アンシャン・レジーム

 

財政難に苦しんでいたフランスは1786年英仏通商条約を結ぶも産業革命で発展していたイギリスの安価な品が流通することでフランスの国内産業は打撃を受けることになり、1788年の凶作、不況、失業と社会は不穏な空気に包まれる。そこにアベシェイエスが「三身分は何か」を出版、反響を呼ぶ。そしてフランス革命(1789年~1795年)、フランス革命はイギリスの名誉革命から約100年後であり、フランス革命の時、イギリスは産業革命の真っただ中、この差は何だろうか?政略結婚から革命後の他国からの干渉防衛の問題があって大同盟戦争(1688~1697年)、スペイン継承戦争(1701年~1714年)とヨーロッパは長年戦争続きで、そのために君主の強さが重要でありフランスは17世紀の危機の時、フロンドの乱が失敗しルイ14世の絶対王政が確立し内情(ハイパーインフレ等の財政の問題)はともかく大世紀とか絶対王政の最盛期と言われていて他国から国(土地)を護るということに焦点が当てられ王族に委ねていたということなのでしょうけど、フランス革命が発生し1789年人間と市民の権利の宣言が議会で採択されたが、権力空白時には権力を手中にしようとする野心にまみれた人たちの仁義なき戦いが始まる。そこで真面目なロべスピエールは組織の引き締めを考えた結果、恐怖政治(ルール)で常軌を逸したギロチンにかけろとなりロべスピエールもまたルール通りにギロチンにかけられることになった。フランスはフランス革命戦争(干渉防衛がいつしか侵略戦争に)、そしてナポレオンの台頭と続いていく(第一共和政でフランス革命に対する防衛戦争という名の侵略戦争で約490万人死亡、この侵略戦争はイギリス(名誉革命、産業革命)に対する対抗心という見方があり、独立戦争の援護、大陸封鎖令(ベルリン勅令)と対抗心をむき出しにするのだが、大陸封鎖令を破ったロシアに侵攻し敗北、ナポレオンが失脚するとフランスは再びブルボン復古王政となりルイ18世シャルル10世(1814年~1830年)が君臨するが、7月革命でルイ=フィリップ(1830年~1848年)が王位につき立憲君主制を牽いて産業革命(ドイツは1840年~イタリアにも50年ごろには産業革命の余波はきたが本格的な産業革命は統一運動の後なので1871年~)も進めたが1827年~1832年の凶作、経済危機と疫病(コレラ1万8千人の死者)を原因とした6月暴動があり鎮圧したが、1846~47年の凶作、経済恐慌(絹織物工)と首相ギゾーの「選挙権が欲しければ金持ちになりたまえ」地主しか許されない選挙権が相まって二月革命が起きてフリップは失脚し第二共和制の臨時政府が誕生、普通選挙権(男性)を勝ち取ったが、4月の選挙に勝利したのは穏健派のブルジョワ共和派とブルボン王家らの王党派(秩序派)でプロレタリアート(無産階級)の革命派は敗北した。それはブルジョアと農民がマルクス主義の台頭を警戒し安定を選んだ結果だった、もしここで判断を誤っていたら更なる地獄が待っていたかもしれない。他方、臨時政府の時に社会主義者ルイブランらは労働者の救済(失業者)のための国立作業所を設立したが、選挙に勝利したブルジョワ共和派は財政を理由に廃止を決定、反発した労働者が6月蜂起を起こしたが武力で鎮圧され、これまでVS君主だったのが、プロレタリアート(無産階級)VSブルジョア(有産階級)の争いに舞台は移っていく。第二共和制で制定していた大統領選挙が12月にあり6月蜂起で労働者を虐殺したカヴァニャックが有力だとみられていたが選出されたのはフリーメイソンメンバーでナポレオンの甥ルイナポレオンである。しかし議会の各派が有利になろうと移動労働者の選挙権を失効させたりして権謀術数をめぐらす中、ルイナポレオンは1851年12月クーデターと民衆の信託により独裁権を得て第二帝政を敷いたと、フランスは、結局、君主の独裁に収まった。1791年憲法によって#11792年男性普通選挙「ただし活動的市民だけ」恐怖政治時代の1793年憲法(ジャコバン憲法)でも男子普通選挙 奴隷廃止 抵抗権など人民主権が浮上したが、干渉戦争であるフランス革命戦争がありそれどころではなくなった。1795年直接納税者のみの制限選挙に戻され1848年の2月革命後に再び男子普通選挙権を獲得するフランスの啓蒙思想からの大まかな選挙権獲得までの道のりで、上記に書いたようにその選挙で勝利したのは王党派で結局、君主の独裁に収まった、これをカーク・マルクスは「歴史的な大事件や重要人物はすべて、いうならば二度繰り返される」とヘーゲルはどこかで指摘したが、彼は以下のことを付け加えるのを忘れている一度は偉大な悲劇として、もう一度はみじめな笑劇としたが、本当にフランス人は一体何を目指していたのだろうか?貧しい人の不公平感を狡賢いエリートが利用するところは共通するもののイギリスとの違いを鑑みると、階級制度の認識に違いが見られます。イギリスは生まれ素性よりも「ジェントルマン」としての振る舞いが重要でジェントリは運が良ければだれにでもなれる可能性はありジェントリ出身のクロムウェルが共和国の指導者になっているように、この身分制度の緩さで上も下も立憲君主制が受け入れやすかったかもしれません。一方のフランスは第三身分があり町人貴族という成り上がりを失笑する演劇もあるように「ジャンティオム」は同じ貴族、紳士という意味合いでも、こちらはカーストの中での呼び名で身分の固着があり、そして情念ばかりが先行して革命後の青写真はなく、ポールバラスのような人物に翻弄されて一体、何を目的として革命をしていたのかが(支配されるのは断固拒否するが誰かに導いてほしい的な)判然としていなかったのではないのかという仮説、支配されるのは断固拒否するが誰かに導いてほしい的な社会はフランス革命からさらに「遅れた革命」の社会主義や共産主義ら権威主義国に受け継がれていく、レーニン、ヒトラー、毛沢東、ポルポトなどは人々の誰かに導いてほしいという(キリスト教道徳→奴隷道徳→共産主義)感情を操るのが本物の扇動者なので上手かったのでしょうと、歴史的な大事件は2度どころか人類はみじめな笑劇を何度も繰り返しています。日本の場合はアヘン戦争で国力のある中国が翻弄されるのを知った日本の攘夷の人たちが危機感をつのらせ明治維新において天皇を神とした国家形成で四民平等を取り入れましたが、江戸時代の後半は平和で農工商の身分にもあまり差がないことから四民平等を受け入れやすかったのかもしれない。この妥協しあえる秩序を受け入れたという転身の速さで日本はアジアの中でいち早く近代化できたのですが、矢張り欧米に比べて遅れと資源に乏しいというのは否めない。それで植民地に走ったが、これが間違いの始まり、戦後は高度成長期があり経済こそ復興したものの国体的(判断力のない未成年の状態から抜けでる)にはフランスが陥った(誰かに導いてほしい、しかし見事に外れて目的もなにかよくわかっていない)迷宮に陥っているように私にはみえています。ちなみに血で血を洗い先人が獲得したフランスの選挙権、今は選挙投票率が低い諸外国における世代別投票率 

 

#1

2800万人のうち女性と300万人の貧困層以外の25歳以上の男性、3日分労働価値の直接税金を支払っている活動的市民400万人による選挙

 

 

どうせ誰かが支配者であることには変わらないから、納得しあえる秩序として立憲君主制を受け入れた転進の速さで三角貿易などの流通網を確立したイギリスは大英帝国となり、革命に執着したヨーロッパ最大で最強のフランスは今一となった。産業革命前までは大陸であるヨーロッパ各国のほうの技術は優れていて、イギリスは新技術を持つ職人を招聘して技術を取り入れていた、その保護の為に一定期間の専売特許や権利侵害に対する損害賠償請求が誕生したが、1776年にイギリスのアダムスミスが国富論で重商を批判して自由貿易を訴えるけど、まだ重商主義の時代、イギリスも海外から輸入品(紅茶、コーヒー、砂糖、インド綿織物など)入ってくるので自国生産品(羊毛など)が売れなくなり貿易赤字が膨らむと国はキャラコを輸入禁止にしたり、地主を守る穀物法の保護政策をとるが、洗濯のできる綿織物は好評で需要がありました。輸入禁止されたなら作ってしまえと綿織物ではない綿を輸入して商品化する形式が出来て、若い人が田舎から出てきて都会で就職をする=商品の需要がさらにできる→供給側も増える、また穀物法に対しては反穀物法同盟が誕生し廃止、自由貿易が加速した。それから奴隷はイスラムやスペインらがもっと前からやっていたが、イギリスは工業化で生産した雑貨、綿織物と武器を船に乗せまずはアフリカに行き雑貨や銃と奴隷を交換(部族間抗争の片側に武器を渡し戦利品としての奴隷もいた)し、奴隷を乗せてインドやアメリカに行き、今度は綿と紅茶、コーヒー、砂糖と奴隷を交換しての流通網(イギリス 南アフリカ 北米カリブ イギリス 南アフリカ 西インド(アメリカ大陸))のよくそんな悪事を思付くなという大西洋三角貿易とサンシモン主義が後押しをしてイギリスは世界で最初の工場化した国となった。しかし、文化や転進の速さを後押ししたと考えられる「ジェントルマン」精神が再び顔を出します。三角貿易の拠点であったリヴァプールから反奴隷貿易運動が起きはじめ、一説にはアメリカ独立戦争に負けたことで精神的優位は保とうということからきているとか、カトリックというところからという見方があったりしますが、無法者が海外で勝手にやっていたとしても奴隷貿易が国益にもなっていた関係、調整は難しかったようですが、ウィリアム・ウィルバーフォースやグランビル・シャープらがシエラレオネ入植計画を立てたりして奴隷貿易は禁止の方向へ向かい、プランテーションと植民地の維持で落ち着いたようです。一方で1811年ごろからのライダイト運動も同様に奴隷貿易反対としている割には国内では子供まで駆り出されて長時間の重労働をさせられており、このころには目の前にいる弱者よりも遠くの気の毒な人を助ける優しい私たち的なものが存在していたようです。ライダイト運動の要因(価格競争)の一つでもあるアメリカ独立戦争ですが、軍事力、国力ともに有利とされていたイギリスが負けたのはフランスがアメリカを後援、またバッファローの狩用に銃の改良したからという説もありますが、一番は援軍を送るのにも距離があり、この距離が敗因とみられております。この敗北でイギリスは3角の大きな一角を失うこととなり、大きな一角のアメリカが新たな帝国として君臨することになった。これはフランスが今一の後にアフリカに植民地支配を広げていたということを見てもわかりますが、やはり植民地よりもより多くのプランテーション(イギリスが保護貿易をしてくれたおかげで本国イギリスと被る商品は輸出できないので他に販路を開拓して発展している。)を持ち流通網を開拓していったほうが技術力も上がり産業は成長するのでしょう。資本は搾取で成り立っているとすると、何も持っていない人から奪うよりも与えて肥えてから少しづつ搾取していく、植民地よりも貿易相手国として自立させて交易している方が、より大きく搾取できるということで、アメリカが長く帝国として君臨しているのもこれが理由でしょう。それを理解できなかった日本政府は植民地を模範してえらい目(まあアメリカも中東でえらい目にあっているんですけど)に遭遇したことを忘れたのか?再び欧米の模範と前のめりになっているようですが、産業(アメリカはビジネスの国)があるからうまくいっているのであって、日本はアメリカ型のビジネスの国(とにかくあらゆる有名企業がカルテルの嫌疑をかけられて議会からお呼び出しを食らい吊るしあげられる、独占を嫌い、投資があり、スタートアップ企業が出やすい競争社会)ではありませんし、企業が海外に工場を移設したことで長らく工場(国内投資)の空洞化が本邦の問題だと指摘されているのに、企業のために外国人労働者招致を模範をしても同じようになるわけがないという視点に欠けているようです。それどころか人手不足と賃金高騰になるから機械化が進む、それは人口減の国ではまさに「機会」であり不可避、また肉体労働者の成り手がいない、少子化もその原因は「学歴」と判然としているのに学校の無償化を堂々と政策に掲げる政党もいる。こうした何重にも整合性のとれない政策で様々な「機会」を失い失われた~は続いているのでしょう。

 

 

そして今、無法者が海外で勝手にのグローバリスト、世界の工場として交易をした中国も発展(戦後復興の日本も)したのだから、この方法は王道としか言いようがなく、国家が主導する安価な品の流通で世界を席巻しようとする中国に対して開かれた自由貿易の方は保護貿易で対抗しようとしている・・・、本邦と言えばグローバリストは奴隷貿易の時代から守銭奴の無法者で内部保留のことしか頭にないということは変わりがなく、工場(国内投資)の空洞化をぼけっとしながら構造改革で何とかなると思って約30年、ようやく熊本に工場を誘致し原発を推進すると岸田さんは言ったが、いまだに改革を旗印に挙げていれば何か言っている体になると思っている政治家も少なくないことからどうなることやら・・・スタートアップ企業とその工場建設の環境を整えていく方が、男女共同参画や~無償化、需要が少なく経営難に陥っている会社の救済等その成果が何かよくわからないことよりも、雇用を生み人も集まる、新しい家族ができ、それこそ福祉につながるということは難しい話ではないと思います。地方の知事選とかの選挙でも福祉、福祉としか言っていない候補よりも、企業誘致で雇用を考えている候補の方がその地域のことを考えている人です。それからもっと重要なのが独立戦争でのイギリスの敗因は台湾情勢のアメリカと中国の関係を表していて、この海域ではもはやアメリカの軍事力単独では中国に勝てないとする見方が多いようですが、これらをどれだけの日本人が認知して政策に反映されているのでしょうか?生き残りをかけた転換期に入っているとすると、その認知のカギを握るのが冗談ではなくワイドショー次第というから笑えません。(事実をありのままに伝えるが常識の報道の世界で本邦は政治リーダーの監視、時事問題の分析に意識を置いているだけらしいが、やっていることは政治で遊んでいるようにしか見えません。報道とか言ってもストレートニュース以外はワイドショーと私は見ています。)

 

 

アンシャンレジームの結果、自由と権利(選挙権)を手にしたというのはよく言われていることですが、手にしたのは(これは夢でござる8)にランボオの「92年の死者」の詩を紹介しましたが、人民に承認される皇帝の存在によって秩序が維持される帝政とナポレオンを評価していたボナパルト派の右派ポール・ド・カサニャックから繰り返し聞かされたと詩にあるように、ヴァルミーの戦いは革命後に最初となる国民の素人の寄せ集めとプロセインの軍隊との戦いであり、アンシャンレジームの本質は国民自らが国防のために命を懸けて戦う義務を手にしたことにあります。1795年のヴァンデーの反乱のように徴兵に反発した反乱もありましたが、王族などからその地位と役割を強奪したのですから至極当然の結果です。義務を手にした以降の戦争は徴兵制の総力戦に突入していくことになる。(だからナポレオンが無理をするまでは強かった)しかし、こうしたことは紀元前からローマ市民の市民権を得るには補助兵となり満期除隊することが義務づけされていたり、15世紀のオスマン帝国の我が子税も同様に命を懸けるということが権利を得る手段であり。近代の人権のさきがけとなるマグナカルタも兵士のためのもので、もちろん明治維新の日本も徴兵制になりました。人権や権利の話は多く語られるけど、実際に革命で手にした義務は忘れられ気味で語られること自体が憚れているようなので事実を書いてみました。他より多めの権利が欲しい人はそれに見合う義務も果たしましょうと言えない社会は何かが壊れていると聞いて「?」となる人は敗戦から価値観が止まっている人です。ジェンダーギャップ指数の順位が低いとしつこいぐらいに問題視されますが、国を守るために戦いますかの順位がすこぶる本邦は低いということの方が他の国に比べて異常ともいえる乖離があっても問題視されることは少なく、これも事実をありのままに伝えるよりも、政治リーダーの監視、時事問題の分析が重要と考えるメディアら敗戦の反省の反省の迷宮にさまよっている人たちの軍靴の~が効いているのでしょうから、日本の政治家が徴兵制と発言しようものなら袋叩きとなるでしょうが、軍靴の~は反省ではなく思考が停止しているだけです。フランスのマクロンは風見鶏的なところがありますから都合が悪くなるとひっこめますが内心は徴兵制を望んでいますし、イギリスのスナクも選挙前に勝ったら徴兵制と普通に宣言しています。アメリカ、ロシアもそれなりの権利を貰うために軍に入るのが手っ取り早いと世界基準で見れば軍靴の~の方が異常です。

 

気候変動、パンデミック、戦争によって革命が起き転換期をむかえたように、現在、気候変動、パンデミック、自由を掲げる国の少子化、戦争と再び世界が混とんとしている中、どの国が一番先に抜け出せるのでしょうか、アジアで一番最初に近代化したといってもイギリスとかに比べると100年単位で遅れている、資源はないので厳しいですが、この遅れが先の戦争での生産力、技術力の差だと私は考えていますが、戦後からフランスが陥った(誰かに導いてほしい、しかし見事に外れて何が目的なのかすらよくわかっていないでメディアに煽動される)迷宮に陥っているので、明治とは違い(多重に間違えている政策、それを国民が認識していない)間違っているということに気づくことすら難しいかもしれません。