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自転車日本一周旅〜人生で大切なことはすべて旅で学んだ〜

 

自転車日本一周旅は、折り返し地点を過ぎた。

九州鹿児島県から徐々に北上をして関西方面を目指す。

サイクルメーターが示す総走行距離は8961キロとなった。出発から1年が経過し、374日目を迎えた。

 

人生は旅に似ている。旅は早送りの人生みたいなモノだ。

日常生活の基本は、「住」を拠点にして、家族、会社、学校、地域社会などと「食」や人間関係を通して広がり、TPOに応じて「衣」を選択して、個性を表現し、比較的ゆったりと時間が流れているように思う。

日々、同じ場所で寝起きして、同じような人と関わって、同じような場所で時間を過ごし、人や物事と繋がっている。

この日常が自転車旅という非日常になれば、生活基盤の中心となる居食住が日替わりとなる。

着る衣類は日々同じ。食は野宿時は自炊。安宿の場合は、コンビニ、スーパーの半額惣菜、ファーストフード店で済ます。

時速20キロの速さで生活が流れていく感じだ。歩く速度の3倍だ。

感覚として旅は日常の3倍速で流れていく。

起こる出来事も日常の3倍速だ。

 

自転車旅はタマネギの皮むきのようなモノだ。

安定はしているがちょっと退屈な日常生活の中で、いつも間にか我が心に、固定観念や先入観といった皮をまとっている。

旅の途上、知らない土地で、知らない人と関わり、未知なるモノと出会い、五感が刺激される。

五感が「ブルッ」とくる時、旅人は内なる心の会話を始める。

この行為がタマネギの皮むきなのだ。

旅先で温かい人情や懐かしい風景に出くわした時、旅人は一枚一枚内なる心の皮むきをおこなう。玉ねぎの皮むきには涙がつきものであるように、心の涙腺を震わすのである。

これが非日常生活の面白味である。

自転車旅の前半戦で「ブルッ」と五感が刺激された感動を思い出しながらペダルを漕いでいた。

 

 

鹿児島県を北上していると雨が降り出した。

やがて山中に迷い込んでしまった。公園、コンビニやファミレスなどの雨宿りができる休憩所がない森林に囲まれた田舎道だ。

新緑の季節を目前に控えた木々の青葉から、大粒の雫が雨と一緒に自転車を叩きつける。進めば進むほどに山深くなっていく。

県境を越えて宮崎県に入った。

引き返そうかと思った時、一軒の民家を発見した。

4月の雨はまだまだ体を冷やす。

雨がしのげるよさげな民家の軒下に自転車を停めて、しばらく休憩した。

風邪をひいたら大変だ。雨と汗で濡れた身体をタオルで拭き、衣服を着替える。

数分後、家人が車で帰宅。

一瞬(警察と通報)という文字が頭を駆け抜けた。

見ず知らずの日焼けをした男が自分の家の軒下で怪しく上半身裸になってブルブル震えている絵というのは、不審者と思われても不思議ではない。

 

(通報される。)

 

早くこの場から立ち去らないとヤバイ、と慌てるものの、まだ着替えの最中。しかも荷物はバラバラだ。

慌てて車に駆け寄る。Tシャツに首を通しながら、家人に現状を説明する。

 

「これには深い事情があるのです。

 突然の出来事で申し訳ありませんが、

 雨のために着替えが必要だったのです。」

 

家人は、使い古した自転車と大量の荷物を確認した。直後、家人から出た言葉は、思いもよらないものだった。

 

「休んでいきぃな。」

 

拍子抜けするほどの優しい言葉だった。

涙がこぼれそうになった。

怒られるとピンと張り詰めた緊張感が、このひとことで和らいだ。

自転車旅の動機やこれまで訪れた土地の話、これからの旅の予定などを話していると、どうやらこの方は民宿を経営していることがわかった。

民宿「霧島荘」は夫婦で営んでおられ、これからゴールデンウイークにかけて人手が必要になるとのことだった。

宿の主人と奥さんと話をしているとありがたい心をいただくことになった。旅の疲れを癒すのと民宿のお手伝いをすることで約10日間お世話になることになったのだ。

 

この日から霧島荘に滞在することになった生活は、快適そのものだった。宿泊客のない日は、釣りや買い物に出かけたり、温泉に入ったり霧島山トレッキングなどをしてのんびりとして過ごした。

地鶏を潰して丸焼きにして食べさせてもらった。黒豚など鹿児島の味も堪能できた。

まるで我が子のように接していただき体も心も癒される日々となった。

 

 

あの日、あの軒下が目にとまらなければ、あの時間帯に、雨が降らなければ、あの時、家人が帰宅しなければ、このような出会いはなかった。

 

「人間は一生のうちに逢うべき人には、必ず逢える。

 それは一瞬早くもなく、一瞬遅くもなく。」

 

と 森信三氏は言われている。

 

人との出逢いは神様からのギフトだ。

絶妙のタイミングで、今の自分に必要な事柄を持った人様と出合わさせられる。

長い人生の中には、あの日、あの時、あの言葉があなたの人生を大きく変えることがある。

その言葉を、その一言をもう一度、よく思い出してみよう!

きっと、あなたにとってその言葉は核心を突く素晴らしい言葉なのだ。

五感が「ブルッ」とした時に、旅先でもらった言葉は、玉ねぎの皮むきのように、心に響き、心の涙腺を震わすのである。

 

「休んでいきぃな。」

 

どんな人にも安心感を与える優しい言葉だ。

優しさとは寄り添うこと。優しさとは相手を理解しようとする心。

優しいという字を意識して生きていこう。

優しいには、人の横に憂いが立っている。

人の心や人の苦しみ、人の気持ちをわかってあげれる。

そんな人を「優しい」と言う。

またそういう人の事を「優れている」って言うのだ。

 

 

 

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人生は綱渡りと同じ。

立ち止まって、しゃがみ込む時が、

一番バランスを崩して危ない。

 

人生は自転車。

漕ぎ出すと安定する。

安定してから漕ぎ出すのではない。

漕ぎ出したら神様が後ろを支えてくれる。

 

 

 

 

自転車日本一周旅〜人生で大切なことはすべて旅で学んだ〜

 

自転車旅は、約24時間の船旅を終えて、沖縄本島から鹿児島港に戻ってきた。

フェリー船内では、完膚なきまでに、旅の初心者色白くんに敗れ去った。

色白くんと再び遭遇しないように、鹿児島港から指宿方面に向かって海岸線を自転車で走る。

問題の「砂蒸し温泉」に入るためだ。

指宿までの目印は富士山のような開聞岳となる。

薩摩半島の南端に位置する開聞岳は、日本百名山の一つだ。

 

 

山麓の北側半分は陸地に、南側半分は海に面しており、見事な円錐状の山容から薩摩富士と呼ばれている。

その開聞岳の少し手前の町が指宿市になる。

指宿市を超えて、「山川天然砂むし温泉」にやってきた。

普通の温泉は、湯につかるものだが、この地域の温泉は湯の蒸気で温められた砂を全身に盛られるという他では味わえない特異な砂蒸し温泉だ。

 

 

まず、脱衣所で専用の浴衣に着替える。

タオルを持って砂場へ。

砂場は錦江湾に面した絶景ポイントにある。眼前には大海原、そして右奥には雄大な開聞岳が望める。

そこに3人の老婆が待ってた。

老婆たちはスコップを持って慣れた手つきでサクサクと穴を掘る。

そこに浴衣を着たまま、寝転ぶ。

小さなパラソルで日差しを遮断し、タオルは砂が口や鼻に入らないように顔を包み込む。

そこに、ゲゲゲの鬼太郎の「砂かけババー」もしくは八つ墓村に出てくる老女を連想させる白髪頭の専任の砂かけおばさんが、ザクザク熱い砂を全身にくまなくかけてくれる。

ドサッ、ドサッと砂をかける。

顔だけを出す。

あとはスッポリと砂に覆われる。

蒸し風呂状態だ。

湯の温泉とは一味違ったホクホク感がジワジワと体幹の芯に向かって充満してくる。

土踏まずの辺りが熱気を帯びてくる感じ。身体の中の毒素を吐き出し、デトックス効果もバッチリだ。

潮騒のせせらぎをBGMに流れる雲、優雅な開聞岳を眺める。

心身ともにリフレッシュできる贅沢な時間だ。

しばらく時間が経つと顔から滝のように汗が滴り落ちる。

やがて温泉の熱と砂の重みで苦しくなってくる。

この砂むし温泉はいつ終わるのだろうか。

終わりを待つも、待てど待てども砂かけ婆さんたちは、理解できない方言でおしゃべりをしてこちらのことはお構いなしだ。

汗が止まらない。汗が目に入るが拭えない。苦しくなる。あと何分で終わるのか。

声をかけようにも3人は夢中で妖怪怪談をしている。

もう限界。自力で砂を払いどけ脱出。

シャワーで砂を落とし、錦江湾に面した露天温泉につかる。

北海道の洋上に浮かぶ利尻富士のように、開聞岳が美しい。

この開聞岳の向こうに屋久島、そしてその遥か先が沖縄なのだ。

 

 

砂蒸し温泉でリフレッシュした後、イッシーで有名な池田湖を通り、再び鹿児島市方面に向けて北上する。

振り返ると南洋の海と青い空を背景に、平野に佇む開聞岳が美しい。

まるで日本の古き良き風景が広がっている。心が穏やかだ。それは温泉に浸かって身も心も癒されたからだろうか。

日本の象徴である富士山に似た開聞岳の存在なのか。

海岸線を走れば一本道なのだが、来た道と違う内陸部を走る。

回り道をしないと見えない景色がある。

 

 

途中、知覧町に立ち寄る。

この町には、特攻平和観音像と特攻基地跡がある。

ここで俺は、学校では教わらなかった日本の史実を知ることになった。

温泉でホッコリ癒された身体が、硬直し、背筋に戦慄が走った。

 

今から57年前(2002年当時)の話だ。

1945年(昭和20年)3月末、アメリカ軍は沖縄に迫っていた。

アメリカ軍が沖縄海域に集めた戦艦は1500隻以上、兵力はのべ54万8千人。

一方、日本軍の守備隊は8万6千人。

劣勢の日本軍は焦っていた。

もし沖縄が落ちれば、次は本土決戦になる。沖縄はなんとしてでも死守すべき。万が一、沖縄が落ちたら、本当に日本は大変なことになる。本土決戦の準備には時間がいる。時間を稼ぐ必要があったのだ。

そこで編み出された戦法が「特攻」だった。

「特攻」は、爆弾と片道分の燃料を積んだ飛行機に乗って、そのまま敵の戦艦に体当たりして沈める自爆攻撃。

的中すれば小さな飛行機1機で巨大な敵戦艦を沈めることができる。

それは生きて帰ることが許されない非人道的作戦だった。

乗組員は、14歳から20歳前後の青年だった。理由は妻や子供、養う家族がいない未婚の青年が優先されたからだ。

「特攻隊員に志願せよ」と指令が下ると、その場で全員が志願する。

その中から毎回 10名くらいが指名され、宿舎を出発していき、もう二度と帰ることはない。残っ た青年はまた志願して、指名されるのを待つ。

そのような日本のために散っていった青年を弔う「特攻平和観音堂」が知覧にあるのだ。

 

特攻の志願兵を指揮する教官に藤井一中尉という人がいた。

少年飛行兵の教官であった彼の生き様が胸に染みる。

志願した教え子たちが次々に特攻隊として死んでいく。

自分は指揮する立場で安全な場所にいる。

 

「日本が本当に大変なときに、おれは教えるだけで本当にいいのか。」と、藤井中尉は自問自答を繰り返す苦悩の日々。

 

少年兵と違い、藤井中尉には養う家族がいた。

自ら志願すれば、妻や子どもとは永遠にさよならだ。

当然、妻は主人が特攻に志願するのは大反対。

夫の志願を来る日も来る日も思いとどまらせようと懸命だった。

しかし、藤井中尉が悩んだ末に出した答えは、 教え子に対して「お前たちだけを、死なせはしない」という特攻への道だった。

しかし藤井中尉の志願は却下される。家族を養う立場の人間は採用されないのが原則だったからだ。

それでも藤井中尉の決意は変わらず、嘆願書を再提出する。

夫の固い決意を知った妻の福子さんは、

 

「私たちがいたのでは

 後顧の憂い(自分が死んだあとの心配事)となり、

 思う存分の活躍ができないでしょうから、

 一足先に逝って(死んで)待っています」

 

という内容の遺書を残す。

当時3歳間近の長女と、生後4か月の次女に晴着を着せて、知覧基地近くの極寒の荒川へ身を投げたのだ。

妻子の死を知り、藤井中尉(当時 29 歳)は、今度は指を切って、血ぞめの嘆願書を提出。

ついに特攻志願が受理され沖縄に永遠の旅に出る。

藤井中尉の亡き我が子への遺書が残されている。

 

「冷たい12月の風が吹き荒れる日。

 荒川の河原の露と消えた命。

    母と共に殉国の血に燃える父の意志にそって、一足先に父に殉じた、哀れにも悲しい。

 しかも笑っている如く、喜んで、母と共に消え去った幼い命がいとうしい。

 父も近くお前たちの後を追って、逝けることだろう。

 嫌がらずに今度は父の膝に懐で、抱っこして寝んねしようね。

 それまでは泣かずに待っていてね。

 千惠子ちゃんが泣いたらよくおもりしなさい。

 ではしばらく、さよなら。

 父ちゃんは、戦地で立派な手柄を立てて、お土産にして参ります。

 では、一子(かずこ)ちゃんも、千惠子ちゃんもそれまで待っててちょうだい。」

  http://www.chiran-tokkou.jp/learn/pilots/pilots005/index.html

 

そんな思いを遺して藤井中尉は特攻隊の一人として飛び立ち帰らぬ人となった。

 

沖縄に向かう途上、藤井中尉は、富士山のような開聞岳を見て何を想ったんだろうか?

特攻にいかなくてもいい立場なのに、なんのために命を投げ出されたんだろうか?

 

自転車から降りて、南の海のはるか先に想いを馳せる。そこは藤井中尉や特攻隊員たちが見た同じ景色が広がっている。

 

お前はどう生きるんだい?

その命をどう使って、何がしたいんだい?

 

開聞岳から、問われているような気になった。

 

 

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尊い仕事をするために尊い気持ちで仕事をする。

 

「私は素晴らしく尊い仕事をしたいと心から思っている。

でも私がやらなければならないのは、ちっぽけな仕事をも素晴らしくて尊い仕事と同じように立派にやり遂げることなのだ。」

BYヘレン・ケラー

 

素晴らしい仕事とは内容の前に心構え。

「心構え」というのは、どんなに磨いても、毎日ゼロになる能力である。

毎朝、歯を磨くように心構えも毎朝、磨き直さねばならない。

どんな仕事でも尊い気持ちでやる。

その積み重ねが本当に尊い仕事を引き寄せる。

尊い仕事やるために尊い気持ちで仕事をする。

 

 

自転車日本一周旅〜人生で大切なことはすべて旅で学んだ〜

 

自転車日本一周旅は宮古島から沖縄本島へ。本島の那覇港からフェリーを乗り継ぎ、鹿児島まで24時間の船旅となった。

船内は旅行者らしき人たちであふれ返っていた。

観光客、学生旅行団体、沖縄での長期仕事を終え本州に向かう人。

そしてまれに自転車旅行者、また大きなバックパックを背負っている旅人。

おそらくヒッチハイクか徒歩旅行者であろう。

 

 

どんな人たちがいるか人間観察をする。

1年近く自転車放浪のワイルドな自力旅を続けていると旅の初心者を捕まえ旅のノウハウを教えてやりたくなる。

時間潰しに誰か話し相手のターゲットはいないか品定めをしていた。

するといたいた。

格好の標的が、一人船窓横の椅子に腰かけていた。

旅の初心者と判断するのは、持ち物、身につけている衣服の色あせ具合と色の黒さと体つきである。

自転車旅、徒歩旅、ヒッチハイクにしてもワイルドな旅は太陽が照りつける野外で行われ、自己の肉体を駆使して生活が展開されていく。

 

 

目の前に色白学生ふうの貧弱な男が真新しい大きなバックパックを持って座っていた。

暇つぶしに声をかけようとした矢先に向こうから話しかけてきた。

 

「あのう、色が黒くて、太い足ですね。旅人ですか?」

 

「ああ、そうだけど、自転車日本1周の最中よ」

 

Tシャツと短パン姿のぼくは自力旅の先輩として答える。

 

「うわっ、すごい。僕も自転車なんですよ。

 日本1周ではなく、縦断です。

 この先、鹿児島から北海道を目指して走るんです」

 

学生の春休みを利用して一念発起して旅に至ったという色白君は、興奮気味に語る。

 

「自転車旅に至った君の思いは実にアツいね。

 学生はそうでなくては本当はいけない。」

 

ぼくは旅の先輩として色白君の行動を称えながら、少しずつ旅の厳しさや体験を自慢げに話していった。

 

「北海道ってどんなところなんですかね?」

 

色白君はまだ見ぬ最終目的地が気になるらしい。

 

「そうだね。北の大地って感じだね。

 見渡す限り地平線が広がっている場所もある。

 しかし君、そればかりじゃないよ。

 海岸線は海風が半端じゃないし、険しく高い山もある。

 自転車をナメちゃいけないよ。

 自転車の山越えは醍醐味の一つだね。

 世界遺産の知床峠なんて、何時間もかけて登って、

 下りはあっという間だからね」

 

「マジスゴイッすね。ほとんど日本は周られたんですか?」

 

「まあね。」

(おお、もっと聞きたまえ。もっとおれを褒めたまえ)

 

「鹿児島についたらさっそく行きたい場所があるんですよ」

 

色白君は、情報を是非くださいと言わんばかりの勢いで迫ってくる。

 

「ほほぉ、それはどこかね。

 私に答えることができる範囲ならなんでも答えるよ」

(初心者の君には分らないことだらけでしょう。何でも聞きたまえ)

 

「鹿児島についたらまず、いぶすきに行きたいんですよ」

 

「君、い?ぶ?す?き?かね?」

(はてそんなところはあっただろうか)

 

色白君はそこの情報をくださいと懇願している。

 

「是非いぶすきで温泉に入りたいんですよ」

 

「ああ、あそこの温泉ね。

 なかなかいいんじゃないか」

(さっぱりわからないけど、旅の先輩としてここはなんとかしなければならない)

 

「ぜひ砂に埋もれて温ったまりたいのです。

 是非ともどこがいいか教えて下さい」

 

ぼくは色白君の真剣な質問に対して、???マークが頭を駆け巡った。

しかし、なんとか旅の達人としてはこの逆境を切り抜けねばならない。

 

「温泉と砂は関係はないんだよ。

 温泉とは地中から湯が湧き出す現象や湯となっている状態だよ。

 湯に浸かって温まるものだよ。」

 

ぼくは苦し紛れに温泉の基本を話した。

 

「えっ、たしか指宿温泉は砂蒸し温泉といって

 砂に埋まって温ったまる温泉ですよね。」

 

色白君は指宿温泉など旅の定番ですよね、あなたそんなこと知らないのといきなり立場は逆転されてしまった気になる。

 

「そうそう、そうだった。砂の温泉だ。

 あそこは珍しい特異な温泉だったね」

(旅の達人も先輩もあったもんじゃない)

 

 

指宿温泉など知らなかった。

指宿と書いていぶすきと呼ぶのも初めて知った。

自分の無知さを色白君にばれるのが、旅の先輩として許せなかった。だからごまかした。

その後、二人の会話はぎこちなく、かみ合わず、まあ、頑張ってと色白君に声をかけてその場から逃げるように立ち去った。

何事でもそうだけど、慣れというのは怖い。また絶好調の時ほど人は謙虚さを失い、傲慢になる。

 

ナイチンゲールはこんな言葉を残している。

「人間は賞賛をかち得ているときが一番危険なときである」

順調な時ほど謙虚さと感謝の気持ちを忘れないでいきたい。

逆境な時ほど忍耐と勇気を持ち続けたい。

自力旅から学んだ教訓だった。