こんにちは!
毎日がプロジェクトな日々の
株式会社取締役代表取締役中川です(^∇^)
黄色のひまわりやピンクのカーネーション等を使い、従来にない祭壇を
仕上げる。故人の趣味や人柄からイメージを膨らませ、一つひとつ違っ
たお葬式をつくりあげる。
葬祭フラワーコーディネーター 松崎正明さん
親友が自動車事故で亡くなった。
葬儀の時、彼の部屋には木製の机のが一つ、そこに白布に包まれた骨壺。
あまりのわびしさに、だだ悄然と肩を落とすだけだった。
新盆、親友が好きだったひまわりの花を、何百本と車に積んで亡き親友の
家を訪ねた。遺影のある部屋いっぱいにひまわりで飾った。
その後、親友の家の家紋がひまわりの花に変えられた。息子の死から立ち
直れないおかあさんにとって、ひまわりの明るさが気持ちを整理したのだ
ろう。家紋にまでしようと思わせた花の力を、松崎少年は心に刻んだ。
近隣の身寄りのない老婦人が「松崎さんに生花祭壇を頼みたい」と遺言し
た。葬儀の時、生花飾りにびっくりする人も居たが、多くの人が「私の時
も頼みたい」、この声が松崎さんに閃きをもたらした。
WEDGE2月号より
私は3人を看取りました。
1995年 父 93歳
2001年 母 83歳
2005年 叔母 84歳
父母とも大陸帰り、戦争で親兄弟が死亡し親戚の少ない家族でした。
父の葬儀 参列者 80人
母の葬儀 参列者 60人
父と母はカトリック教会で葬儀。
信者の方が数多く参列していただき、賛美歌を歌ってくれました。
親戚や友人は年を取り、時が経つにつれ参列出来なく。
叔母は仏式、葬祭場で
参列者
親族5人とご近所5人
子どもが無く、我が子のように思ってくれていた叔母でした。
60才過ぎてからパリに行き、日本料理店で働いた叔母でした。
寝たきりになり「早く死にたい」と毎日つぶやく叔母でした。
生花で飾った祭壇を作ってあげたかった