金沢に移り住むまで暮らしていた実家のすぐ横を、
鉄道が走っていました。
当時は国鉄の「越美北線」というローカル線。
走っていたのは、「キハ」と呼ばれるディーゼル車。
「国鉄色」と呼ばれる車体の朱とクリームの2色が、
とても印象に残っています。
1日に数往復しかしていませんでしたが、
通過時間が正確なので、時計代わりにしていました。
当時の興味の中心は音楽。
鉄道にはあまり関心がなかったので、
今となれば貴重な「キハ」の写真も、たった2枚だけ。
●キハ 京福電鉄との立体交差付近 1973年撮影
「キハ」の写真は、
越前大野駅から北大野駅に向かう途中の
「京福電鉄(勝山-大野間は1974年廃線)」との
立体交差付近で撮影したもの。
これが、「キハ23」なのが「キハ52」なのかは不明。
当時は3両編成で走るほど、利用者が多かったのですね。
そのディーゼル車に混じって、いつごろからか、
貨物用の蒸気機関車が1往復するようになりました。
「ハチロク」と呼ばれるその蒸気機関車は、
勝原駅の転車台で方向を変えるために、
実家の横を毎日往復していました。
さすがに蒸気機関車は珍しいと思っていたのか、
「ハチロク」の写真は30枚以上も残っています。
当時は、PENTAXで105mmのレンズで写していました。
あと一枚の「キハ」は、
雪の中の越前大野駅での「ハチロク」との2ショット。
●キハとハチロクとの2ショット 越前大野駅 1974年撮影
同じような時期に、
勝山方面から京福大野駅に向かう「京福電車」も4枚だけ撮影しました。
これまた、今となれば、貴重な写真。
●京福電車 京福大野駅手前 1973年撮影
「ハチロク」の写真では、気に入ったものが何点かあります。
●雪の中のハチロク(越前大野駅) 1974年撮影
●九頭竜川沿いを走るハチロク(柿が島付近) 1974年撮影
越美北線は
福井県と岐阜県を結ぶ鉄道(越美線)の一部として建設され、
1960年に福井と勝原間が開通。
その後、1972年に勝原と九頭竜湖間が延伸開業しています。
結局、全線開通しないまま、現在福井県側はJRの路線として残っていますが、岐阜県側は長良川鉄道となっています。
●方向転換するハチロク(1)(勝原駅) 1974年撮影
●方向転換するハチロク(2)(勝原駅) 1974年撮影
●方向転換するハチロク(3)(勝原駅) 1974年撮影
●京福電鉄との立体交差を越えるハチロク 1974年撮影
●牛ヶ原駅から花山峠に向かうハチロク 1974年撮影
2004年7月18日の福井豪雨で、
九頭竜川水系足羽川に架かる5つの橋梁が流失し、
越前花堂と越前大野間が不通となりました。
路線存続が危ぶまれましたが、
幸いにも2007年6月30日に全線開通。
全線開通までの間、美山と越前東郷間の約12kmは、
代行バスでの不便な移動が続きました。
●美山と小和清水間の復旧現場 2004年8月14日撮影
●越前大野駅直行の「代行バス」乗り場 2004年8月14日撮影
●越前大野駅直行の快速「代行バス」 2004年8月14日撮影
一番気に入っているのは、
故郷を流れる「真名川(九頭竜川の支流)」に架かる鉄橋を、
単独で勝原方面に向かう「ハチロク」の後姿。
一両でもサマになる機関車って、最高 !!
とても哀愁を感じます。
●一番お気に入りのハチロクの後姿 1973年撮影
1973年と1974年に撮影した11枚の写真は、
すべてネガからデジタル化したもの。
撮影時から約35年もの時間が経過しているので、
多少、劣化しています。
今年のゴールデンウィークにネガを探し出したときは、
ほんと、涙が出そうになりました。
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