年末に書くようなことではないのですが、ご容赦を。


私は本業とは別にがんのセミナーとかでボランティアをしています。

がんって病気をちゃんと知ってもらってむやみに不安に思ったりしないで、

その人にとって一番よい治療なんかを理解してもらえるようになるためのセミナーです。


で、その場ではみなさん、

がんで死にたくない、もっと生きたいっていうのが当然のように語られ、

家族に支えられたことや、その家族を残していくことの痛みを語られる。


正直、私にはとても不思議なことでした。

なぜ、人は死ぬのが当たり前なのに、死ぬのが怖いの?

なぜ、そんなに家族の愛に恵まれているのに、不幸だって思うの?


私は、がんになった時にすごく安心した、っていうか、

もう、自分から死ぬことを模索しなくても死ねるんだな、

やっと、この苦しみから解放されるんだな、

もしかしたら、これがきっかけで家族と和解できるのかな、

なんて甘い夢をみました。


家族と和解できなくても、死ねるし、なんて思ったのです。


でも、結果、病気にはなったけど、

家族とも和解できないままだし、

死ぬこともできなかった。

人生、そんなもんなんか、って思っていたのです。


先日、友人でがん患者のおじさんが、お孫さんと一緒のクリスマスの写真を見せてくれました。

本当に、みんな幸せで、暖かで、サイコーな瞬間。


多分、こんなサイコーな瞬間が日常に当たり前にある人生なら、

死にたくない、もっと生きたい、って思うのは当然だよね、

ってすごく納得できました。


これまで、患者会やらで活躍している人たちとの間で

深い溝を感じていたのが、ここのとこだったのかもしれません。


もっと生きたい、っていう当たり前の感情を、

まったくもって感じられないで死に直面してしまい、

もっと生きたいと、素直に感じられる人に対して、嫉妬することで、

自分の空虚感から逃げていたんだな、って腑に落ちました。


やっぱり、今でも、まだ死にたくない、とは思えません。

痛いのが怖い、こんな孤独な私を知られたくない恐れはあるけれど、

自分で死ななくてもいいのなら、がんになれたら楽だよね、

とは今も思います。


まだ、死にたくない、と思えるほどの失いたくないものは、

私にはありません。


でも、人にはそういう感情があるんだ、ってやっと理解できた、年の瀬です。


皆様は、よいお年をお迎えください。