2019年9月28日の幽界訪問から。

 

 私のファンだという学生がいた。聞けば高校三年生だという。公園には多くの人が集まっていた。それぞれベンチで色々語り合っている。数人の仲間たちと談笑していたり、本を広げ勉強している学生もいた。中には先生から講義を受けている学生もいた。私は何か恥ずかしいので直接話をするのは避けて遠くから、この高校生と二言三言話をした。純粋で清潔な感じのする女性だった。そのうちゆっくり話ができることもあるだろう。私の何に興味を持たれているのか?地上生活があるので、しばらくお待ちくださいと言って失礼した。幽界上層の美しい世界にて。

 

 この女子高生は、きっと私の類魂であろう。ならば、私が地上を旅立った時、幽界上層で必ず待っていてくれるはずである。その時は彼女にじっくりと地上での体験を報告することができると思う。

 

2019年9月16日の幽界訪問から。

 

大きな地震があった。建物が裂けるような地震だった。奥さんや長女を探す。これからは治安も悪くなるので、護身として相手に電気ショックを与えるガンなども女性は携帯して欲しいと思った。

 

ただ単に地震が起こることだけでなく、人心の乱れを危惧する体験だった。互助や共助の精神が田舎でも衰えている。日本では少子高齢化や核家族化の問題が背景にあり、経済優先で進めてきた社会を方向転換し、自然と共生し人を助けることを一義に考える社会に方向性を向かわせないといけない。利己主義や刹那主義では真の幸せはない。物質主義が蔓延る世情を憂うる幽界体験だった。

2019年7月17日の幽界訪問から。

 

幽界の川で友人と釣りをしていた。釣りといっても食べるわけではない。やがて夕方のような暗い森の中を白い狐が光り輝くように走っていた。その後ろから茶色の狐が我々に近付いて来た。追い返すか少し迷ったが、そのままにしていた。我々に関心を示したようだったが、また森に戻って行った。

 

二匹の美しい狐。夫婦の狐。「また今度来た時ね。待ってるよ」と茶色の狐からインスピレーションを受けた。特に私の行動に興味を持っているようだ。この狐の夫婦も私のガイドかもしれない。今度また、お会いしましょう!!

2019年7月16日の幽界訪問から。

 

 川のそばに橋があった。友人とここを渡るか迷った。両側に行けそうな道はない。別の女性と男性がこの橋を慎重に渡ろうとしていた。バランスを取らないと橋桁だけで囲いがないため、落ちると思った。案の定、私が渡り始めて、途中が細くなっており、するりと落ちてしまう。どぼーんと水の中に胸まで浸かった。びしょ濡れになり、苦笑した。思いっきり落ちた瞬間は気持ち良いくらいだったけれども。

 

 幽界の橋から落ちた。落ちた感覚は地上と同じ。あるいは、それ以上に現実感があったというのが正直なところ。幽界では感度がより鋭敏になる。それが水の中に落ちて気持ち良いと感じたのかもしれない。ただ、これも想像の産物であり、地上の体験の延長線上にある。

 

2019年7月15日の幽界訪問から。

 

 幽界にある未知の都市をジョギングしてみる。たくさんの日本人が道路工事をやっていたり、色々なところで働いていた。ここはアップダウンのある日本の都市のようだが、太陽が見えず何度走っていてもなかなか方向がわからない。色々な方向から走ってみる。夕方のような明るさで時間的な変化は感じない。車もたくさん走っているが、私には無関心で機会的である。あるいは、地上人である私の存在がわからないのかもしれない。方向を変化させて走っていると、だんだん、ここの街の構造がわかってきた。肉体のある地上とは違って、全く疲労感は無いので、色々試して頭の中でこの街の地図を作ることができそうだ。また来ようと思う。

 

 本来は幽界の人々は太陽の霊力を糧として生きているので霊界の太陽は常に傍に見えるはずだが、ここは地上によく似た幽界下層の世界のためにはっきりしないのだろう。ここは私には暗く感じられた。

2019年7月14日の幽界訪問から。

 

 古い家から新しい家に引っ越す。古い家は和式で間取りが大きい。隣に新しい家を作る。これも和式である。しばらくそのままにしていた。ところが、古い家は雨戸もあり、全て閉めていたが、久しぶりに中に入るとかなり荒れていた。動物がいるような雰囲気だった。真ん中の一間の暗い障子を開けるとカワウソの夫婦と子供が三匹寝ていた。私は彼らを外に出そうとして親の二匹の首を掴む。口の中に手が入ったが、ゴムのように柔らかく、歯も鋭くなく、噛んでこない。何か疲れているのか?エネルギーが不足している感じで正気が無い。従順なので、障子を開けたままにして、しばらく彼らに霊界の光を当てるべく隣の自宅に戻った。再び、古い家に戻ると今度は3匹で家の中を走り回り、私と気づくと駆け寄って来た。体をすり寄せてくるので、可愛くなり、そのままにしてやることにした。

 

 カワウソとは何か縁があるのだろうか?地上のカワウソは獰猛で、とても一緒には生活などできないだろうが、ここは幽界である。幽界で彷徨っていたカワウソ家族に霊界の光を当て、彼らがエネルギーを補充できたことが良かったのか?すっかり元気になり、やがて霊界のカワウソたちが集まる霊団(集合意識)に戻っていくであろう。いつか自然にここを立ち去ることを期待した。

 

2019年7月4日の幽界訪問から。

 

 多くの知人や友人がマラソン大会に参加した。目的は署名である。普段はマラソン大会に参加したことが無い人もフルマラソンやハーフマラソンに挑戦し、ゴールで署名して署名用紙を置いていく。世界平和のためにその熱意を表現する署名だ。地上ではマラソンをやらないはずの歯科医のM先生も笑顔でゴールし、署名した。たくさんの署名が机の上に重なっていく。

 

 この時から4年くらい経つが、相変わらず世界の平和が脅かされている。いやむしろ核戦争の危機の中にいて人類はかつて無い段階に入っている。世界週末時計によると2020年から1分40秒前となり、最も危なかったソ連とアメリカが水爆実験に成功した1953年(2分前)を凌いでいる。かってない深刻度である。本音は人類皆戦争はしたく無いはずなのだが、戦争は地上からなくならない。今後もパンドラの箱を開けないことを心より祈りたい。せめて夢の中では誰でもがきっと熱意を持って署名してくれると思う。

 

2019年5月27日の幽界訪問から。

 

 水が溜まっている上を車がカーブして通る。その時、人が車の下になって溺れかけていた。咄嗟に私は水の中に入って、その女性を抱き抱えた。水がクッションになって、なんとか助かった。しかし、ここは幽界である。死ぬことは無い。

 

 幽界でのシミュレーションと考えると、これは地上での事故への警告と捉えることができる。このような水害時の交通事故だけではなく、気象災害が絡む事故がこれから地上では予想される。年初に当たって是非気をつけたい。

2019年5月6日の幽界訪問から。

 

フルマラソン大会を二日に分ける。前半は全て下り。山を降りるコース。ちょうどスキー場のようなところだ。後半は、上り。前半が終わったところで一泊する。ただ、私は、折り返し地点がよくわからず、途中で止めた。翌日係の人に聞いた。やはり、折り返し地点で休めば良かった。前半はコースを走りすぎて時間がオーバーしてしまった。制限時間は6時間。後半は貯金があまりなかったので、猛烈に追い上げた。全て上りなので間に合いそうもないが、努力してみた。本来は、幽界であれば、一っ飛びのところだが、地上で言えば競歩のように走らなければいけないルールだった。体は疲れを感じず、周囲の景色は春のように美しく、花々が咲き乱れ、青年時代に戻ったかのような感覚だった。

 

解説が必要であろう。あくまでも地上人向けに考えたレースである。私のように体外離脱した地上人の参加であるので、地上的思考(肉体があるという思考)で走る。幽界の時間は基本的には意識感覚なので、有るようで無いとも言えるが、タイマーを地上時間に設定している。一泊というのは、睡眠から覚めて日常生活に戻り、また夜寝入ってから体外離脱してレースに参加するわけである。このため二日に分けて参加することになる。現在の地上でのフルマラソンの制限時間(一般参加者用)は、6〜7時間が多い。6時間の制限時間は、ハーフが3時間なので、このレースは標準的だと言えよう。

2019年5月18日の幽界訪問から。

 

 猫が他の猫を殺してくれと言う。その猫を見ると声が私の頭に浮かんだ。聞こえた人は、その通りに実行せざるを得なくなる。

 

 インスピレーションが成立する世界なので動物とも普通に会話できる。私は地上人なので、できないとこの猫に伝えて、この時は無視したが怖い話ではある。既に肉体は無い世界なので殺生は成立しない。自分が死んだことを自覚していない猫あるいは低級霊による誘惑の可能性がある。