偶然にも、このブログをご覧になられた方々は世論、関係者、メディアが「非難」と意見がまとまっているのに異論を差しはさむのは「貴方の感性がおかしいから」と思われているかもしれませんが言葉を返しますと感性がおかしいのではなくて、この非難が浅慮で周回遅れなのです。亀田さんが浴びせられた非難なんてものは亀田さんが出てくるより前の1996年ごろから先輩王者の方々に対して私が抱いていたもので、その時にも「アンダードッグ」、「不当判定」は存在し、それから「勝てる相手としかやらないと」いうのもあってこれは畑山さんが、その対象でした。内容は「チェとの第一戦目引き分けてタイトルを逃した。WBCはヘナロエルナンデス、そのあと史上最大の日本タイトルとアドバルーンを揚げてコウジ有沢と対戦、辰吉、今なら井上になるけど彼らが同じように後戻りして日本チャンピオンを倒しても興ざめするだけ。1998年再びチェに挑みタイトルを獲得するが私の見立てでは第一戦目、分が悪く見えたが引き分けなのに、それより分が悪かった第二戦目が勝利なのはおかしいと違和感を覚えた。それよりもこの時もWBCはチェの前の王者ヘナロがチャンピオンだったけれどもやはりチェ狙いでヘナロに挑戦していれば渡辺のようになっていただろう。ヘナロはWBAを放棄してWBCのネルソンに挑戦し、そのあともメイウェザーやデラホーヤと対戦、1998年10月ヘナロからメイウェザーにタイトルは移動 IBFはロベルトガルシア。畑山はラクバシンに負けて引退、ナザロフがフランスでメンディに番狂わせで敗れた、盤石王者の陥落でメンディからロルシ― ロルシ―からゾフ ゾフからセラノと一年でタイトルが目まぐるしく移動 セラノはかつてチェに逆転KOで負けて坂本にも2度ダウンを食らったグラスジョー、ラクバシン戦のKO負けで引退していた畑山はナザロフがチャンピオンの時に狙えば評価が上がるのにセラノがチャンピオンになると大慌てで(私にはそう見えた)一年ぶりに復帰してきてセラノに挑戦、ちなみにWBCはジョンソンとカスティーリョ、IBFはスパーリングではメイウェザーと互角だったスパダフォーラ、要するに自己演出が上手く巡りあわせが良かっただけでセラノと坂本戦以外は議論のある判定でリックやロルシを見るにとてもAクラスには見えないアウトボクサーは苦手で自分より強靭なラクバシンみたいなタイプも駄目とスーパーフェザーもライトも一番弱かっただろう。」というのが当時の感想です(随分と優しく書いています)。だから畑山さんの「ファンは騙せない」も貴方も構造を利用して要領よく立わまっていたでしょの猿の尻笑いとしか思わない。畑山さんは人気実力ともボクシングファンに認められていたのにどうしてという理由は簡単で確かにこのロジックを使えばほとんどの日本人チャンプに当てはめることができますが、多分に私が畑山さんと保住さんに否定的感情を抱いていたというのが大きいと思う。畑山さんと保住さん2人の名前を聞いたらボクシングファンならピンと来たと思いますが、2人とも辰吉さんを口撃していた人で私は#1辰吉ファンなので保住さんは辰吉さんが川島さんを口撃したからというのが理由みたいですが、それは理解しても同じように口撃していた竹原さんと試合してから大口叩いてくれというくだらない話です。私の意見である問題だ悪事だと言われるほとんどが好悪の話に過ぎないということがご理解できる例でしょう。

 

1996年というのは別に飯田さんのことは嫌いではなかったけれどもアイドルボクサーごときの実力で世界チャンピオンになれるようでは権威の失墜だと当時は考えていて、それは平成三羽烏やユーリーなどの逸材が前にそろっていたのでクラブ活動の強い先輩チームの後の普通の後輩チームのような落差を後の飯田さんらに照らし合わせていたから1996年のゴイチア戦ではゴイチアgood job!!と喜んでいた。世界ランカーに対する信頼、特に指名はまだこのころにはあったのですが階級によっては選手のレベルが下がってきたと感じていた頃で選手には何の責任も落ち度もないのですが、このレベルの選手が世界チャンピオンというのは、その恩恵を受けているに違いないから気にくわないというのがあって、また、認定団体が4団体と活動の場が広がり、その広がりを世界の主力選手はスターダムに利用したが日本の選手はタイトルを獲得したところで世界的なスターダムにのし上がる行動を起こすわけではなく規則的(日本頑張れ的)な防衛戦だけなので日本の選手がタイトルを持つと停滞しているぐらいの意識があった。飯田さんの裏ではダニーロメオにジョニータピア、畑山さんのところでもヘナロエルナンデスはネルソン、メイウェザー、デラホーヤ 暫定のカサマヨールもフレイタスと対戦とスターダムにのし上がる行動を起こしているでしょ。それに比べて国内で騒いでいるだけですから早く負けて外人にタイトルを移動させてくれ停滞していると面白くないというものです。それ以降は日本ボクシングに対する否定的な感情は強まり日本ボクシングを見る楽しみは世界戦で日本の選手が負ける試合になったのですが(以前は望まなくても負けてばかりだったので負けるのを見るのは自然なのですが)こんな調子ですから、またガメスとキキロハスの使いまわしか、ヨックタイX飯田第一戦(引き分け)、第二戦目(判定勝ち)も私の採点では2戦ともヨックタイが優勢だったし他の防衛戦(井岡、フリオガンボア)も同様に相手が優勢だと見ていてホームタウンデジシション(不当判定)ばかりだと思っていた。それからジョニーブレダールがチャンピオンでしたが家庭の事情やスーパーファイトを希望しているなど防衛戦をしない理由が日本の説明では二転三転していたけれども防衛戦ができない処置として戸高(ランキング5位)とガメス(ランキング6位)の暫定決定戦が組まれたがブレダールは決定戦の20日後にDavid Gueraultと防衛戦をしている。対戦相手のガメスにしても、元ストロー級で、この時の年齢は40歳、事前の試合もセレスにKOされブレダールにも判定負けしていて11か月のブランク、いったいどうなっているの?と、どうなっていると思うマッチメイキングの例を挙げだすと長くなるので、この辺にしておきますが日本の世界戦に嫌気がさしていた時期です。浜田さんが最近はファンの見方も変わってと言っていますが新聞や業界紙が暗黙していただけで高慢ちきなファンの感覚は実はほとんど変わっていないのではないでしょうか。

 

2chのボクシングが亀田さんが出てくる前から日本人ボクサーを侮るのを生きがいにしている俗物根性の集いであるように、このような発想は世界ボクシングの情報が伝播していな時代でもボクシングの界の構造を知れば簡単に思いついて一度は通るかも知れない道なのですが、この発想での出来事も悪事や問題なのでしょうか?。(業界紙)はこの時には十八番の「執念の~」と煽て上げしていたけれどもプロモーターや選手が違えば悪事や問題は出たり引っ込んだりして、その行為自体が変わるのでしょうか?。それはあり得ないので亀田否定に乗じて順応しているだけだから「私は知っている」の承認要求の強い連中の亀田がボクシング界を~という論調は「くだらない」と評したのであります。

 

このようなことを書いていると何か俗物だけが陰険に見えてきますが辰吉がリチャードソンに勝利した時にようやく世界に出しても恥ずかしくないチャンピオンが誕生した的なニュアンスで褒め称えていた人が業界紙にもいたけど、これ裏を返せば他は恥ずかしいレベルのチャンピオンだと告白しているようなもので業界紙の中の人にも潜在的には同じように見ている人がいたのではないですか?。それなら亀田に対する非難は地が出たということなのでしょう。ただしスキャンダリズムは他のネタに移れるので二重規範の日和見であろうが荒唐無稽な内容であろうが、その時だけ目立てばいいけど専門としてやってるところが整合しないことをすると足元を見られるということぐらいは思惟していた方がよろしいでしょう、信認があるから専門としての立場があるのだから。

 

心得違いをしてはいけないのは、このような発想ができたからって、それがどうしたというものでボクシング界の構造を知れば簡単に思いつける発想(内心)に大した価値や意味などありません。というのも内心は認知バイアスの影響を受けやすく個人的な感情の場合があるから、それが正答とは限らないし内心を間違って使用すると詭弁を弄することになる。

私も実際、戸高さんの暫定戦やオルテガX石井の暫定戦など、これらはおかしいとしながらも辰吉さんの薬師寺さんというチャンピオンがいての暫定戦については目の怪我が理由でタイトルを明け渡したから問題なしとしていて好悪で別け隔をしていた。それに今回はこれを書くために発露していますが基本はこうした発想は抱いてもなるべく外には出さないようにして原理原則のルールを中心に考えて外面の言葉を選んでいます。つまりペルソナを装っているということなのですが、その理由は簡単にいえば発想を開陳するのは恥さらしだと思っているからです。

 

ボクシングファンといっても十把一絡げというわけではなく試合の観戦を楽しむ、情報を楽しむ、実際、ボクシングを勤しむ等、それぞれ好むものは違うと思われます。私は見るのも好きですが、その前には空手と柔道をかじっているように実際に体得する方が好きで、それも渡嘉敷さんが具志堅さん、畑山さんが辰吉さんの試合を見て自分もできると考えたように私も辰吉さんの試合など(その前はハグラーやアルゲリョの試合を見て)を見てあの程度なら十分に自分もできると考えていたかなり自意識の強い普通のオタクよりも馬鹿の部類にはいるわけですが根拠のない自信を少しでも実体に近づける為に練習に没頭しました。なので見るに関しても試合の映像よりも練習の映像の方が好きで情報収集も世界チャンピオンの練習内容が最も重要で自分と相対しては試行錯誤を重ねていた。TVの辰吉さん特集で淀川沿いをロードワークしているシーンがあって、当時、私は六車さんの実家の近くの旭区に住んでいたので淀川沿いは目と鼻の先、一方通行のライバル心で淀川沿いを走るのが習慣になった。おかげさまでおじさんになった今でも脈拍40台のスポーツ心臓なのですが、考えてみれば彼の自宅は守口で鶴見緑地(当時は花博のころなので走れたのかはしりませんが)の方が近い、以後、なんどか見聞きしたのも鶴見緑地、あれはたまたまなのかテレビの取材用だったのかは知りませんが一度も淀川沿いでは出会えなかった。そういう単純馬鹿で自己陶酔の塊ですからボクシングの試合を見に行ってもさすがに踏み込みのスピードが速いと会心したりするのは世界戦の一部だけで著名な日本チャンピオンの試合は可でも無し不可でもなしの感想で10回戦でも負けの多い選手の試合になればびっくりするぐらいに遅く弱く感じるという#2上から目線でしたが、私はジムに行くでもプロを目指すのでもなく、元々段位とか権威にも興味なく目的は自分の強さ自意識であるからフィジカルトレーニング(自主トレーニング)に満足して、これはこれでいいんだという意識とやはり度胸がなかったのだろうという葛藤がいまでもぶつかる。

 

そんな私からみて#3ジュニア階級もボクシング弱小国がタイトルを獲得しやすくなった構造の一つであって、その構造を利用して要領よく立ち回っていた人も珍しくなかったし、さらに今の選手は複数団体に#4人材難の恩恵を受けているから他の大抵のチャンピオンも亀田も同然ですと評価すれば怒り狂って反駁してくる人がいるかと思うが、これこそが本件の本質である致命的な思い上がりというもので、どうして烈火のごとく怒るのかというと対照の本意とするところは相手を認めないことによって自分が妄想している世界を維持しようとしていることで、それをするために帰属意識を利用している。例えば私の場合は辰吉と同レベルで帰属はチャベスやテリーノリスの世界のTOPという妄想だから、それと対照すると日本人ボクサーなんてとなるわけで、だからネットに蔓延って亀田が~としていた人たちが内藤&坂田から始まり、長谷川、西岡、井岡、山中、内山、井上を渡り歩いて安直な対照をしていたのも自分の中で作り上げた妄想世界の維持には必要なことであるからで、さらに踏み込むと亀田を嘲弄する為に対照した選手の強さを自分に置き換えて上位に立っているから同然といわれると憤るのですが亀田が他と同然に世界チャンピオンであったという証明はいくらでもできても、あなた方が安直に対照しているチャンピオンと立ち並ぶ証明はどこにあるのでしょうか?素人でしょう、この素人がボクサーを嘲弄する時に使用する十八番の「雑魚」ですらない、ネット上にいる元プロと称する人もどうせジムのお客様で終わった人でしょう。殆どの日本人世界チャンピオンの方々もパッキャオのようなスーパースターにでもなったというのなら理解できますが違うなら同じ枠組みで十分だと思います。違うというのはせめて世界のスター選手からにしてもらいたい。

 

この同然をどう解釈するのかで見方は変わってくるのですが、ここで出てくるのが能書きを垂れるなら自分でやってみろの不言実行というものでボクサーとオタクの垣根なんてものは実行したのか否かだけですから嘲弄できるぐらいに簡単だと本当に思っているのならばチャンピオンにならない手はない。チャンピオンになれなくても世界挑戦や世界ランカーという勲章でも一生それを誇りにして生きていけるでしょう。今こうしてメディアごっこをしているように嘲弄できるぐらい簡単なら私ならやりますけどね。リサーチしていると「批判をするなら自分でやってみろという意見など何の意味も持たない」とか言っている高慢ちきをSNS上で見かけることがあります。私としてはその方が都合はよろしいのですが、どこの一般社会に、そのことについての功績や栄冠よりも御託の方が評価されるところがあるのでしょうか?。批評(それによる期待は虚栄心を満足させられるかですから、どうせならより虚栄心をより満足させられる実績の方が合目的でしょう。嘲弄できるぐらい簡単なのですから)をするのは自由ですが、なんの意味もないのは功績のある相手に対して功績どころか不言実行もしていないものが実行している相手を嘲弄している行為だということぐらいは知っていた方がよろしいでしょう。それにHAERETICUS 13に書きましたが嫌われているのが悪いから叩かれても仕方がないというのが批判者の拠り所であるならネット上で悪口ばかり書いているあなた方も相当に嫌われていると想像できるけど実績も功績もないからただ相手にされていないだけです、これにも気が付いた方が宜しいでしょう。自己陶酔の塊の私でも実行していないのに実行している相手のことを嘲弄すれば社会でどのように思われどういう反応が返ってくるかぐらいは理解しているので「抱いていた」と書いているように思うに止めている。ですから意味あるなしというよりも「批判をするなら自分でやってみろ」は常識で論を俟たない話であるから扱いとしては高慢ちきな人に指摘するのは野暮だということぐらいでしょう、そういうことですから「畑山さんは巡り合わせがよかっただけで一番弱かっただろう」と私がいくら理屈を並べたところで、本人から自分でやってから言えと言われれば若い時なら、それが契機となって意欲がわいていたかもしれないけどおじさんになった今では、その通りです、すいませんという答えしかないのは理解しているのでたとえ口にしても婉曲的で前提にリスペクトは外しません。畑山さんも4階級階級を上げて結果をだしてから言ってみろと言われて不言実行しなければ、それも同じだと思います。

 

 

それから日本人チャンピオンを肯定していないのと並行にボクシングの練習に打ち込んでいる鶴太郎さんや作家の立松和平さんの映像を見ては「冗談はマッチで~すやヒヨコ親父だけにしてほしい、そりゃ鬼塚もおこるでしかし」笑いの種にしていたけどヒヨコ親父に扮した鶴太郎さんに「何?君プロライセンスも持っていないの?くやしいの?」と耳元でいくら侮られても、それは事実だから反駁のしようがないとオタクの発想(知識)なんてものは、所詮は、そんなちんけなものです。辰吉レベルという妄想も、それが仮に事実だとしても実行しなければマラソンでいえばTOPランナーと並走できても競技に参加していなければ沿道を走っているようなもので沿道を走る子供と大差ない、だから発想(マスターベーション)の開陳は恥さらしに他ならいとしているのですが、子供と大差ないからネットの力が亀田の悪行を暴いたって無知蒙昧の発言をしていた灘高出身の関西のジャーナリスト?だったかな?うる覚えで間違っていたら申し訳ないけど、その人が関西の番組でボクシングを始めたとしていたけど、この人には今も悪感情しか持っていないから、どうですかボクシングを実際にやってみると驚くほどのろまに見えますけど馬鹿にしていたアンダードッグですらないご自身の感想をお聞かせいただきたいと意地の悪いことは言っておく。

 

ネット上の念仏(キュレーション)で何か知ったような気になっている人が例えばIBFの負けても王者の件でもブロゴスの知識人気取りの人がいろいろ書いて無知蒙昧を披露して何か言っているつもりになっていたけどネット上の念仏(確証バイアスに陥りやすい)で集めた情報なんてものは、ルールさえ知らないあの程度の些細なもので、それは量的金融緩和でバンバン市中に金をばら撒いてさえいれば経済が上向くというのをネット上で知って能書きを垂れているような恥ずかしいレベルのものです。ネット上の念仏はどうでもよいことばかり吹き込んで一番に理解しないといけないものは伝達していないことが往々にしてあってボクシングの場合も人間の本質は暴力だと思いますがfight of flighと選択できる場合、大抵の人はflighを選ぶ、その中で人の急所を殴る練習を毎日してバンテージで拳を固めてfight を積極的に選ぶボクシングや格闘家というのは「変わった人達」の集いということを理解しておく必要があるでしょう。これが一段階めの障壁で、次に生得的能力の違いで建築家の安藤さんがファイティング原田のボクシングを目のあたりにして次元の違いを感じてあきらめたという話を聞いたことがありますが別の所でも書きましたように

 

「練習は18%としか貢献しないという話であとの残りは生得能力次第というレポート」

http://www.vox.com/2016/5/30/11767704/practice-doesnt-make-perfect?utm_campaign

 

いわゆる一般の方々が目にするテレビでの世界戦は限られた方々で「変わった」多くの人達は、そのレベルに届きません。最後に世界チャンピオンになる為には少なくとも上記二つに巡り合わせなどの運が必要で入門したジムが大手でTV局にコネがあるということも重要でしょうし、その当時のチャンピオンが化け物クラスだと運が悪かったということになる場合もあり巡りあわせが成功には重要です。だから同然といっても手の届かない格段の存在と私は認識していますがインターネットに蔓延り亀田を敵対するボクシングファンは嘲弄しているぐらいだから自分は近いと思っているのでしょうが勿論、妄想です。だから前々から思っていたのですが亀田否定に参加したメディアの方々は自分たちがネット上の念仏から得た手法がどこから出てきたものなのか理解した上で使用しているのだろうかという疑問で「雑魚としか試合をしていない」のオリジナルはこのようにオタクのマスターベーションで亀田以前は自分の好きな選手を持ち上げて対照に別の選手を否定するために使用していた。2チャンネル等のSNSでしこしこと選手の悪口を書いているのも大体がこれで、私はそれが法に触れない程度なら便所の落書きは便所の落書き程度の影響しかないので自分が実現できなかった不満を吐露する場所があっても別に構わないと思っているけど、これを便所の外に持ち出す厄介者の媒体が出てきた。それが私は知っているの承認要求の強い方々でオタクのマスターベーションを売り物にして御託を並べだした。このような御託はオタクのマスターベーションを基にしたメタ発言と心得ているから以前からくだらない話と明言していたのですが媒体を経由したことによって御託がオタクのマスターベーションを基にしたメタということが隠蔽されてしまった。それに事情のよく知らない方々からすると愚にもつかない話だとしても媒体の記事というだけで恐ろしいことに信認があったりしますから馬鹿にはできないのは#5念仏で何か知ったような気になっているブロゴスの知識人気取りの人を見れば理解できるのではないでしょうか。本来ならここで専門家による放逐があるのですが、いろいろと経験(悪事というなら、これまでそうしたものに手を貸していたのでは?)しているのにもかかわらず亀田嫌いに乗じて曲学阿世、それを監視する自称ファンも付和雷同の類が多く結果、HAERETICUS 12の話になるわけですが、もうこうなれば手に負えない。

 

すでにお気づきになっていると思いますが非難をしている人たちは事実判断と価値判断の区別もつかない人たちで価値判断で悪事や問題と騒ぎ対照している選手のことは都合よく脳内転換をして煽て上げをしていて相対的なのです。結局、この程度のファンやメディアしか育たなかった残念な日本ボクシングというところに行きつくのでしょう。私はチャンピオンというのは手の届かない格段の存在だから業界紙の煽て上げという態度は正しいと思っているけど妄想世界維持の為に価値判断で、しかも自家撞着(矛盾を衝くと論理矛盾がすぐにばれる)な別け隔をしてしまったのでリスペクトが煽て上げになったのは残念。この人たちが亀田がボクシングを汚したと盛んに喧伝していましたが、それ以前から構造やマスターベーションという名の発想は存在していて、そのころは許容していたのだから誰がボクシングを汚したのかは一目瞭然でしょうオタクのマスターベーションに乗じた人達です。品性下劣?それが気になるなら海外ボクシングは見れません。「批判をするなら自分でやってみろという意見など何の意味も持たない」で判りますように効果のある伝家の宝刀があるのに汚した人たちに与してしまったボクシング関係者は自分たちの職業に胸を張れなかったのでしょうか。

 

 

 

#1 私は辰吉ファンですが、辰吉さんが強く良い選手だからや不良少年からのサクセスストーリーに惹かれたからファンになったのではなくて普通ならとっくに引退して辰吉という名を生かしてジム経営でもして首尾よく生きていけるのに今でも現役を口にしているように最初にTVで見た時から自分にはないものを持っている変り者と感じたからです。HAERETICUS12でトリックスターのことを書いていますがペルソナはペルソナの考える規律を乱し不安を掻き立てるトリックスターに警戒心を抱いている一方でトリックスターに対する憧れというか期待も持っていて自分の中にもトリックターの一端があることを自覚している、それが個性というものですが、大体の方は個性を出すと儀礼的なものに与さず反する人になりかねないということを社会学習するから社会に適合しようとペルソナを装うが、それに与さないトリックスターに見果てぬ夢を見ている。アリもトリックスターでペルソナの期待に応えて成功した例で上手くいけば爆発的な人気を得ます。

 

 

#2 リナレスのデビュー戦を見たけどスピードがあり動きも違う矢張り強い選手は最初から強いと分別はできているからあながち盲目ではない、結局、強さは生得能力次第なので

 

 

#3 当初のジュニア階級はファイトマネーも評価も低かった。

 

 

#4 1996年に私が抱いていた「指名はまだこのころにはあったのですが階級によっては選手のレベルが下がってきたと感じていた」頃でも日本人選手の防衛回数は多くなかったけど今はどうでしょう、さらに状態は進み昨今では指名ですら頼りがいのないのが多く私の中ではすでに情報は更新しているのですが、かつてWBF(World Boxing Federation World )スーパーフライ級タイトルを38度防衛したサムソン(セムサン)ダッチボーイジムというのがいたけどWBFは新興の地域タイトル扱いで対戦相手の質が的な話から記録として認められるものではないという話だったが今のを認めるなら、この38度防衛も認めなくてはいけない状況にあると、此の手の話も周回遅れで最近になって対戦相手の質が物足りない的な話をしているようだが内藤さんがフライ級タイトルの防衛戦をしていた頃に日本人ばかりと防衛戦をしているとスポーツ紙系は嫌味を書いていたけれども、私は今時、東洋王者より日本王者の方が強い時代で、それはランキング表に目を通すと世界ランカーも同じようなもので目ぼしいのは殆どいないから日本人相手でもまったく問題ないと、中国の熊朝忠との防衛戦時には 「くまあさ だだし」 との対戦とメディアの嫌味を皮肉っていた。とにかく10年単位で遅れて見当違いの批評を繰り返すのは変わらないようです。

 

#5 文章を読むと誰のどの記事に影響を受けて書いているのか大体わかるのですが、夕刊紙を読んで政治経済、世界情勢を知ったような気になっている感じでグーグルのアルゴリズム(検索エンジン最適化)はけして最善、良質の選択を表示しているわけではないということから学ぶ方がよろしいかと