初めは夜だけだった。
以前からそうアルコールが好きなわけでもなかった。
それなのに、夜になりひとりの時間ができるとついアルコールに手が伸びてしまうのだった。
種類は、何でも良かった。
良太は同じ屋根の下に暮らしているのに、どんなことをやっているのか博美にはわからなかった。
ほとんど鍵付きの部屋から出てくることがなかった。
真奈が出て行った今、改めて3人の暮らしに真奈の存在がどんなにありがたかったか博美は思い知るのだった。
気持ちの中の大きな二つの空白が、アルコールによって麻痺、あるいは増幅される毎日があった。
良太はそれでも母の異変になんか気づいてもいないのだろう。
そのことについて何か言ってくることもなかった。
遠い日、まだ幼い二人を連れて博美は幸せだった。
幼い二人もかわいらしく世の中のどんな家庭の子よりもわが子が一番だと思っていたはずだった。
誕生日のささやかな会食。
小学校に上がった年のこと。中学生になった日のこと。
クラス委員をやった良太の晴れがましい姿も、文化祭で演劇に出たときのこと。
楽しかった日々を思い出す。
いつも、二人の子供は博美のがんばりの大きな源だった。
楽しいことを思い出させてくれるアルコールは、やがてそれに付随するいやな思い出も少しずつ溶かしだしてよこすのだ。
博美は、今度は涙があふれてくる。
酔った頭の中で、自分の置かれた不幸に涙を流す。
博美は鏡を見ては自分の泣き顔に向かって自分のこの上ない不幸を語りかける。
ある日、突然何の前触れもなく夫が失踪してしまい途方にくれたことが思い出される。
いったいなぜ夫は私を捨てて、いなくなってしまったんだろうか。
いまだにその原因もわからないが、探そうとはしなかった。
自分を必要としないから夫は私の元を去ったのだろうという諦めがあった。
恋愛に関して、博美は不器用なのかも知れなかった。
いつだってそうだった。
探したり、追いすがったりは恰好の悪いことだと思っていた。
たぶん、これからもそれは変わらないだろうと考えている。
伊藤だって同じことだ。
伊藤はきっと、博美以外の誰かに興味を持ったに違いないと思っていた。
他に興味を持った女性がいる伊藤に追いすがったとして、いい結果が得られるとは思わなかった。
博美はそうして、少しずつ酒量が増えていった。
朝になり胃のあたりの気持ち悪さと言い知れぬ自己嫌悪で、博美はもう夜になってもアルコールには手を出すまいと思うのだった。
しかし、その決心は朝だけのことだった。
博美は、何とか口実を設けては仕事を休むことが多くなった。
そのうち昼間からアルコールを口にすることも多くなり、それは良太も気づくところとなった。
その日博美は仕事をずる休みして昼間からワインを飲んでいた。
まさか良太が早く帰ってくるなんて思ってもいなかった。
みつかってしまった。
この部屋で何が起きていたかすぐわかったのだろう。良太は明らかに軽蔑のまなざしで博美を見た。
普段から何を考えているかわからない良太が、嫌悪の感情をぶつけてきていた。
黙って博美をにらみつけていたが、くんできたバケツ一杯の水を博美にかけた。
朦朧とした頭で、博美は思っていた。
(仕方ない。私が育てたんだもの。)
博美にはわかっていた。
途中から、博美は子育てを放棄していたのだ。
博美は母であるより女性である道を選んだのだった。
その時はわからなかったことなのに今それがはっきりとわかった。
どちらもうまいこと手に入ることはなかったのだった。
良太はそれでも気持ちが治まらないのか何も言わないまま2階に駆け上がっていった。
(みんなに見捨てられた。)
また涙がこみ上げてきた。
涙か水か鼻水か区別もつかない水分が、博美から滴り落ちていた。
博美は生涯、このときの博美を睨み付ける燃えるような良太のまなざしを忘れることがなかった。
今日はここまで 続く