地獄への道は善意で舗装されているという格言、外国人に権利をという善意を口にする人々が日本の中にいて、外国人に権利が与えられたとしよう、移民の方々がお人よしの馬鹿じゃなければ、その与えられた権利で、どうして自分たちが稼いだ金で日本人に社会保障を与えなければならないんだ馬鹿じゃないの(そりゃそうやな)でばっさり切られる未来も考えておかないといけない。これまでお人よしの馬鹿か連帯、共同体ということで維持してきたものが、人口動態的にどうも無理そうなら日本人自らざっくり切った方が良いのでは?社会保障。こういう発言を肩書ある人が言うようなもんなら、差別が~と大騒ぎをする地獄への道は善意で舗装されているところの善意の人たちは能書きは垂れるも、それなら能書きたれている人たちだけで金を出したり責任も持ってとはならないで、物事を複雑にして拗らせることしかしない度し難い人たちが日本の中にいる、移民政策反対に他にも理由がある中で私はこの度し難い人たちの存在が反対している一番の理由(原因)です。

 

繰り返しになりますが、問題は絶滅危惧種になるかどうかということにあります。ところで何の目的で移民政策をしているんでしたっけ?、理屈的にはGDPとか人手不足、それに8000万人の人口維持となっているのかな?、出生率は欧州も一世代目は育った価値観が違うので出生率に貢献しても2世代3世代になるともう生活が欧州人と変わらなくなると思いのほか出生率には貢献しない。GDPと人手不足に関してはもちろん人手不足で不足している会社からすれば大変ありがたいことで助かっていて、貢献いただいている外国人の方々には感謝しなければならないのでしょう。しかしそれは今を逃げきる」単なる一時しのぎに過ぎないのですから絶滅危惧種の解決策ではありません。GDPと人手不足は少数社会を目指すなら避けて通れない道で甘んじて受け入れなければならない、それが第二の道(選択)の少数社会を目指すという事。そこから近視眼的発想である一時しのぎの何が問題なのかというと、物事を複雑にして拗らせることしかしない度し難い人たちが日本の中にいて、インフラが維持(一億二千万人が設定のインフラ)できないというものがどういうものか理解させないと社会に一石と拗らせてきますというのはパート2にも書きましたが、少子化というのは自由という価値判断を受け入れた国の傾向で日本だけの問題ではなく、その絶滅危惧種を受け入れる道を選ぶなら人手不足でインフラが維持できないなんて言っていないでインフラの縮小(少数社会に現状維持のインフラなど必要ない、いったい誰の何のための現状維持なの?)、整理をして少数になっても維持できる社会構造を目指していく2つ目の道の準備をしなければなりませんが、その邪魔になるからですというのは、失われた30年を考えてみてください、30年経ってもいまだに浮遊しているように、一時しのぎで何かやっている体にさせていると、この国は切り替えることが恐ろしいほど遅いので少数に耐えられない社会構造のまま突っ込んでいきます。それが先の戦争、戦後レジューム、失われた30年の教訓です。そうは言うてもどこの馬の骨かわからないお前の意見よりも政治家や官僚の方が信頼性があり、政治家や官僚はそんな話はしていないし、それなりに熟慮しているのと違うか?。どこの馬の骨かわからないは、その通りですが、


「クレーマー 非正規(安月給) グローバルだから英語教育=社会に一石に調整しようと待遇の割に要求されることが増大し精神疾患を患う教職員が増え、非正規で補い教職員を目指す人が少子化の中で減っているといわれている中、日本語が不得意な移民の子供たちに人材を割り当てて・・・という課題に、馬鹿なネットウヨが優遇だと騒いでいるに対し賢い人たちは疎外されるとグレたりするから同化政策は必要だというのを見抜いているとした議論がネット上で展開されていた。賢い人たちは、恐らく反社ドラゴのリーダーの話の影響を受けていると思われますが同時代に良家の子供もいた関東連合の存在で言語がどうのこうのはかなり少数の言い分でしかないということで終わりそうな話です。彼らの残虐性は生得的なものか与国秀行さんの言うように怖いから余計に残虐になった、あと残虐な事件が起きると、なぜ、彼らは・・・と理由を探し求めますが俺の方がすごい的な単なるマウントの取り合いだと考えられます。衝撃なことを教えましょうか?アメリカ生まれの人はギャングもホームレスも英語は話せるんです。言語はその程度のものでしかないということですが、以前は大学卒とかそういうのしか日本に入れなかったので、要するに親の遺伝が多分に影響していてそこら辺の人たちは日本語に問題なく対応できる子供がいて、私の近所にも、関西弁で「なんでやねん」と話をしている子供の声が外から聞こえたので窓からのぞいてみると北欧出身の2人(小学1年生)がいて、顔は知っていたけど話しているのは初めて聞いたので違和感のない「なんでやねん」に、にやけてしまったことがある。その親御さんも流暢な日本語を話すらしく、家での会話は母国語と聞いた。親御さんが日本語ができるのは有利な点だろう。他方、親御さんは日本語はまるでダメなのに子供は話せるというのもいて、子供が通訳替わりをしている。アフリカにルーツがあるレジ打ちしていた人も滑舌の悪い私より流暢な日本語で、いずれにしても小学生レベルの言語で苦手とつまずいているなら(本当の問題は学校に時間どおりに来ないとか親子ともに習慣の違いがあって現場は大変だと聞く)言語ができてもホームレスと書いたように、それ以降は苦労することが考えられ、年間2万人自殺者を出している社会ということを含めて考えれば早めに母国に帰して、必要以上の学力がいらない社会で生きていた方が幸せではないのか?家父長制よりもさらに関係の濃い部族社会の出身ならなおさらです。こういうハードルを下げた移民政策を企て後になってから大変だと言っている程度の思い付きでやっているから、人手不足だから移民をという前提なのに、待遇の割に要求されることが増大し精神疾患を患い教職員を目指す人が減っている人手不足の現場の迷惑も考えずに人手が必要なことを思いつくのでしょう。」

 

 

このように考えていると言っても思い付き程度の考えを政策にし、その責任も取らないでのうのうと国を運営しているということは皆さまもご存じでしょ。こども手当と言って何の結果も責任も果たしていないのがいまだに政治家でいて今では大学無償化(税金化)とか言っていても当選できるのですから反省なんかするはずない。「政治家の良いことをしている」というのは何もこれだけの話ではなく、人手不足と言いながら「働きかた改革」として運送業界にさらに負担をかける「960時間上限規制と改正改善基準告示政策」というのもありました。事故を考えれば当然だろうということが聞こえてきそうですが、移民政策擁護派がいう移民政策をしても治安は悪くならない、報道で体感的に増えているように感じているだけだを参考にすると、昔に比べれば死亡事故も激減しているが、事故が起きると大そうに報道されて規制ばかり強化されるというのと一緒です。ここの問題も最近になってようやく気が付いたのかはわかりませんが「下請法改正案」が出されたようで、そこは評価できるでしょう。そういうことですから失われた30年を生み出した脳内政治でやった気にさせていると少数になっても維持できる社会構造の2つ目の道にはたどり着けません。現に宇宙予算、情報予算を無駄だとして削減を主張する50席も議席を伸ばした立憲という野党がいるでしょ。目的に向かわず明後日の方向へ進みます。無駄というなら個人的な感情で判決を出すと私に思われだした裁判官のことで、AIの方があらゆる面(人間がすると遅いので熟慮をしているように見えていることからの納得感が唯一のメリット)優秀なので廃止で問題ないと個人的には思う。AI裁判官なんてまさに少数社会の先進的な態度でしょ。

 

人権と言っていたらお仕事になるメディア、ポエムに合理的理由を求める司法、国民(国)ではなくなぜか中国などの外国にウインクしているように見える政治家、何か見事なまでにAI~に変えた方が効率も中身も良くなりそうな職業の方々ですが、なぜこんな責任者不在の日本で社会が崩壊せずにいるのかと、子供たちなどは疑問に思うかもしれませんが、秋葉原の加藤智大に警棒で向き合った巡査さん、しどろもどろの東電経営陣に対し吉田所長と事故に対応した職員の皆様、職務を果たして津波に流されてしまった巡査さん、復興作業の方などなど、責任がないわけではないけど「肩書的」には知らんがなで責任(職務)を放棄しても構わない大勢の人たち(もちろんこの中にも職業と関係のないところでは酔うたような衆もいるでしょうが)が制服とかについているほんのわずかな責任に責任感を持ち身を挺して無責任を下支えしているからです。少数者社会を目指すということは無責任を下支えしている人も減るということです。それを書いたうえで少子化は自衛隊の隊員にも影響するでしょう。私が憲法9条の2の改正を口にするのも自衛隊を誇りある国軍とし名誉(改正しただけで名誉がつくわけではないかもしれないが)ある職業として定着させて志のある人を集めないと徴兵というのが出てきて、そしていつまでも敗戦の贖罪国民意識を変えないと人もいない武器も今一つでどうやって国防するの?人がいなければ外国人を登用すればいいでしょうという声も聞こえるが、現在考えられる相手は中国ロシア北朝鮮で頑強な軍隊です。裏切る内密者もいるし、アフガニスタンやシリアの軍人のように(反政府軍はゲマインシャフトで政府軍はゲゼルシャフトの関係であった)いざというときに逃げたらどうするの?を考えていないんじゃないのというのがあるからです。橋下徹さんの降伏論や上野千鶴子さんの「守られて」みなければ、敵のほうがもっと「いい男」かもしれないのだ、のように降参を考えているの?。いずれにしても先に少数者社会を目指すか、社会に一石の価値判断なんていっているようなのは相手にしないで繁殖を選ぶかの選択を考えなければならないんですけど、今逃げ切ればよいと思っているから多様性とかそちら系の話で何かやっている体にして、本当に必要な話は逸らす。それを、事実を知らしめるのが報道の役割とほかの国の報道人は考えている中で偉そうに権力の監視とか口にする日本の報道は一緒になって多様性とかそちら系の話をして目をそらさし権力の監視どころか逃げ切るための援護射撃をしているようにしか見えない。腕章や民意のバッチを身につけているけど肩書や権力についている多大な責任のほんのわずかさえも果たそうとしない無責任な人たち。

 

「老後はシルバーハウス」は田嶋陽子さんですが、上野千鶴子さんも

 

 

 

 

 

「若い世代は親の介護から学ぶことが大事」

ちなみに、私たち団塊の世代は物わかりのよい老人にはなりません。暮らしを管理されたくない、老人ホームに入りたくない、子どもだましのレクリエーションやおためごかしの作業はやりたくない、他者に自分のことを決めてほしくない、これが私たちです。上の世代のように家族の言いなりにはなりません。

 

というようなことを語って社会に一石を投じている様ですが、私の解釈でおひとり様の老後と死ぬというのは独居死のことを指すのですが、世の中には他人に面倒を見させて死に水を取らせることだと解釈している人もいて随分な解釈の違いがあるのですが、これほどの乖離があれば、簡単に社会に一石を投じる人たちは自分で選択したことを守り責任を持たないのだろうか?とか疑問を抱いたところで、そりゃ持たないだろうなっと。これほど解釈が違うと在宅が成立していったプロセスまでイメージは大きく異なるようで、黒い家という映画に伊藤克信さんが演じる病院に住み着く人がいて、映画の設定では保険金をだまし取ろうとして、小林薫さん演じる元筋ものの保険会社の社員が話をつけるというものでしたが、制度が変わる前は長期入院する人はいて、私が知っているのは数か月の余命告知をうけたが3年生きていて恐らく入退院を繰り返しているお年寄りがいた。この人は仕方がないと思うけど、悪い言い方をすれば制度を変えなければいけないほど病院に(様々な理由から)住み着く人もいて社会保障医療費の負担になっていたんだろうと想定できる。そのころには付添婦というのがあり、病院内で雇う身の回りの世話をする家政婦さんのことですが、医療関係では数少ない自由経済の個人契約で料金は安くはなく、うまくやればかなり稼げる商売でもありお金が工面できる人だけが使用できる贅沢なものでした。それを長期入院を是正することで付添婦も姿を消し、良い言い方をすれば死生観にも多様性があり病院で死ぬだけが道ではない、家に帰って死にましょうと(入院には日数の規定があり)家に帰す在宅を取り入れ介護認定された場合はその等級により付添婦を公的に利用できるようにしたのが在宅制度と、煽りを入れれば以前はお金が工面できる人だけが利用できるサービスを介護認定されたら老後は家政婦を安価でもてる制度であり上野さんが誇らしげに語るおひとりさまでも安心ということです。(一方、余命告知を受け病院ではなく自宅で死ぬことを選択したことを支える地域医療の在宅というのもあります)在宅が成立していったプロセスのイメージが随分と異なるでしょ。おひとりさまでも安心、それが維持できればというものですが人口動態的にもすでに難しくなっているというのは、この前、大阪西成でひき逃げがあり犯人はすでに逮捕されたということですが、ひき逃げされて亡くなった方の肩書は介護ヘルパーで年は上野さんと同じ76歳、老人が他人の老人の介護(家政婦)をしているという現実、良い見方をすれば元気で働けるのはいいことだと言える、悪い見方をすれば金がなければその年になっても労働が必要で介護というのは医療というよりも76歳の後期高齢者にもできる家政婦業務だということがわかる。付添婦は子供から見ておばちゃんという年齢でしたが今は後期高齢者もいるのですね。交通整理している人にも見かけます。後期高齢者も生きていくためとはいえ無責任を下支えしています。暮らしを管理されたくない、家族の言いなりにならないでいえば、私の祖父も家族の言いなりになるのを嫌い、心臓が悪かった祖父を父親が都会に連れてきたが、数日だけいて孫の私に「悪いな、いやなんだ」とだけ言い残して一人豪雪地域に帰っていった。なのでやはり私のおひとりさまという感覚は独居死を選択するでしかなく、別に悪いことでもなく、それも一つの選択ということでしょう。

 

世代間対立を煽るなとありますが、後期高齢者になった一部の方々の社会に一石が成就し、少子高齢化が発生、その結果、公的医療保険や社会に大きな歪み(自己犠牲精神を持つ方々の減少)がでてきた中で、皆で支えあっている制度を後世の人のために維持するにはどうすればいいのかを考えなければならないのに、立派な肩書の責任のある立場でなおかつ社会に一石を投じて今の結果を作り出した方々が今を逃げることしか語らず、またぞろとそれから目を背けさせるためなのか?報道も一緒になってわけのわからない社会に一石とやっていて、世代間対立を煽るなと言っている。この立派な肩書の方々には社会に一石に飛びつくのは好きだが無責任という親和性があって、それは物事を複雑にして拗らせることしかしない度し難い人ともつながりがある

 

最後に親和性がある立派な肩書を持つ方々は酔うたような衆の方向を見ている、ということは日本の運命は「酔うたような衆」あなた方にかかっている。後世のために酔いを覚ましてふざけたワイドショー政治に怒ってみてはいかが?


人生幸朗の「責任者出てこい!」の時代が懐かしい。