メイウェザーX朝倉のエキシビションの花束贈呈で刈り上げのおじさんが手渡すのではなくリングに投げて、それを鑑賞していたひとから胸糞が悪いと声が上がる騒動があったようだ。KOのシーンと花束を投げすてた映像を見たが、まあ、胸糞が悪くなるのは理解できるけど、私の興味は刈り上げのおじさんは渡すのが嫌なら花束贈呈の役割をどうして事前に断らないのか、どうせならラウンドガールからもらいたいよね、男性としては(逆もしかり)、この二点にわいた。それは子供のころに見ていたプロレス興行での花束贈呈からの花束襲撃の影響、それから胸糞でいえばメイウェザーが現役のころ飽きるほど彼の胸糞悪い行為を見聞きしてきたからで、花束を拾ったメイウェザーがその花束で朝倉に殴りかかっても何も不思議ではなく、単なる慣れなんでしょう。この慣れというものは、格闘技という不道徳な場面のある嗜好を見るためには重要で、胸糞悪い(不道徳)といえばエキシビションとはいえ朝倉はメイウェザーの右で脳震盪を起こし自分の足で立つことすらできない危険な状態、これと同じことを路上の暴力行為で遭遇するとかなり胸糞悪い光景だと思うけど格闘技の試合なら平気というのはどんな心理が働いているのだろうか?格式のあるのは競技で暴力とは違うというが、その線引きは日本なら営業の自由である。基本的にみんなが持っている格式という名のフィクションが罪悪感を解消させているのであろうか?プロレス興行での花束襲撃に興奮するが怒りはわかないのはフィクションだとどこかで思っているからで(だからたけしプロレスに真面目になるプロレスファンの気持ちが理解できない)私は他人が失神しているのをみて興奮するのが一番、不道徳だと思っているから、大体のことはフィクション(慣れ)で押しとおしておかないと整合性が取れなくなってこの不道徳な嗜好と長く付き合えなくなる。