見る角度で同じものでも随分、印象が違ったりするのは珍しくありませんが、Xにぺろぐりの震災に関する著書を参考に阪神淡路震災の救助やボランティアについてポジティブな感想を持っていて、一方、それに比べると今はダメだのようなことをポストしていた人がいて、戸惑った、というのも私は阪神にあまり良い印象を持っていないから、この方の平成7年と令和6年を比べて日本はあの頃はよかったに見えていることに興味がわいた。なぜそう感じるのかの理由はその方のポストを読めば「助け合い精神があった」わかるのですが、私からすれば政治もメディアも国民も今も昔も相変わらずという感じです。

 

阪神淡路震災で私のところも瓦屋根が盛り上がるという被災にあいまして、当時を振り返ってみると轟音と激しい揺れで5時46分に叩き起こされ、水槽からこぼれた水を拭いたりして、私は普段あまりコンビニを利用しないのですが気分転換に何か買い物をしようと7時ぐらいだったかな、コンビニに向かったら戸棚にラスクしか残っていなくて、しかたがなく手を伸ばそうとしたら、リックサックを背負ったおっさんが後ろで物欲しそうに見ていたので、「私は困っていないのでどうぞ」と譲った。原付で買い出しに来ていたようで、向こうはすでに店に食料がない状態だったのだろう。そんなことはどうでもいいのだが、当時、私が住んでいたところは神戸から近くもなく遠くもなくライフラインも何もかも普段と変りなく震災でインフラが破壊されたところとはまさに別世界でした。それで何が良い印象を持っていないかというと、あの阪神淡路の震災はボランティア元年と呼ばれているらしく、確かに多くの人がボランティアに参加したといわれています。中でも地元の普段は不良と呼ばれている若い人たちが積極的に貢献したといわれています。(山口組も支援していた)一方でボランティアにお前ら汚れているから便所掃除しておけよ(この時点で人が集中する避難所に衛生的な問題が顕在している)、同じ弁当ばかりだと中高年のおっさんが文句をつけて弁当が廃棄されているという人間のエゴの伝聞があり、のちに被災者住宅かなんかの抽選会がTVのニュースで取り上げられていて抽選に外れた中高年らが職員に激高しているのを観て伝聞はさもありなんと思った記憶が残っている。大阪弁は乱暴な言葉遣いという言われるところがあります、河内長野あたりは確かに河内のおっさんという映画のように「あなた」を「ワレ」と使っていた時代もありますが、私からすると兵庫あたりのほうが乱暴な言葉という印象があって職員に詰め寄っているおっさんらも非常に柄が悪かった(多分こういうのはどこの地域でも存在していると思う)。それから被災地の炊きだしに有名落語家が来ていて取材陣を家に招いたのをTVで放送していたが、ちょろっとひびが入っているだけで、やはり金持ちの家自体はびくともしないんだなっと、あと記憶が正しければ二次避難場所なんてなくて金持っている人は大阪のホテルとかに避難していたような話もあって当時はルサンチマン的なものの見方をしたりした。他にも焼き芋かラーメンか忘れたけど高額で商売しているというのが出てきたり、震災後少し経った後、羽振りの良い知人がいて、屋根の営業しているけどがんばったら800万ぐらい稼げるで、どう一緒にと話を持ちかけられたりもした。要はぺろぐり本のボランティアのポジティブな面を見ていると人と、ポジティブな面も知ってはいるが変事の際の人のエゴが浮き彫りになった話が記憶にあるかの差なのでしょう。1995年の平成7年といえばオウムのサリン事件や失われた10年の最初期で景気も良くなく細川(263日)、羽田(64日)そして村山(561日)と政治も安定していなかった。インターネット(ウィンドウズ 95)の黎明期で媒体のフィルターにかけられたものが中心で、もし今のようにネットが発展していれば同じようにエゴ対エゴによる対立が見れたと思います。

 

今回、この方が憤りに感じているのは「助け合い精神がなくなった」震災のボランティアに対する扱いで、その筆頭が山本太郎さんに当たると思いますが、彼がなぜ責められているのか、単純にスタンドプレーの政治的アピールが鼻につくというのもあるのでしょうけど、阪神淡路での自衛隊の出動がなぜ遅れたのかの理由を知ればスタンドプレーと言われる理由もわかります。丸五市場が燃える映像が映し出され次々と甚大な被害が報告されるも、自衛隊の姿がない。自衛隊は地震直後の6時30分災害派遣の準備を開始、伊丹は駐屯地に近いところに偵察にでている(6時42分)、そこで交番の上にある伊丹駅が倒壊して交番が押しつぶされているのを確認、帰着して報告し救助に出ている。姫路にある第三特科連隊から兵庫県庁に電話するもつながらず8時10分にようやく防災課に連絡がついて大災害で災害派遣を要請することになるだろうと県側は伝えた。しかしその後、再び電話回線の輻輳があり電話がつながらない、10時頃に防災課に連絡がついて防災課の係長との連絡をもって要請と判断して出動したが、自衛隊が渋滞に巻き込まれて現場に到着しない。到着したのは午後1時で50キロの距離に3時間かかっている。これでわかるように心配は理解できるけど災害時には電話を控える。不必要な人は現場に向かわないという経験を蓄積できそれが今に生きている。トイレの衛生についてもいち早く汲み取りを要請しているのも経験の蓄積があってのこと。災害の場所や状況によってその方法が変わるのは当然だけど自衛隊は普段の訓練通り動いているし、その訓練した人たちが状況に合わせて出動しているから逐次投入だの初動の遅れという非難は何だろう?こういうところで問題となるのは政治主導のように何もわからない人が口をはさんで現場を混乱させることである(だが想定できることを想定外だといって対策はできていない)。現場は実力以上の力は発揮できないので非難するなら自衛隊に今以上実力をつけるように大事にしなければならない。村山さんも岸田さんも自衛隊に助けられている。それなのにいつまでも微妙(戦力に当たらない)な立場なんてばかばかしくて話にならない。タイミングというものがあるがロシアの侵攻があって安全保障について国民も考える絶好の機会だった、今頃になって憲法改正(私は自衛隊を国軍、つまり最低限ではない戦力を持つということしか望んでいない)を口にしているようだけど不同意罪にlgbtqと男女共同参画らに関連した政策の促進にかじを取り

 

 

 

これどうするの?少子化に拍車かける政策をして、女性の社会進出とか言っているけど保護しない方が必死になるぶん促進するんじゃないの?口で言うこととやっていることが逆のような気がしてならない、そしてついに裏金と派閥解消でレイムダックになっている可能性、これで各議院3分の2以上の賛成と選挙で過半数をとるれるの?非難するならそこだと思います。

 

 

令和6年を4年と書いていましたので訂正しました。