政治関係をメディアを通じてみるとついつい大きな声で口にしたくなる言葉があります。江本孟紀のベンチがあほやから野球がでけへんの「あほやから」です。

 

 

 

とりあえず上の記事から見ていこう。枝野さんの主張の要約は大きな政府で公共サービスが「いつでも安価」で手に入る社会、一方、批判の対象である自民党は民法877条的な家族観は現実から目を背けているのであり小さな政府で企業優先とのこと、私から見ると枝野さんの言う公共サービス「いつでも安価」がどんなイメージなのかはわかりませんが自民は47・5%の国民負担率と61.1%の潜在的な国民負担率(財政赤字)で社会保障の公共サービスを行っていて、当然、今より厚遇なサービスをするにはさらに税負担を大きくするか、誰かが安い賃金でその公共サービスで働かなければなりません。社会保障の国際比較でみるとhttps://www.mhlw.go.jp/content/10800000/000394936.pdf

日本の社会保障は大きくもなく小さくもなく中といったところでしょうか、にもかかわらずどうして1,068兆円の財政赤字なのでしょうか?歳入が少ないのは税金がよその国より低いからです。政府が大きい小さいでいえば社会保障から見ると大きくも小さくもない国ですが、公務員が少ないという点では5・9%とOECDの中では少なく、その仕事(NTT、JR、郵便局)を民間に移行しているというところでしょうか。

 

 

 

 

 

いずれにしても社会福祉サービスの充実、拡張にはお金が要ります。枝野さんは、その歳入を国民の所得を上げることによって可能だとしていますが、経済は蜂の寅話(私的悪徳が公共的便益につながる)でもわかるようにゴーンや最近ではビックモータースですが、私もできませんが皆さんもあんなことまねできないでしょ。十分に億万長者なのにまだほしいという貪欲、それは時に経済犯罪やバブル崩壊で金融危機も引き起こしますが懲りない精神、経済後進国からのし上がってきた国にはそんな人がごろごろいるということで、戦後日本の復興もそれで、枝野さんが否定する昭和自民の金にまつわる話でも理解できると思いますが、日本の道徳教育はそんな世界に生きながらそんな人を嫌う教育なので難しいでしょうけど、経済の再興にはそんな人の育成+その他の真面目な国民性が必要だと思います。ただし、野放しにすると止めどがないので労働法などの法律は必修ですが、そういうことですから欧州並みの税金の高負担か自民の企業優先を否定しての福祉サービスの充実、拡張は絵に描いた餅だといえるでしょう。

 

ただ、所得を上げることは与野党とも今は反対しておらず転職を促したりしています。バイトの時給が1500円で地方破壊などと言われている昨今、猫の手も借りたいの猫の手程度のお仕事なら時給700円で十分かもしれませんが、コンビニで自賠責などの保険やチケット、店内調理と様々な作業に適切な接客態度、正社員と同等の仕事を求めるなら1500円はけして高い賃金ではないでしょう。数年前は最低賃金1000円にしたら雇用が失われるといわれていて、確かに最低賃金を上げれば雇用が減る可能性はある。しかし2001年のマイナス成長(実質経済成長率)の時の失業率5・04% リーマンの5・08%と失業率の高い時もありますが、アメリカやイギリスら他のOECDに比べて低いのは低い失業率の代わりに賃金抑制でワークシェアリングしていたということなら、それの是非はわからないが賃金が上がらなかった一因でしょう。そうこうしているうちに少子高齢で人材確保が怪しくなり今に至る。

 

 

ちなみに2009年のリーマンショックで世界各国の失業率が高くなる中、韓国はウォン安(日本はドル90円台の円高)を利用してスピード回復、失業率も3・63%と低い水準、それはそんな人たちがウォン安のチャンスを逃さず攻勢をかけたということのようです。結果、所得格差が生じ大韓航空ナッツリターンみたいなことが起きると格差に対する怒りが噴出してくるのはどこの国でも同じ話。

 

 

 

 

 

 

本来なら人材確保が怪しくなる前に正社員と同等の仕事ができる人材育成の社会的コストというのは安いものではないということを雇用する側、される側も早く認識していれば随分変わった景色もあったでしょうけど、日本は世界水準でみるとおとなしそうな国だと思うから品行方正が当然だと思っているところがあり、バイトテロ、産業スパイ、横領が起きると、その反発は大きくなるところがある。無断で仕事を休み店の商品を平気で持ち帰る700円の素行の悪い人材×そんなことは理性が許さない1500円の人材である。しかし、そんなことは理性が許さない人材をどこでも700円で雇えるならわざわざ1500円を出そうとする会社はない。結果的に1500円の潜在的能力を持つ人材も700円の仕事をあてがわれるので700円の人材になってしまい人材の能力が生かされていないということになる。適当に作り上げた話だが、110円のドーナツを買うのに私は今まで一度たりとも気分を害すどころか憩いを与えてくれる丁寧な対応のスタッフ、なんでもスタッフに研修があって筆記や実技のテストで昇給というシステムの賜物らしい、これは猫の手のアルバイトではない、俗にいう正規と非正規の問題でワンオペレーションバイトがあるところもあり実力は正規なのに猫の手バイトの賃金で非正規として雇えるなら企業側はそうするワークシェアリング、そして格差は広がる。

 

私が子供の頃は普通に北の国からに出てくる「子供がまだ食っている途中でしょうが」のような無愛想な店があったり、学生の頃のパチンコ店にはキックの沢村や藤原敏男の風貌したこわもての店員がいて台叩いてガラスを割った客を袋叩きにしていた(警備としては優秀)それから若い普通の店員が手を前に組みいらっしゃいませとお辞儀するまであっという間に変化したのを経験したけど、それは非認知能力が必要と仕事に必要な能力は増えたけど時給は変わらないということなら、雇用側は非認知能力を付加価値と位置付けておらず客も慣れて当たり前だとおもっているけど非認知能力を持っているのは1500円の潜在的能力を持つ人材、それを700円で雇えばミクロ的には問題なくてもマクロ的には問題がでてくる、というのが日本の一部サービス業で、一時期、牛丼を280円と極限まで安くする(米国産の牛肉が規制緩和されて安価で手に入ったから)競争の薄利多売があったが企業はそれで儲かって1500円の付加価値を認めているならいいけど280円の為に700円の価値になると付加価値の労働生産は下がる。2022年の記事にアメリカは牛丼一杯827円とあって日本の倍の値段。この点から考えると日本にはマッチングと職業訓練の問題が見えてくる。マッチングでいえば日本の道徳教育が許さないと思うけど女性がファーストフードであんなに丁寧に対応できる訓練をこなせられるのならキャバクラで働いたほうが能力に応じた報酬を得ることができる。水商売だろというお叱りの声が聞こえてきそうだが「ハンバーガー1つください」「ポテトは一緒にいかがでしょうか?」「あ、はい」「ご一緒にシェークもいかがですか」「それじゃお願いします」映画パンツの穴の武田久美子と気の弱い少年の妄想話ですが、水商売、「私も飲んでいい」「あ、はい」「フルーツも食べていい?」「あ、どうぞ」と料金が違うだけで営業の会話はあまり変わらない。この料金の違いがあなたの経済における付加価値で市場価格2万円ぐらいの酒が10万円になったりするところもある。(でも悪い人もいるので気を付けてね)付加価値として認めていない非認知能力のタダ乗りはスマイル0円の藤田田のユダヤ商法の影響かもしれないが、それでもちゃんと明暗はあって何もなかった地方、とりわけ女性の雇用を創出しているということは評価の対象だろう。しかし今後、人材確保が厳しくなると非認知能力のタダ乗り派はロボットで無人化していくのが正しく、私は客が気分を害しないマナーを雇用側は求めるが付加価値としては認めていないところに剰余価値があるともいますが、価値(価格)は労働量にあるのではなく商品に対する購入者の心理というのが正しいので、そういうマナーはそもそも贅沢品で庶民の手から離れて高級~に回収されていくというのはセルフスタンドで経験済み(だから代わりに安くはないカーコーディングがでてくる)それを考えると土建建築業などの高い付加価値がつく職業が目減りし中小企業の世代交代(後継者問題の話ではなく技術革新の話)が起きない中、全国展開のサービス業の雇用に胡坐をかいて高い付加価値が付く職業の創出に力を注げなかったのは悔やまれるところで昭和の家族的(イメージとして地方から出てきて家族経営の町工場に就職)なものが時代の変化で背負えなくなった変わりとなるのは学校教育、その学校を管轄する文科省は今何を考えているのだろうか(英会話でグローバル人材)これを真顔で言っている。資本装備率を上げたりするには野望を抱く人たちがわんさか必要だし、その他の真面目な国民性の人たちにも高校から高専のように職業に関係する専門性を学び、退職の際には職業訓練(民間と行政、2つあるのが理想)と補償が受けられる武器があると周知されていれば(失業率は上がるかもしれないけど)今より所得が上がる人も出てくるのではないでしょうか。マッチングの話でもう一つ、社会福祉業等に虐待が起きている問題は上記の話とは逆に高い非認知能力が必要なお仕事にマッチングしていない人材を使っているからだと私は思います。

 

注、1500円、700円というのは適当につけた仮想の価格です。

 

 

 

 

 

 

 

これだけ書いていてなんですが、今回のあほやからはここからがメインで枝野さんは国民にヴィジョンを与えて与党に返り咲く気でいるようですが

 

 

本当に勘弁してくれとしか思わないと書いたら上に書いたのと併せてただの野党嫌いかと思われるかもしれないけど、正解で苦手だが野田よしひこは政策の考え方に違いがあるところもあるけど筋を通すので嫌いではない。嫌いというなら与党も苦手、誰にも投票したくないのでもう何年も選挙には行っていない、行かないのは選挙のあり方がお話にならないから一票とはいえ関与したくないからです。私の中のロシアのウクライナ侵攻の最大の教訓は隙を見せないということで、その隙は将来の人たちに災いをもたらすことがあるということ、自民を下野させれば社会が変わると本当に思っている人がいるのは信じられない、どう見ても自民の基本姿勢は国民の空気=マスメディアに合わせているだけの事なかれで、官僚がそれを支えている。別の政党が与党になっても結局、国民に合わせるしかないので事なかれになる。それが判らない政党が初期に自民と違う色を出そうとして何の戦略もない場当たり政治主導でかなり危険な混乱だけをもたらす。2009年の政権交代で2014年までのキャンプ・シュワブ移設が最低でも県外で混乱、いまだに移設できていない。2012年にアメリカとの離島奪回訓練を中止(これ決めたのは尖閣の購入で委縮した岡田と最終決定の野田、だから嫌いではないがこの界隈の政党でいる限り与党に返り咲くのは勘弁)と、今ならこれが何を意味するかわかるでしょう。場当たり政治主導が隙を生む。

 

alt-right オルタナ右翼というのが一時話題になったが

 

枝野 皆現状にいら立ち、諦めてしまっている。

 

そういうことならまさに日本はオルタナティブ状態(ただの因果応報)かもしれないが、余計なことをされて混乱が生じるよりはアメリカに後足で砂をかけない自民の方が断然よく(米軍が海外にいるのはよろしくないというロバート・F・ケネディ・ジュニアみたいな人もいるので、したたかな戦略は必要だけど)私は選挙に行って自分の手を汚したくないというずるい理由から統一教会が本当に自民勝利に貢献しているのなら感謝すらする。選挙に行くとしたら、次に出すブログにその理由を書いているけど日本にトランプみたいのが出てきたときかなやぶれかぶれだけど。

 

 

選挙のあり方、マスメディアが影響力を持ち風が吹くとかふざけたことをやっていて目立つ政党や立候補者だけにスポットを当てて地元の立候補者の本当の主義主張や人となりもわからずにメディアが作った空気に沿って投票するか、組織票で決まる。だから選挙のたびに思うのは、いいですか、貴方方が国際社会で対峙しなければならないのは平然と人を殺せる国家主導者もいる魑魅魍魎の世界、その覚悟はおありかということ、しかし、実際はまるで分っていないような国内政治でぬくぬくと緩い顔した人たち、なぜ政治家になりたいのか全く分からない、何でこれに付き合わないといけないんだという感想です。

 

国民は政治家があほやから国の運営が上手くいけへんとし

政治家のほうも国民があほやから政治がでけへんとする、経営陣があほやから仕事がでけへん。従業員があほやから会社が上手くいけへん、一億総あほやから化、だたおおきな声であほやからというと気分だけは良い。あほやから