ご訪問ありがとうございます。
 
 
義母の事です。
義母は現在、要介護3で、介護付き有料老人ホームに入居しています。
義母の事に関しまして、特に注記の無い物は《過去の事》です。
 
※記憶が曖昧な所があるので、特に時期的なものなどは、
※現実とズレがあるかも知れません..
 
 
※今から10~11年程度前の出来事です。
 
 
義父が退院する時に、家に義母が居れば、義父は家に帰る。
義母が入院中であれば、ショートステイを利用して、また病院に..
 
義母は相変わらずで、何度か精神科に入退院していましたが、
大きな事件もなく、穏やかな時間が流れていました。
 
そんなある日、義母が精神科に何度目かの入院をしました。
義父は相変わらず、リハビリ病棟に入院中。
 
 
義父はリハビリ病棟、義母は精神科病棟と、病棟が違い、
以前は病棟間の行き来を禁止されていましたが、
この頃になると、一緒に食事を摂っても良いとの許可が出ていて、
義父の病棟の食堂?デイルーム?で、一緒に食べていたようです。
 
義父の退院が迫っていた、ある日..
 
その時僕は、県外出張からの帰りで、岡山駅で列車待ちをしていました。
その日は結構な雨が降り、ホームで雨を眺めていたら、妻からの電話..
 
妻「お父さんが亡くなったって、電話があった...」
 
え?
 
義姉は「義父が倒れた」との一報を受け、病院に急行したけど、
間に合わなかったらしい。
お通夜や色々と段取りもあるので、妻も今から向かうとの事。
 
 
病院から話を聞いた、義姉の話しによると..
 
・義父と義母は、夕食を食べていた。
・片側3人の6人掛けのテーブルの、片側中央に義父、向かい側の端に義母。
 他の席はぞれぞれ入院患者さんが座っていた。
・義父母は特に直接の会話は無く、自分の隣や向かいの人と会話しつつ、
 夕食を食べている時に、突然義父が倒れた。
・義父は、特に苦しむ様子も、痛がる様子も無かったとの事。
・その場で蘇生措置を行ったが、義父はそのまま戻ってこなかった。
 
・その時義母は、何が起きているのか理解できていない様子で、
 取り乱す訳でもなく、じっとその様子を見守っていた。
 
との事だった。
一部始終を見ていた義母は、ショックで動けなかったのかも..
 
 
僕は岡山から自宅に戻り、その足でお通夜に掛け付け、再び帰宅。
翌日、妻の着替えなどを持ち、葬儀に行きました。
 
義母は憔悴しきって、何もできない状態。
黙ってうなだれているか、おいおい泣いているか..
喪主は義母ですが、義姉夫婦が全て仕切っていました。
 
 
以前書きましたが、義父母は仲が悪かった。
 
義母は義父を見下し、小馬鹿にしていた。
義父の些細な行動をいちいち取り上げ、小馬鹿にし、イライラしていた。
義父はそんな義母を嫌っていた。
 
僕はしばらく前から
 
 義母は義父に依存してる?実は義父が居ないとダメな人では?
 
と思っていたので、義母のこの姿に驚かなかったけど、
義姉や妻、近しい親戚の方々は意外だったようで..
 
 あれほど嫌っていたのに..
 亡くなって喜ぶと思ったのに..
 
などと、義母の聞こえない所で言っていました。
 
 
義母の落ち込みは、結構長期間に及んだ。
 
その間「夢に義父が出てきた」などと、いろんな人から聞かされたようで、
その度に妻や義姉に、
 
 「お父さんは私の所には出てきてくれん!」
 
と、怒っては泣いていたらしい。
 
義父。義母の事キライだったもんね..
 
 
義父は、ショートステイは嫌だし、かと言って、家に帰って、
また義母から色々と、口煩く嫌味を言われるのも嫌だし..
退院が迫っている事を、なんとなく察知した義父は
 
 いっその事、ポックリ逝った方が良いか..
 
って思ったんじゃないかな?
と、ふと思ったりします。
 
そう思うと、義父は良い亡くなり方をしたのかも知れません。
 
 
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僕の中での「義母の事・第一部」おしまいです。
期間的には、結婚後から10年間くらいの出来事でした。
 
この期間でも、まだまだ書きたい事が沢山あるのですが..
義母の事を書こうと思った趣旨から、少し外れるので、
今回は割愛しました。
 
 
次から「義母の事・第二部」です。
 
また少しずつ書こうと思います。
 
 
 

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