック・ジョリオ=キュリーと結婚し、できた子供がエレーヌ・ランジュバン・ジョリオ、マリーキュリーはポーランド人なのでスクウォドフスカ女性はwska 男性はski  

夫婦別姓の議題にまるで出てきませんが結合姓の国も多い。

 

 

これだけ書いといてなんですが、私自身は氏名にそれほどこだわりがなく、というのも、元僧侶なので改名した経験があり、それから字画を変えたら運勢が変わるみたいなのも、程度の悪いのは字画が悪いからだと高僧と呼ばれている人に漢字一文字を変えてもらったことがありますけど当然ですが程度の悪さとは関係がないので、いつしか使わなくなった。ということで私は変えることに抵抗はないのですが、そういえば昔、子供に悪魔と名をつけようとして騒ぎになったり、最近も太郎をジョージと呼ぶのはダメだと法務局からお達しがあったりとするようですが、そういうことから両親の思い入れもあり、姓と名どちらに愛着があるのか難しい所ですが氏名に誇りを持っている方もいるでしょう。根拠、道理の中身は感情にしかないのこちらの感情に対しては伝統(伝承し氏名に信仰、先祖崇拝)が理由なら目的も叶いますし私は道理はあると考えますが、もう一方の感情は唯物史観的な発想なので別姓にしたところで解決するわけでもなく、資本階級に属するブルジョアの家族を破壊することで資本主義を破壊、そこから共産化していくという思想のように家父長制、男性中心主義的が自分たちの邪魔をして女性の権利、未来を収奪しているという主張であり、家族を死滅するまで目的は果たせないのだから婚姻制度の廃止を目指し、それで家族というのは破壊できるでしょう、さらに教育の義務、勤労の義務、納税の義務もやめて国体を消滅させて、アナキズムでも目指しますか?現在のコンゴみたいになるかもしれませんが、そういうところはずるいから国の庇護を欲しがるんでしょ?結局、破壊するけど何も作れない、先人が作ったものの上で生きているだけなのに、思い違いをして自由、権利として破壊する。←よくこんなのに付き合って時間を無駄にできるものです。それも政治家が主導しているのだから救いがたい

 

 

 

さて合目的となる婚姻制度の廃止をいくつかいたでしょう。