ご訪問ありがとうございます。
 
 
母は、受診拒否をして以降、認知症で病院には掛かっていません。
過去に1度、病院に連れて行った時は、問診程度の情報で
 
 レビー小体型認知症ですね。
 次回詳しく検査して、確定しましょう。
 
と言われました。
 
それ以降、病院に行っていませんので、当時どんな状態で、
今どんな状態なのか、医学的な所は、さっぱり分かりません。
 
受診を拒否する母を見て、僕自身が「もういいか」と思っちゃったんですよね。
 
 
母は90歳も近くなり、体も丈夫ではなく、心臓に難がある。
色々怪しいとはいえ、まだまだしっかりしている面も多いし、
「大丈夫。生活できてる!」と自負がある。
 
母は、歳を取ってから、色んな怪我や病気を沢山してきた。
辛い検査や治療、手術も、幾つも乗り越えてきた。
 
十分頑張っているのに、それなのに、人生の終盤になって、
わざわざ無理矢理
 
 「あなたは認知症です!」
 
と、突き付け、母の自尊心をへし折らなくても良いか..
と思ったんですよね。
 
もちろん、医師に言えば、本人には内緒にしてくれると思いますが、
悪い事に、認知症の検査がどういうもので、認知症だとどういう
結果になるのか、母は知っていまして..
 
もうひとつ..
 
今の医学での認知症の治療は、進行を遅らせる事。
 
その「遅らせる」事が出来る期間は、劇的に伸びる訳ではなく、
薬がよく効いたとしても、誤差程度にしか遅らせる事が出来ない。
人によっては、全く効果がないと聞きます。
 
若年性とか、若い世代なら、誤差も馬鹿にならないけど、
90近い、体の弱い婆さんに処方して、何の意味があるんだろう..
 
精神科薬や認知症薬は、諸刃の剣。
 
認知症薬や精神科薬で、周辺症状は随分収まっても、それと引き換えに、
活力が落ちてしまったり、人が変わったようになってしまう人も
結構いると聞きますし、ブログを見ていても、よく見かけします。
 
それなら、誤差程度の先送り賭けて、母の活力を奪う事になるより、
母らしく、元気に楽しく、頑張れるところまで頑張ってもらった方が
いいんじゃないか?
 
と考えました。
 
 
例えば
 
 治療しないと、10年後に認知力が10から1まで落ちるけど、
 治療をすれば、認知力が1になるのは11年後まで延びますよ..
 
だとしたら、治療をした時の10年後と、治療をしない10年後って、
ほとんど変わらないと思うんですよね。
 
 治療しないと、10年後に認知力が10から1まで落ちるけど、
 治療をすれば、10年後までは認知力を6か5まで保てます。
 その代わり、残り1年で1まで落ちます..
 
なら、治療する意味もあるかな?と思うのですが、そうではない。
 
そして、恐いのは副作用。
 
誤差程度の効果でも、副作用の無い治療なら、受けても良いかなと思う。
でも、副作用が出るかでないかは、やってみないと分からない。
薬を調整して、副作用が消える人もいれば、消えない人もいる。
吉と出るか凶と出るかは、やってみないと分からない..
 
 
効くかどうかも分からない、薬を使って、
副作用で、母を苦しめてしまう事になるかも知れない..
 
それならば、できなくなった事や、分からくなった事は、
出来る限りサポートしながら、残りの母の余生、
 
 自分はまだ大丈夫!
 
と自身を持って、楽しく元気に生きた方が良いのではないだろうか..
 
と、当時考えました。
 
 
病院には行かない。認知症薬は使わない。
でも、何もせず、ぼーっと見ているだけという事はしたくない。
抗える事は、とことん抗いたい。
 
僕が考えたのは、孤独感や寂しさをできるだけ緩和させて、
 
 とにかく笑う!
 とにかく会話!
 認知症と思わず「普通」に接する。
 自分の事は自分でやってもらう。
 母には「できる」「できている」つもりでいてもらう。
 
こうしてサポートしていくと、少しは抗えるのではないか..
と思って、
 
 明るく楽しく元気よく!
 
を心掛けて、母の暮らしのお手伝いをしています。
 
 
もちろん、激しい周辺症状が出て、介護者の大きな負担になり、
大変な状態なら、投薬で鎮めることも必要かなと思います。
少しでも進行を遅らせたい気持ちも、本当によく分かります。
 
ウチの場合、とても幸いな事に、母は幻視や妄想があるとはいえ、
周辺症状的にはとても穏やかです。
だから、こんな事が考えられるのだという事も、承知しています。
 
壮絶な不穏や、度重なる徘徊などがあると、
本当に大変なのは、容易に想像できますので..
 
でも、僕はやっぱり、よほど疲弊するまでは、
薬は飲ませないかな..と思います。
 
 
話しは変わって..
 
 
母の認知症的な調子には、結構な山谷があります。
1日の中でも、波があります。
 
まだら..って奴かな。
 
調子の悪い時は、ああ..認知症だなとハッキリ思えるのですが、
調子のいい時は、認知症どこ行ったの?って感じだったり。
 
調子の悪い期間や、良い期間はマチマチで、不調が長く続いたり、
調子良い時が長く続く時もあります。
 
 
調子の悪い時でも、日常生活が怪しくなるほどの不調は無く、
理解力が低い時は、ゆっくり話す事を心掛けたり、
物の配置を少し変えたり、色々工夫する事で、普通に暮らせる。
 
そんな様子や、これまでの経過、母の変化の状態を見ていて、
ふと思ったんですよね。
 
これってもしかして、軽度認知障害って奴なのかな?
 
「認知症です」と言われてから、認知症だと思っていますが、
確定診断は下りてない訳だし、もしかして...と。
 
 
短期記憶も怪しくなってきているし、エピソード記憶も結構消え去る。
ま、そのせいで、泥棒が出没する訳ですが..
いつもの事過ぎて、ブログに書いていませんが、幻視も日常です。
 
でも、なんとか日常生活ができるレベルで踏み留まってくれているし、
理解力もまずまず残っている。
 
「谷」の時はぐだぐだだけど、それでもまだ、色々自分で考えて、
自分で判断できる。
 
2年前と比べると、色々進んだなと思うけど、それは加齢もあるし..
 
 
認知症を発症しているのか、軽度認知障害で踏み留まれているのか
素人なので分かりませんが、母が今、この状態で踏み弩まれているのは、
母自身が、
 
 息子(僕)に迷惑をかけてはいけない
 
この一心で、踏ん張ってくれている事が大きいと思う。
きっと
 
 自分で出来る事は自分でして、できるだけ息子に頼らない。
 息子の邪魔や足手纏いにならないようにする
 
と思って、頑張ってくれているので、踏ん張れてるんだろうなと思います。
 
 
今、まだ軽度認知障害で踏み留まれているのか、
もう既に、その域を超えてしまっているのか、
そんな事はどうでも良くて..
 
母の残りの人生、母が母らしく全うできて、今際の際に
 
 私はボケずに頑張れた!
 
と思ってもらえて、楽しかった事を思い出して、フッと笑って
旅立ってもらえるように、僕も引き続き頑張って、
たくさん笑ってもらいながら、支えようと思います。
 
 
 

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