ご訪問ありがとうございます。
 
 
今週は、本当に色んな事があり、色んな事を色々考えさせられました。
 
母にとって、どうする事が一番良い事なのか..
 
そもそも、今もこうして母を一人で暮らさせている事って、
母にとって、本当に良い事なんだろうか。
 
母に聞くと、今も変わらず
 
・あんたが施設に行けと言うのなら、施設に入る。
・でも今はまだ、住み慣れたこの家で暮らしたい。
 
泥棒が居ようが、幻視ちゃんが居ようが、それでもこの家に居たいと言う。
 
長年暮らした、勝手知ったる我が家。
色んな思い出も詰まっている。
お友達と言うほどではないけど、お喋り友達もいる。
 
好きな時に好きな物を食べて、好きなテレビを観て、
好きな時にお昼寝ができる。
 
そう思っているのかなと思う。
 
 
でもそれは、本当に母の本心なんだろうか..
もしかして、僕に気を使っている?
 
本当は、怖くて寂しくて仕方ない?
僕に心配掛けまいとして、大丈夫だと言ってる?
 
僕はその言葉に、甘えているだけではないのだろうか..
 
 
僕としては、母に自由に、好きな事をして、
楽しく暮らしてもらいたい。
母の自由を奪いたくない。
 
でも..
 
母の安全を考えると、迷いが出てくる。
 
 
うちは恐らく、昔々は田畑が広がっていた土地。今もその名残がある。
それが「側溝」
 
田畑の用水路のように、側溝や用水路が張り巡らされている。
蓋があったり、暗渠になってたりするところもあるけど、
大多数は、道の端っこに普通に川が流れている状態。
 
母は左目がほとんど見えず、右目は緑内障で、左半分の視野が無い。
残った右半分も、随分狭くなっている。
 
それに加えて幻視があって、景色そのものが違って見えてしまう時がある。
 
 出掛けて、もし側溝に転落したら..
 
そう考えると、ひとりでの外出は控えて欲しくなる。
 
でもそれは、僕の一方的な思いであって、母はお出かけしたいのかも知れない。
ひとりでの外出を止める事は、それを奪っている事になるのではないか..
 
 
また、妄想と幻視があり、先日も、向かいの無人の家の掃き出し窓を叩いて、
家の人を呼ぼうとしたり、鍵を貰おうと大家さんの所に行ったりしてた。
 
大家さんの所に行くまでにも、用水路がある。
向かいの家までは、母の足でも20歩程度で行けるけど、
コンクリートのたたきの段差があったり、未舗装の土地なので、
デコボコや躓きそうな石があり、躓くかもしれない。
 
それに、アリもしない事で、人様に迷惑をかける可能性も出てきた。
 
 
他人を巻き込んでしまうと、妄想の話をしないといけない。
 
僕が頭を下げるのは良いけど、母が自分は事実として信じている事を
妄想と言われ、息子が頭を下げている姿を見てしまうと、
母がどう思うか..
 
きっと母は自分を責めて、また取り乱してしまうような気がする。
 
そんな思いはさせたくない。
 
 
色々考えると、施設かなと思ったりもするけど、でもそれは、僕のエゴ?
僕が一方的にそう考えているだけ..
 
 
色々考えていると、どこまでが
 
 母のため
 
で、どこまでが
 
 自分のため
 
なのか、考えれば考えるほど、分からない。
 
・母のための介護
・自分のための介護
 
母が寝た切りになれば、極端な話、自分が後悔しない為の介護でも
良いような気もする。
 
でも今は、妄想や幻視があるものの、まだ自立して自由を楽しめている。
妄想や幻視はあるものの、母は母として、母らしく暮らして欲しい。
 
 母のための介護
 
をしていきたい。
 
でもそれは、僕かそう思ってるだけで....
 
堂々巡り。
 
いつもいつも「でも」が頭を持ち上げてくる。
これが「我が出る」って事なんだろうなと思います(笑)
 
 
支離滅裂でごめんなさい。
僕自身混乱して書いてますので、ぐちゃぐちゃですね(笑)
 
考えたら考えるほど混乱してきたので、考えを整理したくて書きました。
書くだけ書いて消そうかな?とも思いましたが、
今の自分の正直な気持ちなので、ひとまず公開しようかなと..
 
 
僕一人が悶々と考えていても仕方がないので、少しずつゆっくりと、
時間を掛けて母とも相談して、良い方向を見付けて行きたいと思います。
 
 
 

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