年が明けた。

正月気分もそろそろ抜けるころ遅い朝ごはんを一人で食べていた瑞江にマサは声をかけた。

「今年は、寒いな。瑞江、寒大根作るにはもってこいの寒さだよ。畑から掘ってこう」

マサは自分は室内で暖房の効いたところにいるから、瑞江に畑から大根を掘り出すように言いつけた。

瑞江は、大根を掘り上げて、それを共同水場に運ぶ。

ゴムの手袋をして、山のような大根を一本一本丁寧に洗う。

自然に地下を通ってきた水は水道の水よりずいぶんと温い。

洗ってはうちの小屋に運んだ。

大根は皮を剥いて硬めにゆでて水にさらし寒風に晒す。

白い大根はいっそう白くなり、寒の中で凍ったまま水分が飛んで、スカスカの大根の干し物ができる。

春の植物が出回るまでの大切な保存食だ。

あと、三分の一くらい大根が残っていたが、瑞江は動き回るので、体がぽかぽかしてきた。

水場には瑞江のほかにやはり嫁の立場のリツが来て、洗い物をしていた。

「瑞江さん、よくかせぐなあ。わたしだったらつとまんないな。」

リツは瑞江より五つくらい歳が上だった。

リツの口調から瑞江の子を本当に気遣って言ってくれているのがわかった。

「川が近くていいね。すぐ家の前だもんね」

「ほんとうに。遠い人はたいへんだよね。」

二人は笑いあった。

共同水場はみんなは川と呼んでいた。

瑞江にとってこの川の存在は大きかった。

一心に洗い物をする。

何もかもわすれられた。

清い水がこうして抑圧された嫁たちの憂さを晴らしていたのではなかったか。

嫁たちの社交場というわけだ。

嫁たちは声高に家族の悪口を言うわけに行かず、こうした場所で、ひそひそと情報交換する。

どんなにつらいことも自分ひとりじゃないと我慢できた。

「勝也くん、受験だね。滑り止めやらなくてもいいでしょ?」

瑞江は、今年高校にあがるリツの息子のことを話題にした。

リツは少しだけ顔を曇らした。

「それがね、この頃なんだかぱっとしないのよ。父ちゃんは私のせいだtt言うし・・・」

瑞江は、勝也が学校から呼び出しを受けたりしているらしいと村の人が噂しているのを耳にしていた。

小学校のころ勝也はとても賢い子だったと噂だった。

「思春期の子供って難しいねえ。」

「そうみたいだね。子供育てるって大変だね。何もなくて育っていくと一番いいんだけども。うちの忠正も気ィつけないと。」

「お宅はまだ、先だべ。素直そうだからだいじょうぶ。あ、もうすぐお昼だね。今日は何たべさせよう。早く冬休みおわればいいのにね。給食が始まればほっとするよ。年寄りもいるしさ、頭痛いよ。」

リツは明るく笑いながらそう言う。

「うちはてんぷら揚げてうどんにする。」

瑞江はそういった。

風は冷たかったが日差しは暖かかった。

「早く春が来ないかなぁ」

瑞江がそう言ったときだった。


 「大変だ、大変だ!」

そう叫んでいた。

リツの舅が玄関をあけてこちらに走ってくるのが見えた。

「大関!瑞江!早く家さ帰れ!早く帰った方がいい。竜神丸が転覆したらしい。」

「!」

瑞江は声が出なかった。何か言わなければならないとは思ったが、目を見張ったまま、何の言葉も出なかった。

「じいちゃん、ほんとうか?」

リツは瑞江を手伝って大根を一輪車に載せながら舅に訊いた。

「ああ、うそ言ってもしようがあんまい。今、いま、テレビで言ってた。どこのチャンネルもおんなじのやってる。」

どこのチャンネルもって、チャンネルなんか5つくらいの局しかないのにと、瑞江はそんなことが頭に浮かぶのだった。

「ほら、早く早く。大根はぉらが穂こぶから。走って。しっかりして。気、しっかり持って!」

リツの励ましの言葉を背に瑞江は家への緩やかな坂を駆け上った。

瑞江が血相を変えて玄関の戸を開けると、マサはのんびりと昼ねをしていたらしく、

「静かにしないか。もう、乱暴なんだから。」

などとしきりに目をこすっている。

マサはテレビを見ていなかったのだ。

早く詳細が知りたい、瑞江は靴を脱ぐのももどかしく、居間に駆け込んでテレビをつけた。

きっと今頃はこの小さな村は『竜神丸』の遭難の話題で持ちきりに違いなかった。

それを思うと瑞江の頭にはカ~っと血が上りほほが熱くなるのがわかった。

「テレビ、テレビ。大変だ、大変だ。」

「瑞江!何とり乱してんだ?何、あった?落ち着け。」

マサの厳しい声が飛んだ。




今日はここまで 続く

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