ビタリは窮地に立たされているのか、無論、ウクライナ情勢のことだ

ビタリの政治におけるスローガンは国の成功は個人の成功からというもので

イデオロギーは自由主義 、腐敗防止 、ヨーロッパ主義

①民主主義国家としてウクライナの発展

②法の支配を確実のものとする。

③社会的市場経済(ドイツの首相でキリスト教民主同盟のエアハルトが実践した。)

簡単にいえば基本は市場経済だが、それを国がコントロールする中国みたいなもの。


政治に関する経歴は2003年慈善団体 クリチコ兄弟基金を設立


2006年にはオレンジ革命に傾倒する青年組織Pora-PRP連合のリーダとして
キエフ市長選挙に出馬するも落選

2008年再びキエフ市長選に再出馬するも落選

2011年には大統領が運営している国立アカデミー(行政学)を卒業
ウクライナの社会成長のマネジメントを学んでいる。

親ヨーロッパ、腐敗防止、民主主義はキエフに集まった民衆も求めていたものであり
デモ隊を率いる野党リーダとして、まさしく最適な人材といえるだろう。
消火器の粉をかぶりながらも
デモ隊が暴発しないようにと最前線に立ち諌めて
政府打倒は暴力によるものではなく選挙による審判によってもたらそうと
野党指導者のメンバーの一人としてヤヌコーヴィチと談判の末に譲歩させて

大統領選挙の前倒を合意させたが結局、衝突によってデモ隊に75人の犠牲者を出して
大統領選挙の前倒も無いままヤヌコーヴィチはロシアへ避難してしまった。
選挙を前倒しにして正当な選挙をしていれば
汚職に市民は懲り懲りしていたので
ヤヌコーヴィチが落選する可能性も十分に存在していたから
ソフトな着地点に降りれていたかもしれない。
それがビタリの描いていた青写真だとすると多くの犠牲者をだして
クリミア半島にロシアが乗り込んでいる現況は
最悪の展開といえるだろう。
なによりも革命は憲法改正の
限界を超えたものとするとロシアも指摘しているように
違憲なので正式な手段で政権を獲得したものではないということは
法の支配を掲げるビタリとしては口惜しい思いが残るのではないだろうか。

キエフでの反政府デモは紆余曲折がありながら
EUとの
安定化・連合プロセスの協定締結に向かって漕ぎ着けていたかにみえたが
EUの素っ気無い態度に対して
ロシアのガス料金の3分の1に引き下げと
150億ドル等の支援に
ヤヌコーヴィチがなびいたのか?
EUとの協定
締結を凍結、これが民衆の怒りをかった一つの要因だとされている。
だから最初はEU連合の参加を渋る政府に対する諌めであったが
改めないことから政権転覆の強訴になり、それが一味同心となり収拾が付かなくなった
この一味同心というのが今回の火種になった可能性がある。
日本の一揆も徳政令を求めて地侍と農民が組んだ徳政一揆というものがありましたが
ここでの一味同心は徳政をして善政を見せろというもので
つまり内包するイデオロギーは違うけれども
徳政をして善政を見せろには
同心したということなのだろう。
ウクライナの反政府デモの中には、いわゆる穏健派と
いわれる
protesters(抗議する人)とミリタント勢力反ユダヤ・ファシズムの思想を持つ
Right SectorUkrainian National Assembly がいて、その代表的なのが
反ユダヤでウクライナ民族主義のスヴォボーダ で33議席を持つ野党でもある。
その副会長Ruslan Koshulynskyは2012年12月13日に最高会議副議長になっている。
ウクライナの反政府デモもイデオロギーに相異はあるけど政府打倒に一味同心したと
見るのが自然
だが、
抗議の手段が武装衝突も厭わないミリタントとは
相容れない懸隔があり
穏健派といわれている親欧州・野党指導者の人たちでは
ミリタント勢力のコントルールができなくなっていた

それが2月18日からの警察隊との衝突である。
19日に結ばれた休戦協定も20日の警察隊との衝突で
47人の犠牲者を出して不履行となり、ビタリは被害を拡大させない為にと
ヤヌコーヴィチ大統領に退陣を求めて、ヤヌコーヴィチも折衷案の合意で
動乱の鎮静化を模索したけど鎮静することはできず
22日になって
ヤヌコーヴィチの所在はつかめなくなった。
同日、
ボロジミル・ルイバク最高会議議長の辞任を受けてオレクサンドル・トゥルチノフ(祖国)
450-288票をもって新議長に選出された。
翌23日、ヴェルホーヴナ・ラーダ・ウクライィーヌィ(最高会議)は
野党が過半数を確保
議会を召集して「ヤヌコーヴィチの大統領の(*1事実上)解任と
5月23日に大統領選挙の繰上げ、
最高会議議長オレクサンドル・トゥルチノフを大統領代行に任命
ティモシェンコ元首相の釈放」などを決議した。
27日最高会議の承認を受けて暫定内閣が成立、首相には「祖国」のヤツェニュクが
任命され外相にはフィンランドのウクライナ大使だったアンドリー・デシツァ
総務大臣は(祖国)のアルセン・アバコフ(祖国)

財務相は元経済産業の大臣のオレクサンドル・シラパクが就任した。
なおビタリ率いるUDAR(中道右派)は閣僚は出さずに閣外協力に留まるようだ。
(12年10月に祖国、UDAR、スヴォボーダーは野党連合を形成している。)

*1
27日、ロシアで会見を開き、21日の野党との合意が履行されていないし
何よりも今も自身が大統領であると表明、だから21日以降の
ヴェルホーヴナ・ラーダ・ウクライィーヌィの決定はすべて違法であると述べている。
21日の合意内容は10日以内に大連立内閣の樹立。
9月までに憲法を改正して議会に大統領権限の多くを移動させる。
2015年3月に予定されていた大統領選を年内に繰り上げする。