今日は「沖縄慰霊の日」でした。
先日沖縄に行ったばかりなので、一昨夜のテレビ番組、報道ステーションの「首里城地下に眠る戦跡」はかなりショッキングな映像でした。
のん気に観光写真を撮っていた守礼門近くから、南北400メートル、総距離約1キロにわたって地下壕が掘られ、戦争当時ここに第32軍司令部が置かれ、1000人もの日本兵がいたのだそうです。
4月にアメリカ軍が上陸し、首里城に迫ってきたため、5月22日に多くの住民が避難していた南部への撤退を決めたのです。
そのため多くの沖縄住民が戦闘に巻き込まれ、県民の4人にひとりが犠牲になりました。
沖縄戦で亡くなった20万人の、約半数が沖縄の一般住民だそうです。
地下壕の調査が進んでいるのは入口から30メートルほどで、中には水が溜まったり崩落の危険があるため中心部の調査ができないのです。
(報道ステーションの映像は、YouTubeで観ることができます)
第32軍は南部に撤退して連合軍の追撃をかわし、防衛線を構築したものの、米軍の攻撃に次第に追い詰められ、17日に届いたサイモン中将の降伏勧告も一笑に伏し、牛島司令官は18日に自決を決意しました。
各部隊に「・・・・・・祖国のために最後まで敢闘せよ。さらば、この命令が最後なり・・・・、」との解散命令を出したというのが、ひめゆり学徒隊の悲劇につながるわけです。
同じ18日に、降伏勧告文を送った米軍の中将が戦死し、23日未明に牛島司令官が自決。
その後も戦闘は続き、連合軍は7月2日に沖縄戦終了を宣言。
戦後、1961年に6月22日を沖縄戦で旧日本軍の組織的な戦闘が終結した日として犠牲者を悼み、慰霊の日と定めましたが、1965年に6月23日に改定されました。
慰霊の日は沖縄は休日ですが振替なしなので、今年は日曜日ですが明日は休みにならないそうです。
今年は戦後79年なので、来年は80年の節目を迎えます。
つい先ほどのニュースでも、南西諸島、宮古島などで軍事基地化が進んでいることに反対する様子がありました。
私たちの知らないところで何が起こっているのか、戦後80年近く経って、また危ない所に行こうとしているのでしょうか?
☆☆☆
今年は梅が高くて店にもほとんど出ていない状態なので、梅干を漬けるのはやめようかと思いましたが、友だちがジュース用にとくれた梅の中から、傷のないものを選んで1キロほど漬けることにしました。
それというのもテレビで「はちはち漬け」という漬け方を観たからです。
梅干は普通塩を2パーセントで漬けるのですが、私は5倍酢を使うので10パーセントの減塩で漬けています。
はちはち漬けは、塩8パーセント、砂糖8パーセントで漬けるのだそうで、1キロなので保存袋で漬けます。
3日もすると梅酢が出てくるので、赤紫蘇を揉んでアク出しをし、梅酢を半分ほど入れてどちらも冷蔵庫へ。
これで土用干しの頃まで冷蔵庫で保存し、干してから紫蘇を入れるのです。
砂糖を入れるのは初めてなのですが、8パーセントでも塩辛さと梅の酸っぱさは変わらないと思うけどな~
キュウリの奈良漬けのほうは、キュウリ60本(8キロ)に20パーセントの塩(1.6キロ)をして、
酒粕詰め放題で9キロの酒粕を取ったので、これをそのまま重石にします。
それでもまだ足りないと思って、梅ジュースのボトル2本も追加しました。
塩と重石が足りないと、キュウリが柔らかくなったり腐ったりするのです。
これで9日目のキュウリ。
途中でたまった塩水を捨てて、200グラムくらい塩を足し他ので、今ではキュウリはペッチャンコ。
もう2,3日漬けたら酒粕に漬けて塩抜きをします。
これが昨年漬けたキュウリです。
いいあめ色になり、カリポリとおいしいので食べすぎてしまいます。
2年ぶりにチキンバターカレーを作りました。
今回のレシピはPolarisさんがラインで送ってくださったもの。
みじん切りの玉ねぎをニンニクと生姜で炒め、トマト缶、砂糖、ソースなどの調味料を加えて5分くらい煮込み、ヨーグルトとカレー粉で漬けておいた手羽中を使いました。
レシピにはないものだけど、エリンギとアスパラも入れました。
バターカレーなので、バターと生クリームも入れます。
生クリームがあってよかったわ~
レタスが大量にあるので、サラダもたっぷり作り、トマトとレンブも入れました。
トマトの酸味とヨーグルトの酸味は、バターと生クリームでまろやかに。
カレーの飲み物はラッシーね。
名犬ラッシー・・・じゃないです、ヨーグルトの牛乳割りのことね。
梅ジャムやスモモジャムなど、ジャムや果物を入れてもおいしいですよ。
今日はとても蒸し暑い日でした。
明日は曇りだけど、夕方から雨の予報なり~