総理大臣が4月6日に4月7日から5月6日の一か月間の非常事態宣言を発動、改めて自粛要請もした。総理は緊急事態宣言の中で「今、私たちが最も恐れるべきは恐怖それ自体」「国民の生命と生活を守る」と語り、様々な対策を打ち出した。対策の主な内容はトリアージを招く医療崩壊を避ける為に軽症の人はホテル(関東1万室、関西3000室)に移転してもらい現場の負担軽減を狙う、それと医薬品アビガンの話、離職している看護師さん5万人に看護協会を通じて助けを求めるというもので、これらについては「さすがにわかってらっしゃる」と伊武雅刀(スネークマンショー)で調べれば何のネタなのかわかりますが、恐らく原稿を厚労省あたりの専門筋が現状からひねり出したものなのだろうと総理が同日の感染症対策本部の会合でPCR検査を一日2万件に拡大すると言い出していることから推測しているが、医療資源が耐えられるのかが「日本」のSARS-CoV-2の要点なので宣言の中身は的確な処方だと思った。

 

 

東京での市中感染が広がりを見せる前に武漢での出来事があったので、日本もいざとなれば人海戦術の突貫工事でコロナ専用の病院が立ち上げられて要員も集められるだろうと淡い期待を持っていた方もいたのではないでしょうか?そうしたことから中国の施設は後にすぐ崩れたとか水漏れがと冷笑していた人もいたようだが、日本の現実は既存の病院を頼りに院内感染に人手不足、防護服やマスク等の医療物資も不足、疾患の対応に難があることから指定医療機関3次救急に患者が集中することになり医療崩壊も危惧されている。これについては日本の病院システムは一応、平時の最適化(資源配分)になっていると考えられるが二次救急、三次救急は救急患者受け入れ困難など平時から問題(医師の超過勤務等)を抱えているところもあり初期救急を入れてなんとか最適化していたということなのでしょうが、そのバランスが崩れたことで脆性が著明になった感じだ。すぐ崩れたとか水漏れがと冷笑された中国はというとロシア国境から第二波となる新患者が入っていることを受けて早急に国境にコロナ専用の病院を建設するということで必要な要員も招集されているのでしょう。勿論、中国の話も全部が臨時施設ではなく既存の病院も使われているのでしょうし、医療の質という点でも自由経済を入れた結果「看病難」「 看病貴」という言葉が生まれ、また農村と都会の医療格差に医療従事者不足、富裕層が日本に治療に行くという話があったように全体的な高度という意味では日本の方がまだ上かもしれないが(ゆりかごから墓場までで有名なへヴァリッジの社会保障を参考に医療改革が行われて力を付けている。)専制なので武漢での病院殺到の感染拡大をうけ臨時施設(火神山医院 、雷神山医院)にベッド1万床を用意し隔離、約6000人の医療支援チームが招集されている。専門の臨時施設のメリットは人や物資の集中と作業の効率化で、他の病気の受診や手術は専用以外にという資源配分にもつながるというのが素人の考えで未知の感染症には適当だと思うのですが、日本もサナトリウムや~療養所の隔離収容政策があったが今は様々な理由により中国みたいなことはしないんではなくて出来ないということなのだろう。

高度医療先進国といわれているアメリカも患者が集中すればあの始末なので、やはりリクビダートルのような上意下達による人海戦術は蹂躙が可能だからこそなせる業なのかもしれない。変局の歪みはマスクや防護服などの医療物資やPCR検査でも露呈していてPCR検査はダイヤモンドプリンセス号の時点で全国の地方衛生研究所をフル回転しても一日最大で1500人程度が限界という報道がありNHKスペシャルの放送で押谷仁教授はそもそも広大に検査するキャパシティは日本にはないと語り、クラスタつぶしは、そうした制限された環境の中で残された手段であったということだ。その中、軽症なのに検査が受けられる人と受けられない人がいるという情報は不安を助長させると考えられる。(埼玉の保健所では病院あふれるのが嫌で検査対象の選定を厳しめにしていたという話もあった。良い言い方をすれば調整、悪い言い方でも調整。)医療物資についても生産を中国に依存していて、それまでマスクを使用していない人や転売屋の買い占めにより品薄となり安全保障に纏わる話になっている。

 

 

「今、私たちが最も恐れるべきは恐怖それ自体」「国民の生命と生活を守る」

 

医療は自衛隊、警察と同じように国民生活の兵站の一つ、それが機能不全ともなれば不安が増すのは仕方がないが、ない袖は振れない、自粛要請をし感染防止を呼び掛け病院に人々が押し寄せないようにするに頼らざるを得ないのが現実なのだろう。要するに日本に限らず変局時の用意は希薄だったということになる。甚大な被害が出ている国と比べると様々な要因(風土病?BCG効果?生活様式?etc)が重なり被害が抑えられているけれども、もし日本も一桁重症患者数が多かったりイタリアの医療従事者が150人感染して死亡したということと同じようなことが起きていれば目も当てられない事態に追い込まれたに違いない。そういうことからたとえSARS-CoV-2が収束(これから夏にかけて収束し秋から再発してくるかもしれないが)したとしてもウイルスとの共存が終わるわけではないので変局時体制に課題が残る。防疫対応にもお国柄が出ていて東の横綱が専制的な中国だとすれば西の横綱はスウェーデンの自由主義に則りある程度受け入れながらになるだろうかといようにイデオロギーに関する課題である。専制的な方策に頼るなら、それは自由の制限を受け入れるということにも繋がり民主主義の原則を譲歩しなければならないかもしれないから国民的議論が必要だろう。現に不安に付け込んだ地方自治体が強権の色気を出して要請という名の同調圧力による強制と関所が出来そうな勢いで国自体が不安障害に陥っている。私は温い方が好みなので、専制ではない可能な限り民間レベルで対応できればと願っているから、さしあたっての課題は不安をどう取り除くのかになるでしょう。この答えはいたってシンプルで国民が安心して社会生活を営むには兵站である医療を平時の状態に近づければ不安は自然に消滅していくと考えられる。それは今更だが2019年のインフルは1400万人が感染し3000人の犠牲者を出していて本来なら1957年のアジアかぜレベル(医療、公衆衛生、生活レベルの向上で3000人で済んだという推論)でコロナ以上に憂慮(アジアかぜが一時期ワクチン接種体制に繋がった)しなければならなかったのかもしれないが初期救急を入れた最適化で対応していたのでメディアもさほど騒がずに日常を過ごせていたからです。