システマアカデミー藏岡さんNorbert Tannertシェアポストから

僕も最初の頃「オールド」とか「ニュー」とか区分けがそもそも好きではないので

その後第一の呼吸とか第二とか「型はないのに区分けたがるの?」と訝ってました

最後の方にNorbert Tannertさんとメールでやり取りしたお話もかいつまんで載せてます。やや長文なので最近始めた方はノンケアで良いかと思います。

以下Norbert Tannertさんの投稿文書です。

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システマ "オールドスクール "と "ニュースクール"
誤解を避けるために
最近、インターネットで「システマ・オールドスクールの顔」というタイトルで、ミハイル・リャブコやモスクワの人々が出演しているビデオを見た。それは2000年代初頭にモスクワで作られたビデオだった。
私は2002年から2006年にかけて定期的にモスクワに滞在し、ミハイルやモスクワの先生たち(当時は主にセルゲイ・ボルシェフとセルゲイ・オシェレリエフ)から学んでいたので、ビデオに登場する人たち全員に私自身が会っているからだ。
「オールド・スクール」と「ニュー・スクール」という言葉を使うと、これらはシステマの2つの全く異なる変種あるいは分野であるかのような印象を与えるかもしれない。
しかし、私はそうではないと確信しているし、決してそのような意図はなかった。
このビデオが作られた当時、システマを知るすべての人にとって、システマはまったく新しく未知のものだった。当時システマのトレーニングを受けに来た人たちのほとんどは(私のように)他の武道のバックグラウンドを持っていましたが、システマのトレーニング、原理、動きのタイプは他のシステマとはあまりにも異なっていたため、ミカエルはレッスンで基本を教えることに重点を置かなければなりませんでした。また、システマのトレーニングにおいて長所にはならないどころか、むしろ非常に邪魔になっていた古い動きのパターンを取り除くのに十分な時間もあった。
他の武道と同じように、基本をマスターしたところで訓練生の成長はもちろん完了しない。
2011年以降に "ニュースクール "という言葉が登場し、広まったとき、ミカエルは約10年間、セミナーやモスクワでの指導を基本的なものに限定していた。
私に言わせれば、"ニュースクール "という言葉が登場したのは、結局のところ、ミハイルが自分のトレーニングを使ってより高度なシステマの内容を伝え、何よりも、基本をマスターすることで自分の成長が完了するのではなく、逆にこれから始まるのだということを受講者に示したかったというシグナルに過ぎない。
「オールド・スクール」という言葉にも「ニュー・スクール」という言葉にも特定のカリキュラムが定められているわけではありませんが、私の考えでは、システマにおける個人の成長は(人生全体と同じように)決して終わることはなく、常に続いていくということを理解すればよいのです。
したがって、「オールドスクール」や「ニュースクール」という用語についての議論は、生産的でないため意味をなさない。
しっかりとした基礎(オールドスクール)を提供することなしに、システマ(ニュースクール)における個人の発展はありえない。
しかし、個人の成長なくして、基本の枠を出ることはなく、システマにおけるより高い可能性を発見することもない。
ちなみに、彼との個人的な会話の中で、ミハイルは決してこの分割を主張することはなく、ただ彼なりにそれを振り払っていた。どうやら彼にとって、この分割はそれほど重要なことではなかったようだ。
あまり深く考えず、ただトレーニングすること、それが彼の望みだったと思う。
『Google君の翻訳は???なので素読みして近しいDeepL翻訳にしました。』

僕もこれを読んでスッキリしたのでNorbertに感想感謝のメールを送り

全ては引用しない概略ですが下記のご返信を頂きました。

「ミハイル(・リャブコ)を個人的に長い間知っていて特に「ニュースクール」がすでに始まっていた頃にシステマを始めた人たちにとっては、基本に取り組むことが重要だと思います。これは、システマが現実に使用される際には、特に重要なことなのです。」基本ですね。

Norbertもメールに書いてくれていたのですが彼は近い未来僕に会いそうだと書いてくれました。僕もそんな気がします。Torontoが目の前にいつもある様に。