ウクライナは国民の退避も交渉も可能な限りしていたと思うが橋下徹さんは侵攻初期に国民の為にゼレンスキーは政治的妥結をするべし、戦時指導としていかがなものかと注文を付けていた。

 

マルティン・ルターの結婚による家庭についての言葉に「Peace is more important than all justice; and peace was not made for the sake of justice, but justice for the sake of peace.平和はすべての正義よりも重要であり、平和は正義のために作られたのではなく、正義は平和のために作られたのです。」というのがあるらしい。互いの正義よりも平和を尊重したほうがいいという教えだと思うが、これは国家や様々なことにも流用できる言葉で(権利を守るにはまずは器である国を守らないとなど)

 

橋下さんの注文は大体が正義の話をして反論者に対する論法も相手のあらをさがす尋問的なものに私には見えた。こうした論法は弁護士としての経験が生きているのかもしれないが、それは実務家というより橋下さんが軽視していた評論家ではないのか。踊る大捜査線のスピンオフに灰島秀樹という弁護士(士業という権力)が出てきてやたら偉そうなんだけど偉そうにできるのは圧倒する暴力を背景とした日本の法律で守られているからであるが圧倒する暴力には上には上がいて戦争は圧倒する暴力を背景とした日本の法律に及ばないところで起きる、橋下さんも口にするやられたらやり返さないといけない場面、そこで通用するのは力で御託は「ヒャッハー」には通じない。それは政治家も一緒で、それを考えると戦争になったら圧倒する暴力を最も享受している貴方方こそ真っ先に命を懸けて闘わないといけない、ノーブレスオブリージュとはそういうことですから、「最高指揮官ならどこをゴールにして戦わせる?」との橋下さんの質問に#1高市早苗さんの「国土、領土、領海、領空、そして国民を守り抜く。国家の主権が失われてしまうわけだから、これは申し訳ないが、戦闘員には最後まで戦っていただくことになる。」の方が実務者らしい態度だと思う。ですが昔の武士や王族、貴族と違い現代の政治家はプロの戦闘員ではないので現場に来られても邪魔(TOPがやられるたびに選挙をやるのも迷惑なだけ)になるだけで戦争中も政治が止まるわけではないのでプロの政治家にはプロらしい責任のある政治判断をということなのだが、そこら辺のおじさんおばさんでは心もとない。

 

降伏論に関しては日本も降伏して今があるのだから決して悪くないという考えもあるかも知れないが、その考えはアメリカが主権を返してくれた結果であって、降伏した結果が虐殺と奴隷なら降伏が正しいとは思わないかもしれないと結果次第で正誤は変わってくる。それを決めるのは当時国であってウクライナの人たちがオレンジ革命からマイダン革命と綱引きのように翻弄され生きてきた中、犠牲を伴ってもとして下した決断なら見守るしかない。攻めた国と攻められているでは立場が違いますしね。私は侵攻が始じまってゼレンスキーは捕らえられ早々に殺されると予想していただけに、国に留まると決意を語った時に「平和」を勝ち取るために死を覚悟をしていると思った。そしてその覚悟は西側の武器提供やフィンランド、スウェーデンNATO加盟申請へと波及していく。「職業としての政治」にウエーバーは人心をつかむ言葉としてルターの「Here I stand; I can do no otherwise. God help me. Amen! 」を掲げていて、壮大な権力を持っていたローマ教会に異見するというのはルターに影響を与えたとされるヤンフスも贖宥状に反対し異端者と烙印を押され処刑されたように決死の覚悟がいる行為、しかしルターも贖宥状販売に対し九十五箇条の公開質問書で批判した。当然、問題となってヴォルムス帝国議会に呼び出されてカール5世から喚問を受け教説の撤回を迫られたが拒否、その時に「ここに立つ」と言ったと言われているが議事録とかに載っていないので、そうした文言を言ったかは今は疑問視されていて、また、呼び出された時にもヤンフスの件があったので安全を保障するという取り決めはあったとされているが異論は異端者の烙印を押されるということに変わりはない、結局、追放され宗教戦争に発展していく。ルター側に味方した人も決死の覚悟に心を動かされたのであろうか。そのルターもカリスマ的指導者になるにつれ教条主義の側面が強くなる(農民戦争での路線変更、エラスムスとの自由意志についての討論、ユダヤ人に対する主張)権威(権力)という魔力は人をおかしくする。ロシアによるウクライナへの侵攻から10か月がたち両陣営からは1万人超程度の死者との話だがアメリカのミリー統合参謀本部議長によると約20万人の軍人が死傷し4万人のウクライナの国民が死亡したと推計している。大変な数の犠牲者だが他にも家、職業など失った人もいて、これらはまさしく権力が起こした災いである。しかし亡国を防ごうとしているゼレンスキー陣営も権力ということは変わりはないし、それに責任が伴うということも変わらない、それは貴方方が手にした権力も責任の大きさこそ違うけれども同じ権力であり、その決定には責任が伴うということを理解しておかないといけない。

 

 

「政治は国民を映す鏡」サミュエル・スマイルズ

「国家の価値は結局、それを構成する個人個人のそれである 」ジョン・ミル

「人民の政府は、人民のためにつくられ、人民によってつくられ、人民に適応するようにつくられる。」ダニエル・ウェブスター

「民主主義国家においては、国民はその程度に応じた政府しかもちえない」 松下幸之助

 

冒頭に出てきた生徒たちの「ざわつき」は中学生なのでニュアンスは生意気的な反応でしたが、それまで触れたことのないあまりにも堂々とした態度に怖いという本能が働いたかもしれません、私?私は単純かつ劣等なのできれいな子やね、でも同クラブのよしみとしがらみというものがあるから「太ももを駆ける少年」に一票を投じた。合法的支配 法の支配(利害による支配)の国では権力を与える人を選挙で決めている。だから権力者は選んでもらうために有権者に気に入られるようなふるまいをする。あの「西側首脳陣の強張った表情」というのも「多くの人が犠牲になり侵攻は秩序の崩壊を示すので許されないけれども第3次世界大戦&核戦争は避けたい、制裁はしたいけど資源は欲しい」我々の心情の現れだとすると権力者を支配しているのは有権者ということになる。そんな国家の針路を決定する重要なものだけにロシア、現在、反政府デモで大荒れのイラン、そして独裁国家と呼ばれている北朝鮮も一応は選挙で権力者を選んでいるが対抗馬が突然、逮捕されたり、そもそも反政府な主張をする人は立候補できなかったり、立候補者自体を権力者側が決めているなど公正とは程遠い介入が行われていたりする。民主主義は権力の間違いを正す効果があると言われている。確かに壮大な権力を持つ人が誤りを認めずに突き進むことは十分に考えられるが民主が客観視し正しい判断が出来ているのかの保証もじつはない。国連で決定し西側はsdgsを政治課題の一つにしていて民主も注目しているようだが、テキサス州のニューヨークに移民を送りつけるのもそうですが、ベラルーシ経由で欧州に移民を送りこまれるとEUは大騒ぎしてベラルーシに制裁を下した。これについてプーチンは「働かなくても生活保護がもらえるんだから欧州に向かうのは当然で、そもそも中東に軍事介入した西側が悪い」と言っている。移民がシリアなどからきていることから誰が関与しているかを想像することは簡単で、イギリスのブレグジットでのEU離脱を考えるとEUの内部崩壊には移民を送り込むのも一つの手で、このゆさぶりによって一時期、西側に近づこうとしたベラルーシを押しとどめたことにもなる。ようするにエネルギーに関しても同様ですが相手を観察し弱点(矛盾)を突いてくる壮大な権力を持つ相手は甘くはない。

 

しかしどうなんだろう、有権者というが、もう長い期間日本は低い選挙投票率に支持政党なしが半数を占めていて、コロナとかも進展のないような対応の政府と媒体に対しワールドカップや賑やかな繁華街、マスクはしていても若者の行動は政府や媒体の声とは逆の方角に行っているように感じる。権力者はいったい誰の声を聞いて応答しているんだろうか?第三の権力といわれる媒体がその一つだということは媒体が取り上げるとそのあと政治問題になったりしているので私はそう認識しているが、密室政治なんていう言葉があったが私から見て密室でない有識者会議でもどう考えたらその結論に至るんだという決定が行われたりする。私がおかしいのか社会がおかしいのかもうよくわからないが、もし社会も私と同じ感覚で低い投票と支持政党なしになっているのなら国民の政治への関心のなさをよそにして王様や貴族だけが権利を持っていた昔に戻って少数の人が社会を動かしている疑念。その少数の一部はリベラルとか称されたりしているけど他を認める(寛容性のある)リベラルでもなく、一部分は理性主義ながらアウフヘーベン(止揚)なんてしろものはなく正しかないのでいつまでもジンテーゼにはたどり着かない感じだ、あと合法的支配の国は利害の支配でもあるので利益関係者は積極的に政治に関与するだろう。そうだとすると、その少数が権力者を裏で操る真のヘゲモニーでありノーブレスオブリージュなので変事になったら全力で戦ってもらいたい。しかし、その責任があるのになぜか反戦とか武器はよろしくないとかなんとか・・ テーゼ反戦 アンチテーゼ戦争 ジンテーゼ強力な武器

権力を目指すのも、それに近づくのも結構ですが責任の重さも認識しましょうというお話でした。

 

 

#1

その回答に対して

橋下「戦況によっては戦闘員が戦うほど非戦闘員の被害が拡大する。太平洋戦争の犠牲者の9割は戦争末期においてだ。戦う一択の高市さんは国家指導者として危険だ。」