「どうぞ、こちらでお待ちください。」

約束の時間よりも少し早くついてしまったようだ。

がらんとした校庭が案内された二階の窓越しに見える。

瑞江もこの中学の卒業生だった。

十年ほど前に今の校舎に建て替えられた。

校庭はその時に他所からかなりの量の土が運び込まれた。

以前は、雨が降ると水はけが悪く水浸しになる校庭だった。

もっと狭かった校庭を思い出しながら、さして大きな悩みもないままに過ごしていた思春期を思い出していた。

学校へ行きたくないなんて考えてみたこともなかった。

今は立派な門までついて校舎も明るくて立派だ。

あいりの心の中でいったい何が起こっているというのだろうか。

ふと気づくと、門から少し離れたところにタクシーが止まっていた。

女性が校門を入ってきた。

瑞江は少しいやな感じがした。

今は、授業中で生徒たちが校舎を歩いていない。

担任の石津はそんな時間帯をわざわざ指定してきたのだろう。

あの女性も、今回のことに何かかかわりがあるような気がした。

ひょっとしたらこの部屋にあの女性がやってくるかと耳をすました。

しかしあの女性は来る気配はなかった。

出された茶はもうぬるくなっていたが、茶を替えに来るようすもなかった。

茶を出してくれたのは、教師だった。

あいりは微熱があり医者は精神的なものだろうといって何か薬を処方してよこした。

自室に寝かせて、マサに後のことを頼んできた。

あいりはおとなしく寝ているだろうか。

なかなかやってこない石津をじれったい思いで待ち続けた。

石津が現れたのは約束の時間を二十分も過ぎた頃だった。

「いやあ、お待たせしました。少しクラスで問題が起きましてね、指導が長引きました。遅れて申し訳ありません。」

汗っかきなのか、そう若くもないのに額のあたりに汗をにじませて石津は勢いよく戸を開けた。

「もうすぐ五時限目が終わりますね。私は次の時間は空きですので大丈夫ですが大関さんはお時間大丈夫でしょうか。すみませんね。こちらの都合で時間、ずれ込んじゃいました。」

大柄なわりには細やかな気遣いを見せて石津は笑顔を作った。

「あいりさんのことなんですが、このごろご家庭で変わったことはありませんか?」

瑞江は目を瞑った。

かわったこと?

明るく元気だったあいりがあんなにか細く見える。

心が元気でないことに目を奪われていて、どんな細かい変化がいつからあったのさえ気づかなかった気がする。

「たとえば?どんな小さなことでもいいのでしょうか?」

石津は瑞江の目をまっすぐに見返し頷いた。

「そうです。どんな小さなことでもです。」

トランプで、もちカードをみんなさらけ出してしまったような気持ちがした。

瑞江はあいりが瑞江の布団にもぐりこんできたあの夜のことを話した。

あの夜、あいりの心の中に小さな嵐の芽が生まれていたのだろう。

いや、それはあふれて、瑞江に援けを求めるほどに成長していたのだろう。

いったいいつあいりの心に芽吹いたのだろうか。

石津はいちいち頷きながら瑞江の話を聞いていた。

「先生。あいりは学校で何かに巻き込まれているんですか?何で学校に行きたがらないんでしょうか。」

「ご心配はわかりますが、順番に、ね。わかっていることは順に説明しますから。そうですか、まあ、おうちの人に話せると言うことは大丈夫ですよ。ちゃんと助けてって信号を発しているんです。大丈夫、打つ手はありますよ。今は?あいりさんどうしていますか?」

瑞江は医者とのやり取りやその後の経緯を説明した。

廊下の遠くのほうから生徒たちの騒ぐ声が聞こえてきた。

休み時間だ。




今日はここまで 続く


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