かつての「私の東大合格作戦」では、書き手が自分のことを語るのはまれであった。「参考書カタログ」(「私の東大合格作戦2000年版」、10-11頁)の観を呈していた。しかし、近年は自伝とまでは言えないかもしれないが、それに近いものが見られるようになった。この変化は徐々に進んでいたが、2016年版くらいから目立つようになったと思われる。編集部は書き方を指定していないようであり、以前も自伝的な書き手はいたが、そのような書き方をすると非常に目立った。しかし、現在では自伝風に書いても目立つことはない。
自伝と言えば、日経新聞の「私の履歴書」のように、年寄りが人生を振り返るものという印象が強い。しかし、若い人にとっても、自分の歩みを振り返ることは必要なことかもしれない。
TwitterやInstagramといったSNSは、個人が自分の経験や感情を広く発信する場として、2010年代以降急速に普及した。特に若者は、日常の出来事や自己の成長ストーリーを共有することに慣れている。2016年版頃という「私の東大合格作戦」の自伝的記述が目立つようになったという時期は、SNSの利用が若者文化に深く浸透した時期(2010年代中盤)と重なる。このため、自己表現の場としてのSNSが、合格体験記での個人的なストーリー展開に影響を与えた可能性は十分に考えられる。

2016年版のKさん(ファーストネームは読めなかった)は、親子二代で合格体験記を執筆しているのであるが、彼の記述はまさに半生の記録である(52-64頁)。父親は1986年版に執筆しているとのことである。
小学一年から二年までSAPIXに通い、父親の仕事の関係で外国に行く。小学四年まで英国学校に通った後、別の国に移ったが、そこの英語学校は学習内容が簡単すぎたので、両親が四谷大塚の予習シリーズテキストを取り寄せて学習を補った。小学五年で帰国し、SAPIXに入塾して、武蔵中学校に合格する。
武蔵ではちゃんと授業を聞いていたらしい。高校一年生の頃から大学受験を意識し、父親の勧めでMEPLOに通うことにした。高校時代にも一年ほどヨーロッパに滞在したのち、東大理1に現役合格した。Kさんは、武蔵、MEPLO、英国学校の課題に真剣に取り組んだ結果、自然に合格に至ったと振り返る。数学オリンピックの参加経験も持つ。
父親が塾事情に詳しいことが分かるであろう。SAPIXや四谷大塚といった中学受験の塾の利用が、ステータスとなっているように感じられる。ちなみに、2015年版のANさん(27-43頁)も小四から中二前半までオーストラリアにいたそうである。東大合格作戦は自伝化するとともにブルジョア化しているのであろうか。
2016年版では、TNさん(38-51頁)、SWさん(65-81頁)、YIさん(113-129頁)、YKさん(155-171頁)は小学校時代のことこそ語っていないが、東大受験を決意してからの経緯を時系列に沿って語っている。