よーくかんがえようーおかねはだいじだようー、保険のCMでしたかね?CMに流れる曲のリズムについつい反応して振付を踊ってしまうおっさんで確かにお金も大事だとも思っていますが、しかし、世の中にはあまりお金が絡まないところがあっても良いのではと考えてもいます。その一つがスポーツで、アマチュアのようなプロがいてアマチュアという肩書なのにプロのような人もいると、はっきりした分け隔ての定義はありませんがアマチュアとプロに分けているのはお金が絡まない清廉潔白としてのスポーツを表現したいのかと理解していたのですが、強欲なメディア業界と関連企業、そしてそのスポーツに関わるところが名声や利益を求めるからプロとアマチュアの線引きの意味がなくなっている。意味とは、不法薬物の事件で日本大学アメリカンフットボールチーム廃部が騒がれておりますが、刑事事件として裁かれ学校の処分も下るでしょうが、学生スポーツ=アマチュアということならスポーツとしては問題にしないのが妥当ではないのかと考えている。それはみんなのスポーツ憲章の誰でもスポーツに参加する権利があるということから、犯罪者であろうが何であろうがスポーツをする権利はあって、スポーツの重要な要素だからそれは尊重したほうがよい。その観点からすると胸糞が悪くてもトーマスバッハの侵攻中のロシア人にも参加する権利はあるは間違っておらず、2006年から2017年だけで制裁の安保理決議を11度採択されている国際的反社の北朝鮮も参加する権利を持っていて堂々と参加しているわけですから、日本の国母の服装、態度騒動なんていうものもナンセンスもいいところなのですが、ナンセンスでなくなるのは名声や利益が絡むので=スポーツウォッシングから清廉潔白が求められる世界、つまりスポーツ自体が商品化していて、それを取り除くことなく勝負至上主義はいけないと綺麗ごとを言っても始まらない、その代名詞がプロまで参入させて注目を集めようとするオリンピックでいくらバッハがまっとうな主張しても、スポーツウォッシングを考えたらロシアの出場は体裁的にまずく、ドーピングより国際的反社の方がはるかにろくでもなくありえないのですが、これはアマチュアということで強硬にウオッシュし出場していると、こういう平気で矛盾していることをするのが大人のいやらしいところです。誰でもスポーツに参加する権利を尊重した方が良いのは、妙な価値をつけて商品化しなところにアマチュアスポーツとしての特性があるからですが、ウオッシュ、ウオッシュしたい企業からすれば逆に、その特性の一部である青春とか情熱の清らかな部分を商品として必要としまた利用し綺麗ごとは並べるが、朝日新聞のように真夏の日中に試合をさせて暑さでまさに燃え尽きようとしているのでさえ絵になると思っているようなところが垣間見えて、こうなればもうスポーツ競技がケイマン諸島にしか見えていないのだろう。こうしたスポーツの包括性はイギリスの近代スポーツのクラブ制度からはじまりFIFAなどの強大な団体になり囲い込みをして所属していないのはそのスポーツにあらずのような独占的なものに変化しました。ということで個人的には名声、利益の絡んでいるのはすべてプロスポーツ(プロにもいろいろありエンタメ要素のないところはマイナープロスポーツ)である。一方、もちろん遊びにも勝ち負けやルールや罰ゲーム的なものそして仲間外れもあるけれども、勝ち負けにあまり意味はなく違うところでも混ぜてはならないという不文律もないので、名声や利益の絡まない遊びだけが真のスポーツでハラルフードのようにアマチュアと認定しときたい。