今回はラウンドガール不要論というものを偶然に見かけたので格闘技界隈のホットな話題に便乗しておきます。単刀直入にコンパニオン、グラビア等が社会に必要ないのであれば不要なのかもしれないが、小中学生のころ親の目を盗んで11PMを見ていたり、春やすこのヌードが見たいがために雑誌GOROを懸命に手に入れようとしていた私が不要などとは間違えても言えません。

ヘフナーが1953年成人向けの娯楽雑誌PAYBOYを創刊、年々販売部数を伸ばしてベトナム戦時下の1972年には700万部のミリオンセラーを達成したという。その背景には性の自由や女性の社会進出があり、ボクシングにも1964年プロモーターのビルミラー(Bill Miller)がラウンドガール(リングカードガール)を導入し、それをリングマガジン誌が1965年掲載したことで他のプロモーターにも広がり、今では外せない存在になっている。PAYBOYや性の自由が社会に進出してきたという背景があり、当時のラスベガスといえばまだ立派なSilver Slipperカジノではなく話題性としてラウンドガールの導入が効果的なのは紙面で取り上げたリングマガジンも一緒であったと#1推測できる。それは白黒時代の試合映像を見ていると選手が滅多打ちにされているのに試合を一向に止める様子のないレフリー、湧く観客、こうした殺伐としているところにインターバルの華で和ませる、桂枝雀のいうところの緊張と緩和効果が考えられる。例でいうと映画ドーン・オブ・ザ・デッド1978年制作のものはエンディングでのコミカルな音楽、2004年制作のものでは走るゾンビに追いかけられて逃げ込んだエレベーターで流れる音楽で、切迫の中での安堵というのは調和になる。そして残ったのは殺伐とした光景のボクシングではなくエンターテインメントとしてのボクシングとメッカもマジソンスクエアガーデンを擁するニューヨークではなく不意気だった砂漠のラスベガスに移行したというのが今のところの答えなのだろう。

 

#1今も残存しているので

 

今の所なのはポルノグラフィ論争などがあったように、こういう話には男の制度でのとか性の搾取とかなんとか論争がつきものだから今後は分らない、日本も現下は深夜帯としても民放で「効能は」のうさぎちゃん(11Pm秘湯の旅)も駄目なんでしょ?「効能は」のあの素人ぽい言いましが良く、それが素人のおっぱいに脳内変換される←こういうのがいけない。なのにドラマサウナ道でおっさんの尻が許されているのは物事を複雑にさせている。つまりいろんなものに価格を付ける資本主義の中で女性のものには価格が付くから性の何とかに話が化けるとすればおっさんの尻には価格を付ける価値も無いから問題にならないということなのかしら、いやまてよ、男にも女性を褒め称えてお酌するなど給仕に価格が発生するホスト、価格が付くことに問題があるならホストも問題になるだろう、ホストは男の制度の中でも何でもない。それは詭弁で問題は意志か強制かにある。万葉集に出てくる「うかれめ」にしろ夜鷹にしろ中には売られて望まない人もいたとすれば、それは男性の制度の中で性を商売(強要)にしている問題だということになる。ただ、親に連れられて映画「ああ野麦峠」を見に行ったらおばさんたちが号泣して観ていたことを思い出すが、性産業に限らず親が子を身売りする不幸は存在して男の子も人手として売られていたでしょうから貧困が悪いというのはナインティナインの岡村さんが不況の後は水商売にお綺麗な人がいるというニュアンスの発言をし焼尽していたことからもうかがえる。弱者に鞭打つ行為がいけないとすると資本主義の中で高値を付けられるというのは遊女の中でも太夫や花魁の位があるように強い立場となり、おっさんの尻みたいに無益なものが底下だから弱者から搾取してはいけないという話になる。それから自由意志というのも注意が必要で環境がそれを作り出しているというのもあるので自由かどうかは怪しい、こういうややこしい話(誰が弱者なのかなど)なので論争が続いているのであろう。いったい私は何の話をしているのか

 

 

ラウンドガールに話を戻すと、戦時中に戦争に駆り出された男性に代わり女性が工場で働き女性の社会進出を後押し、格闘界にも女性が試合に出てロンダのように高給を稼ぐ人も出てきた。そのロンダやヌルマゴメドフらのラウンドガール不要という話は偶然強かったということに価値がついて、それに偶然に高額がついたというのは容姿端麗が評価(価格)につながるラウンドガールの世界と一緒で格闘技の世界もかつては奴隷同士を賭けの対象として戦わせたりしていて赤線だと評価されていた時代もあったということが手落ちしたものになっている。自らも価格がつくという資本世界の恩恵を享受していることを理解しているのなら口にはしない。そして必要か必要ないかについては「今の所は」には格闘技も含まれていることも忘れてはいけない。

 

格闘技「ラウンドガール」は芸能界の登竜門、その仕事内容は|NEWSポストセブン - Part 2 (news-postseven.com)

 

「元々、本場タイのキックボクシング界は“女人禁制”でした。ですが1978年、日本武道館で世界大会が行なわれた際に世間の注目を集めるため、米国人のラウンドガールをリングに上げた。これが日本での始まりと言われています。

 

その後、“格闘技は怖い”というイメージを持つ女性や子供が観に来やすい雰囲気を作るためにボクシングなどが続々とラウンドガールを起用するようになった」 

 

こんなのを見つけたんだけど

 

日本ボクシングでラウンドガールが導入されたのが1977年4月のセンサク×石松という話が正解でキックの方が先に導入したというのならば1978年という話は間違いで1974年の藤原×西城の時に関西の人ならわかるだろうけどニュースタイルキャバレー「ユニバース」で働いていそうな洋服を着た女性がコーナーポストのエプロンの外でラウンドを表示した看板を揚げているので、これかもしくは1973年の金沢和良×島三雄のことかもしれない。ちなみに米国人のラウンドガールといえば1982年1月藤原×マニージョンストーン戦でマリアンリンチ―さんがラウンドガールに起用されている。日本においてはキャバレーで働いている人に居そうな洋服から井森美幸が着ていたレオタードになって、次はハイレグに現下ではコスプレというのかな、時代の移り変わりによって衣装の流行も変化しUFCのアリアニー・セレステなんかはかっこいいという表現が当てはまってまさにその企業の顔(象徴)の一つになっているということはどういうことなのかそこに在籍している選手は不要とかいう前に考えないといけない。