「私の東大合格作戦2014年版」は投稿者がわずか5名と、前年の2013年版(12名)から大幅に減少している。2013年版に何か問題があったのではないかと推測される。その中でも特に目を引くのは、「人類主席」を自称する長谷川智志氏の存在である。
長谷川氏については、「医学部受験の有名人」にまとめられているので、参照していただきたい。ネットの有名人としての地位は確かなようである。そういうのと同列に扱われることに抵抗があったのかもしれない。
「医学部受験の有名人」には、「2012年夏、に二冊の東大合格体験記が書籍に掲載された」とあるが、もう一冊は「東大文1 合格の秘訣8」(データハウス)である。「東大文1」はこの号で終了したようである。なお、長谷川氏は「私の東大合格作戦2014年版」にも「先輩からの応援メッセージ」を投稿している。エール出版が投稿者減少の原因を長谷川氏に帰していないことは、この掲載から推察できる。もし問題視していたなら、メッセージの掲載は避けたはずだからだ。
長谷川氏の合格体験記は、彼のユニークな経歴に比べ意外と平凡である。もっと攻めたものでもよかったのではないかと思われるが、不採用を恐れたのかもしれない。要約しておく。
実は10年前に高校を中退しており、その後大学進学・中退、フリーター、派遣社員、資格受験生、ニートを経て、今年28歳で東京大学に入学した。高校時代と高校中退後の二年間、理1を目指したものの挫折。その雪辱を晴らすべく、東大受験を決意する。
過去の受験では、過去問対策をしておらず、利き手と違う手で答案を書いていたのでストレスが溜まり、失敗した。この経験を踏まえ、戦略を改めた。まず、情報収集を徹底し、過去問や東大模試問題集を学習の中心に据えた。また、ストレスをためないよう、利き手でゆっくりでも書くようにし、そもそも可能な限り書かないように心がけた。書くこと自体が目的ではなく、アウトプットできれば良いからである。
受験には不安が付きまとうが、心身の健康を保つべく有酸素運動を行った。高校卒業後長期間無職だったので、近所で顔を知られている。そこでジョギングなどは控え、自宅で踏み台運動を行った。また、電子掲示板に自分のスレを立て、交流を通じて孤独感を軽減した。
科目別勉強法は以下の通りである。英語では、単語帳を一通り終えた後、すぐに過去問に取り組んだ。単語を4000語しか知らない状態でも、模試で偏差値72くらいを取れた。Googleライティングも活用した。数学では、解法テクニックに頼った。国語では、複数の模範解答を参考に、自分なりの解答を作ってみた。
最後に、受験生へのメッセージを送る。東大生と接しても、東大生が特別な人とは感じなかった。彼らと私たちの違いは、環境・方法・時間にある。環境は変えられないが、方法や時間は変えられる。
どうであろうか。電子掲示板での活動が一段落で切り上げられており、科学的知見をいかに応用したかという記述が主要な部分を占めており、薄っぺらい印象は拭えない。もっと攻めるべきではないかと思われる。これではインパクトに欠ける。
2014年版の先輩メッセージでは、再受験に二年半かかった理由として二点あげており、第一は、インターネット掲示板のやりすぎで勉強時間が取れなかったこと、第二は、日本史・地理という科目選択である。「東大の地歴は世界史が最も点が取りやすく、世界史非選択者は多くの年で10~20点不利になります」とのことである。得点調整の仕組みを考慮すれば、これが不合格の決定的要因とは考えにくい。
長谷川氏の合格体験記を離れても、2013年版「私の東大合格作戦」の質は低い。第1章には比較的優れた投稿が集められるものであるが、2013年版の第1章の投稿者の出身校は、江戸川学園取手高校、弘学館高校(2名)、宇都宮高校である。江戸川学園取手高校と弘学館高校は2012年版から頻出するようになった中高一貫校であるが、歴史が浅く、受験に特化したカリキュラムを提供している(と称している)。第2章以降にも両校の投稿者が登場するが、あえて第1章に集めるという編集方針には疑問もありうるであろう。
しかし、そもそも第1章にふさわしい投稿があったのかといえば、それも疑わしい。今は廃れてしまったケータイ小説を思わせる絵文字だらけの投稿や、自分なりの知見を書いていると称しながら、20ページ近くにわたりほぼ無意味な内容を綴ったものなどしかなく、小粒なものばかりである。
こうした投稿の質の低さが重なり、出来が地盤沈下していることが顕著に感じられる。「私の東大合格作戦」はその後十年続くのであるが、事実上、このあたりで価値が失われたと言っても過言ではなかろう。
