カミングアウトってどうしてたの?って話。 | 大学生FTMの備忘録

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こんにちは、鶏そぼろです。

 

まだ記事を書き出して日は浅いですが、カミングアウトどうしてたかについてほとんど触れてこなかったので今回はそのことについて書いていきたいと思います。

 

 

一番初めのカミングアウト

 

初めてカミングアウトのようなことをしたのは小学校6年生の時でした。

あの時はほぼそうせざるを得なくなったので半ば言わされるような形になってしまいました。

 

事の発端は中学校の制服でした。

元々性別に対しての違和感があり、どうしても中学校でスカートを履きたくなかったので中学受験をしましたがあえなく失敗。そのため公立の中学に通わなくてはならなくなり、ダメもとで中学校の校長先生に直談判しましたが、結局は診断書がないと難しいと言われ諦める他がありませんでした。

 

この話が小学校の養護教諭の耳に入ったようで、お呼び出しを食らい養護教諭と面談しました。何故嫌なのかと問いただされましたが僕は男だからとしか言えませんでした。

そのあと父が呼び出され僕と父とその先生で面談をし、そこでも根掘り葉掘り聞かれましたが正直何を聞かれても僕が男であるからとしか言えなかったし、なんか悔しくてずっと泣いてました。

 

この時に、専門の病院があるから探して行ってほしいと先生から言われましたが親が納得せず結局行かせてはもらえませんでした。

 

2回目のカミングアウト

 

2回目は中学生の時でした。

2年生の時に校長先生が変わりましたが、制服のことに関しては校長先生だけの許可では変更できないと勝手に思い込んでいたので3年生になるまではずっと女子用の制服を着ていました。

 

しかし、3年生の時に転機が訪れました。

なぜか養護教諭に呼び出され、何のことかと思っていたら「修学旅行のお風呂どうする?」と聞かれました。この時は何がどうなっているのか全く分かりませんでしたが、のちに前任の養護教諭に僕の話が共有されていたらしくそれを後任の先生に共有していたという話を聞きました。

 

この修学旅行のお風呂どうする問題から派生して、制服についてもスラックスを導入する方向になりました。これについては、2年生の時に校長に着任した先生と副校長に着任した先生が割と理解があって、この手の話題についても寛容な先生方だったため女子でもスラックスを履けるようにしようと動いてくれました。

 

3年に関しては今からスラックスを作るのはお金が勿体ないとのことで、学校から男子用スラックスを借りてました。それから叔父が来ていた制服のジャケットが家に残っていたのでそれを着て登校してました。(叔父と同じ中学通ってた。)

 

制服を変更するにあたってたくさんの大人と話し合うことになり、親とも話し合わなければならなくなったためにこの時に2度目のカムアウトをし病院に連れて行ってほしいと伝えましたが、了承してくれなかったので病院には行かせてもらえませんでした。

 

 

 

3回目のカミングアウト

 

3回目はもはや頼み込みに近い形になりました笑

 

高校に入って2年目の春に病院に行かせてほしいと頼み込みました。その時は、じゃあ夏になったらねと言ってはもらえましたが結局その年には行かず。

その翌年に、病院行きたいから予約していいかとLINEで聞いて承諾を得られたので予約して1人で行きました。

 

初めてカミングアウトした年から7年かかりました。

ですが親も初めてその話を耳にした時から相当な時間悩んだのかもしれないと思うと、その7年は説得するには必要な時間だったのかもしれないと、今なら思っているので別に特段遅くなったとは考えていません。

 

また今の父は僕の意思を尊重したいと思っているようで、自分でお金を稼げるようになったら一々親にお伺いを立てる必要はないから好きなようにしなさいと言われているし、通称名のことに関しても拒否したりすることはなく自分の好きな名前にしなさいとまで言われたのでありがたいなと思っています。

 

通称名は親に付けてもらおうと思っていたので、好きな名前にしろって言われても優柔不断な僕には決められんって思いましたね笑

 

 

以上で僕のカミングアウトの話は終わりになります。