中高一貫校には、いわゆる自称進学校も含まれ、けっこう不必要ことをやっている印象もあるものの、高二までに高校のカリキュラムを終わらせており、高三は演習に当てられるカリキュラムを採用している。こうした東大向けといっていいカリキュラムを持つ学校に通っていれば、授業に付いていければ、後は高三での頑張り次第ということになるのであろう。
麻布高校出身で一浪して文2に入ったKYくんは、「中高一貫校で何よりも大事なのは、最低限、授業からは落ちこぼれないように、こつこつと勉強を続けることだと思います」(「私の東大合格作戦2015年版」、133頁)と言っている。麻布は学校で勉強せず、浪人して塾で何とかするというようなイメージがあるが、完全に置いていかれてしまうと、高三を白紙の状態で迎えてしまうわけで、それはさすがに厳しいと言わざるを得ない。
中高一貫校で中一から成績を維持し、東大に受かるという合格体験記は、毎年一定数存在する。一つの理念型であることは疑いないが、読んでいて面白いとは言いにくい。学校の指導通りに勉強を続ければ合格できたというのは、ベルトコンベアから落ちませんでしたというだけであろう。しかし、この道のりは、与えられた課題を着実にこなす能力に優れていることを示す一方で、独自の発想や柔軟な思考をどれだけ発揮したのかは見えづらい側面もある。結果として、こうした合格者は学力の高さは疑いようもないものの、「秀才型」という枠を超えて「天才型」のひらめきや独創性を体現しているかどうかは、必ずしも明らかではない。
一例だけ紹介しておこう。AYくんは西大和学園高校出身で現役で文1に合格している(「私の東大合格作戦2020年版」93-105頁)。西大和学園は2021年から東大合格者数がベスト10に入っており、同じく奈良の東大寺学園を上回っている。昨今の傾向に沿って、この合格体験記も自伝化しており、「泣きじゃくりながら続けた「くもん」の宿題」というのが最初の見出しである。幼稚園年少の頃から小学校二年まで「くもん」をやっていて、小三からは真淵教室(天王寺校)に通ったそうである。彼は「僕が小学校時代について言えることは、中学受験はするだけで他の人から大きくリードできる、だからそれ以外の習い事や友達との関係を大事にしろ、ということです」と語っている。小学生に向けたメッセージであるが、東大合格作戦を小学生が読むとは思えない。
中学校時代の見出しは「定期テストに真面目に取り組む」である。中高一貫校ではこの点が最も大切なようである。高校一年生の見出しは「英語と数学は苦手にするな」、高校二年生の見出しは「模試をペースメーカーに変える」、高校三年生の見出しは「得意科目を伸ばすより苦手科目を作らないこと」である。模範的な印象であるが、全く波風がないというわけでもない。英語が苦手で、高三の九月頃にスランプに陥り、内容が全く頭に入ってこなくなったそうである。先生に相談し、添削指導や適切な教材を紹介されたことで、事なきを得たとのことである。
こういう次第で全く苦労がなかったというわけではないが、東大まで、ほぼ山も谷もなく辿り着いたといったところであろう。