デジタルカメラのように,
気軽に連写ができなかった時代は,
1枚1枚の写真に気持ちがこもっているような気がします.
客車を牽引して陸橋を渡るC11 41ですが,色合いから見て,夕暮れ時.
のどかな感じです.
後で知ったことですが,
「倉吉線」は,マラソンランナーよりも遅い,最も低速運行路線だったとか.
●客車を牽引して陸橋を渡るC11 41 1974年春
●客車を牽引して陸橋を渡るC11 41 1974年春
仕事の合間に,現役の蒸気機関車を求めて移動していますが,
山口線,真岡鉄道,肥薩線など非電化区間は,
邪魔な架線も電柱もなく,1970年代の雰囲気です..
倉吉線を走るC11 41は,客車だけでなく,
貨物車両との混成も牽引していたことがわかります.
こんな姿,現在では,見ることができません.
●鉄橋を渡るC11 41 1974年春
●鉄橋を渡るC11 41 1974年春
倉吉線は,関金駅からさらに終着の山守駅まで約4.8km伸びていましたが,
倉吉線の旅は,関金駅で終わっていたようです.
●関金駅に停車中のC11 41 1974年春
●関金駅に停車中のC11 41 1974年春
関金駅では,
旧国鉄色のキハとの写真も残っています.
故郷の越美北線の越前大野駅でも,同じような写真がありますが,
こちらはともに客車.
蒸気機関車から気動車への役割交代の時期なのでしょう.