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地鶏

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自転車日本一周旅〜人生で大切なことはすべて旅で学んだ〜

 

季節は梅雨真っ只中の6月26日。

今日も雨が降りそうな怪しい天候。

ここに留まるか、出発するか、難しい選択である。

こういう迷いの時は動くに限る。ともかく動くのだ。

きっと、いい方向に物事が進むと信じて行動を起こそう。

 

本日は、讃岐国、伊予国の難所である第66番「雲辺寺」と第65番「三角寺」に挑む。

 

 

雲辺寺は、讃岐国の遍路ころがしで900m級の山頂近くに点在する。

カッパを着込んで雨対策を万全にして雲辺寺に臨んだため、シャツや衣類が雨と汗でビショビショになる。

標高を上げていくに従って雨足は強くなり、気温も下がる。

身体が冷えていく。体調がすぐれない状況でこの冷え込みだ。やばい感じがする。

雲辺寺に着き、納経帳に御朱印をいただくと即、次の三角寺へ向かう。

三角寺も400m級の山頂付近にある。きつい上り坂が3kmに渡って続く。

自転車を押してヘロヘロになりながら到着。

この2つの難所を無事に打ち終えた。

後は22の札所を残すのみ。

と同時にこの遍路が終われば、1年3ヶ月に及ぶ自転車日本一周旅の終演を迎える。

 

翌日、第67番「大興寺」から第78番「郷照寺」までの12札所を打つ。

その次の日、第79番「天王寺」から第88番「大窪寺」までの10札所を打ち終え、結願を果たす。

讃岐国は「涅槃の道場」だ。涅槃とは煩悩や不安が消え、悩みや心配事から脱して安楽の境地に達するとの意がある。

 

短いようで長かった、いや長いようであっという間の自転車旅を回想しながらの札所巡りとなった。

思えば1年前の出発当初、頭の中は不安要素で一杯だった。

 

 

 

交通事故に巻き込まれたらどうしよう。

財布や自転車を盗まれたらどうしよう。

強盗に襲われたらどうしよう。

野生動物に遭遇したらどうすればいいの?

体調を崩したらどうしたらいいの?

社会復帰はできるんだろうか?

社会人としてお気軽な旅が許されるのだろうか?

パンクの修理はできるのか、修理屋さんが側にあるのだろうか?

 

起こりそうなことからどうでもいいような悩みまで、頭の中は不安と心配事に支配されていた。

しかし、一歩を踏み出してみると何とかなった。

 

頭の中にある不安と心配事の9割は実際には起こらない。

昔、アメリカの大学で心配事の調査をしたらしい。

その調査の結果、 心配事の90%は、実際には起こらずに済んでいたらしい。

実際に起きてしまうのは、残りの20%らしい。 

しかし、 その20%の8割は、事前準備して対処すれば大事に至ることはない。

賢い準備が明るい未来を作るのだ。

ということは、 20%×8割=16%になる。

実際に起こる心配事は、残りの4%。

100日の内、心配事が発生する可能性がある日数は、たったの4日だ。

ということは、 頭の中にある不安や心配事の96%は、ただの取り越し苦労なのだ。

 

確かにそうかもしれない。

この自転車旅で本当に怖い目に遭遇したのは数えるほどだ。

北海道で大型ダンプカーに引かれそうになって、牧場のようなところに自転車ごとダイブ。着地した場所が運よく牧草地帯だったのでクッションになって難を逃れた。

沖縄県小浜島でサトウキビ収穫中に猛毒ハブに噛まれそうになった。

沖縄県宮古島で数千匹の蚊に刺し殺されそうになった。

 

430日以上旅をし続けていても、難があったと感じた出来事は、3回ほどだ。

たった3回だ。

心配事のほとんどは取り越し苦労に終わるのだ。

大事なのは、今この瞬間を生きることだ。 過去の失敗も引きづらない。 未来の心配もしない。

今、この瞬間を楽しむことだ。

 

しかし、やっかいな出来事は4%の確率で確実にやって来る。

それが旅であり、人生だ。

起こったときは、どうすればいいのか?

4%という超難関高倍率の狭き門をくぐり抜けて、俺のところにわざわざやってきた厄介くんと思えばいいのだ。この4%の実際に起こった問題が、自分を成長させてくれる種になる。

新しい挑戦をすると大変なことが起こるけれど、オレはそれを教材と呼んでいる。

大変なことが起こった時は、自らの心を大きく変えるチャンスが到来したと思えばいいのだ。

もしくは、今までに起きていたことはすべて、自分にとってありがたい現象だと思えばいいのだ。

 

困難が無い人生は、無難な人生。

困難が有る人生は、有難い人生。

困ることは、実は有難いこと。

 

成長の成分表示がもしあったとしたら、96%は取り越し苦労。

4%の実際に起こる心配事が、ピンチのフリしてやってくるのだ。ピンチがチャンスになるのが人生。

ピンチとチャンスはミンチなのだ。

 

ここで自転車日本一周旅の総括と四国88箇所の結願記念に、さすらい人が発見した「夢を叶える三大理論」を発表する。

1年3ヶ月を要した自転車日本一周旅で見つけた「夢を実現するための3つの方法」だ。

 

【夢を叶える三大理論】

①空足元空(くうそくげんくう)理論。

②ホンマカイナー理論。

③はい、わかりました理論。

 

 

①「空足元空理論」は、般若心経の唱え文句のようだが、俺の造語だ。

これは遠い空を見ながら、今日の確かな一歩を踏み出す。

遥か彼方の日本最北端「宗谷岬」を見定めながら、今日の一漕ぎに集中する。

チリも積もれば山となる。

山も分ければチリとなる。

大きな夢も一歩から始まるのだ。

高度な目標に何度も失敗するより、適度な目標を何度も達成する感覚だ。

 

②「ホンマカイナー理論」は、南米のアマゾン先住民族の話。

その地域では代々「雨乞いダンス」が伝承されている。

雨季には大量の雨が降る地域でも、乾季となると水不足に悩まされることは珍しくない。

水不足が深刻化してくると、その民族長は、若い男達に「雨乞いダンス」を踊るよう指示するのだ。

この「雨乞いダンス」を踊ると必ず雨が降るというのだ。

日本の科学者、本間海奈(ホンマカイナ)氏は、その実態を調査するためにアマゾンの現地に赴いた。

そして、調査した結果、驚愕の事実が明らかになった。

彼らがダンスを踊ると本当に雨が降るのだ。

例外なく必ず降る。

さて、この奇跡が起こる理由は何だと思う?

それは、雨が降るまで踊り続けるからだ。

彼らは、雨が降るまで、3日間でも1週間でも踊り続けるのだ。

つまり、慌てず、焦らず、諦めなければ夢は実現するという、ウソみたいなホンマの話だ。

だからホンマカイナー理論。

 

③「はい、わかりました理論」は、人間力を磨けということ。

旅は人との関わりに比例して充実度が満たされる。

いかに人に可愛がってもらえるかが、充実した旅へのポイントになる。

新しい人との出会いは新しい自分との出会いと同じである。

人と関わらない旅は虚しいものだ。その楽しさは半減する。

 

人が事を為すのに必要な力が3つある。

自力と他力と神力の活用だ。

「自力」とは、本人のやる気、元気、根気、本気さ、努力、忍耐など。

どんな人にも4つの木が宿っている。

元気、本気、勇気、根気。

この4つの木を上手に育てていくことだ。

4つの木の栽培は旅が適している。

自力とは、自ら生きよう、成長しようとする生成力だ。

 

「他力」とは、周囲からの援助、支え、励ましだ。

自分を取り巻く環境に感謝すること。

他力とは化育力だ。4つの木は太陽の光と熱の恩恵を受けて育つ。雨降りの日もある。時に突風や台風だったり試練を与える。何も咲かない寒い日は下へ下へと根を伸ばし、人間力を養っている時期と考える。

自力を育もうとする力が、他力であり、化育力だ。

 

「神力」とは、目に見えない大いなる御力だ。

天候や出会いのタイミング。人間心では計り知れない神の領域の力だ。

神力とは、自力と他力を超越した「生成化育発展力」だ。

人事を尽くして天命を待つように、自力を尽くし、他力に感謝し、後は神力にお任せする。

すべては良き方向に進み発展していると自らに言い聞かせるのだ。

この3条件が整った時に人の夢は実現する。

諦めないという土に、念いという種をまき、信じるという水をやる。

希望という芽が伸びて、夢という花が咲く。

 

「はい、わかりました」理論は、自力と他力と神力を意識しながら、「はい」という素直な心と「わかりました」という謙虚な姿勢を実践する。そうすれば夢は叶いやすくなる。

旅先では、貧乏だった。

だから、いかにただ飯を食うか。

人に出会っておごってもらうか。

セコイけれど、お金を使わずに生きる術のような実験をした時期がある。

分かったことは、人に可愛がってもらわなければ、快適な未来はない。

だいたい自分のポジションは人に引き上げてもらって決まることが多い。

だから、遠回りのようだけど人間性を重視して、自分を磨くことだ。

これは旅だけではなく、日常生活でも応用可能だ。

これら「自力」「他力」「神力」の条件を獲得するための根源は、人間力だ。

人としての魅力を磨くことだ。

人間力を磨く方法は、素直な心と謙虚な姿勢だ。

人間力を鍛える方法は、「はい」という素直な心と、「わかりました」という謙虚な姿勢。

 

いつもで自分がやるべきことは簡単だと考えることだ。するとそうなる。

夢は大空に。努力は足元に。

諦めないなら焦ることはいさ。ゆっくり進め。

遅すぎない。早すぎない。ちょうどいいペースで人間力を磨く。

要はデカイこと言ってやらないのは最低。

ハッタリぶっこいてやっちゃえば最強なのだ。

 

 

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感じたことを信じて、信じながら行動する。

人は誰しも才能を持って誕生します。

その才能を開花させるには感じたことを信じることです。

自分を信じることで自信になり、やがて行動につながっていきます。

 

 

自転車日本一周旅〜人生で大切なことはすべて旅で学んだ〜

 

四国88箇所霊場の多くは山深い標高の高い場所に存在する。

「発心の道場」阿波国の代表的な難所は、第21番「太龍寺」、第20番「鶴林寺」、第12番「焼山寺」だ。

 

 

「峠は足つき無し」は名ばかりで、とてもペダルを漕ぎ続けることが出来ない遍路ころがしの急坂にノックアウト。

一歩一歩と荷物を満載した自転車を押して札所を目指す。当然体全体に負担がかかる。足の踵はプックリと水膨れができて心身共に悲鳴を上げる。

極限状態まで心身が追い込まれる。

四国の大自然の前に、ただただ呆然と立ち尽くし、自分の小ささを思い知らされる。

 

 

四国88箇所霊場は、第1番「霊山寺」(徳島県)から時計回りに第88番「大窪寺」(香川県)まで各札所に番号が決められている。この番号の順番通りに札所を巡ることをに「順打ち」と呼ぶ。

この順番の逆で巡ることを「逆打ち」と云われ、順打ちの3倍のご利益や功徳が得られるという。

これはお遍路の開祖である弘法大師(空海)様は、今でも順打ちで各札所を巡っていると信じられている。つまり逆打ちで巡ると必ずどこかで弘法大師様とすれ違う、また出会えるという考えから来ているようだ。

 

俺の場合は一体どうなのだろうか。

 

愛媛県から始めて、今治、松山市内を巡り、宇和島、高知方面に進む。室戸岬を経由して徳島県内の札所を巡る。中途半端な逆打ちのような状態だ。

ランダムに札所を打ち巡り、どうやらこうやら阿波国(徳島県)の23番「薬王寺」から1番「霊山寺」の23札所を打ち終えた。

後は残すところ讃岐国(香川県)23箇所の札所と伊予国(愛媛県)第65番「三角寺」の24札所になった。

舞台はいよいよ最終章に突入する。阿波国から讃岐国へ移行する。

吉野川を上流に向かってペダルを漕げば、香川、愛媛方面に出る。

ここから順打ちで第65番「三角寺」、第66番「雲辺寺」と順々に札所を打つ。そして、第88番「大窪寺」まで巡り、結願を果たす予定だ。

 

弘法大師様に出会うことができるだろうか?

 

 

 

だが、本日も梅雨空。

雨天のためここ3日ほど、吉野川沿いのあずま屋で足止めを食っている。

屋根があるので雨が凌げるが、周囲は自動販売機か、コインランドリーぐらいしかない。

四国にはお遍路さんの文化が根付いているため、コンビニのように国道沿いや遍路道にはコインランドリーが設置してある。

 

これまで旅の洗濯は、キャンプ場に備え付けてある有料の二槽式洗濯機を主に利用。

洗濯槽と脱水槽の二つに分かれた洗濯機に3日分の汚れ切った汗まみれの下着、靴下、衣服類、タオル、寝袋を投入。多めの洗剤で衣類を洗濯槽で洗い、脱水槽に差し替える。また洗濯槽に移してすすぎ、脱水で仕上げる。

不浄なものが清浄なものへと浄化されていく行程がたまらんのだ。

そして大空の下、テント近くの木の枝と自転車を紐で結び、太陽の光と熱と風の力を活用して洗濯物を乾かす解放感。

ビジネスホテルを利用した場合は、洗濯代を浮かすために、ユニットバスに水を入れて、洗剤と洗濯物を投入。足踏みをして絞る。3回繰り返すと濁水は透明になる。思いっきり雑巾絞りをして乾燥気味の部屋内に干すと、一晩でカラカラに乾き上がる。

二槽式洗濯も人力洗濯もけっこう手間がかかる作業だ。

しかしコインランドリーの洗濯機は、ドラム式で超便利。

ドラム式洗濯機に洗濯物を投入すれば、洗い、脱水、すすぎ、乾燥までやってくれる優れものだ。

洗濯から乾燥までノンストップだ。

 

この二槽式洗濯機とドラム型洗濯機は、自力旅と旅行の違いのように感じる。

自力旅は線。

旅行は点だ。

旅行は目的地に到着してそこで楽しむもの。

自力旅は目的地に到着するまでの過程を楽しむもの。

そこに自力旅の面白みがある。

飛行機、車、電車で行くのは旅行。

体力勝負の徒歩旅、自転車旅は自力旅なのである。

例えば、関西から南の楽園「石垣島」にいくとする。

ドラム式洗濯機は半日コースだ。伊丹空港に車を停めて、飛行機に3時間乗れば到着する。

二槽式洗濯機は、自力旅のようだ。1週間かけて自転車で鹿児島へ。24時間の船旅で那覇港へ。さらに24時間で石垣港へ。約10日間コースだ。

 

自力旅の目的は到着ではない。道程である。

汚れ切った衣類たちが、グルグル回るドラム式洗濯機の中で浄化されていく。

じっと見ていると目が回ってしまう。

ぼんやり見ていると、現実もグルグル回ってくる。

定期的な間隔で左右に回るドラム式洗濯機。

右回りに「さっさと行け」と背中を押す自分。

左回りに「もうちょっと留まろうよ」とささやく自分。

 

コインランドリーから野営地に戻る。

気持ちはぐったりしている。

おまけに右足の靴ずれも日増しに腫れ上り痛みも伴ってきた。

憂鬱だ。

やる気がでない。

今、鏡で自分の顔をのぞいたら何とも力のない情けない表情に違いない。

昨夜も国道すぐ横のあずま屋で野宿し、一晩中大型車の騒音と蚊に悩まされ、ほとんど眠ることができなかった。心も身体もぐったりしている。 

その原因は、体調不良もあるが、ここ3日間、人との関わりがないからだろうか。自分は意味なし人間のように思えてくるのだった。

 

 

ある哲人が言った。

 

「人間は相当の苦難に耐える力を持っているが、意味の喪失には耐えられない」

 

天気も不安定、体調も最悪となれば、考え方は自然とネガティブ(消極的)になってしまう。

この旅には意味があるのか。

何のための行動なのか。

そう一人で気持ちも身体も弱っている自分に自問自答を繰り返した。

灰色の雲が右から左に流れ、雨は降ったりやんだりはっきりしない。あいまいな天候が続き、ボクは動かず、じっと様子をうかがっている。天候同様はっきりしない気持ちのまま、時だけが流れる。

 

半日、1日と何もする気はなく、することもなく、ぐるぐるとコインランドリーの洗濯機のように現実が頭の中を回っている。

2日が経過。天候は回復しない。あずま屋からどす黒い雲の流れと雨降りを見守るだけ。

3日目も雨が降っている。3日間、人とも会わず、何もせず、じっと自己を見つめる時間だけが過ぎ去った。

長い時間をかけて自分に問い続けた。

「発心の道場」で本当に長い時間をかけて導き出された答えは、二つだった。

 

答えは後ほど。

 

一つ目のヒント。

あなたはマシュマロ実験はご存知だろうか?

幼年時代の自制心と、将来の社会的成果の関連性を調査した実験だ。

ある調査機関が、4歳の子ども186人に対して実験をした。

机の上には、マシュマロが一個のっている。

実験者は次のことを幼年たちに告げる。

 

「私はちょっと用がある。

 そのマシュマロは君にあげる。

 けど、私が戻ってくるまで15分の間食べるのを我慢してたら、

 マシュマロをもう一つあげる。

 私がいない間にそれを食べたら、二つ目はなしだよ。

 お仕置きはしないから大丈夫だよ。」

 

結果は、最後まで我慢して2個目のマシュマロを手に入れた子どもは、全体の30%ほどだった。

我慢できず食べてしまった幼児は、マシュマロを見つめたり、触ったりする。匂いを嗅いだりする。

我慢できた幼児は、目をそらしたり、後ろを向いたりして、マシュマロから注意をそらそうとした。

 

追跡調査が実施された。

統計的にマシュマロを食べなかったグループは、周囲からより優秀と評価された。

さらに追跡調査が行われ、この傾向は生涯に渡って継続していることが明らかにされた。

 

これがマシュマロ実験の概要だ。

 

人生にはいろいろな障害がある。

大切な人との別れ。

孤独。

体調不良気味。

思い通りにならない事象。

失敗や挫折がどんな人にも訪れる。

その時に、その困難を乗り越えて成長できるのはマシュマロ実験にもあったように「気をそらす」ということが、最もうまくいくようだ。

 

オレは、気をそらすときには、とにかく、身体を動かした。走る、鍛える、歩く、動く。

すると、その瞬間、嫌なことを忘れることができ、目の前の事に集中できた。

悔やむ前に、気をそらす。

人生には失敗、挫折はつきもの。

それでもオレたちは前に進まねばならない。

それには、避けるのではなく、気をそらすのが最適化する。

 

仏教や禅の世界に「知覚動考」という教えがある。

この教えは、知ったことを覚え、動きながら考えていこうと説く。

知ること、覚えること、動くこと、考えることは一つなのだ。

しかし、オレたちは知ったことを行動に移すことは、後回しにして、まずは考えて、考えて、考え込んで悩んで時間が過ぎていたということがある。

知ったと同時に覚えながら、同時に動きながら考えていくこと。

行動し体験することによって初めて気付くことがある。

 

現状を打開するキーワード。

「知る」「覚える」「動く」「考える」

この読み方の中に答えが隠されている。

「ともかく動こう」だ。

「知(とも)覚(かく)動(うご)考(こう)」

雨だろうが、なんだろうが、ともかく動くことだ。

動くと気がそれる。

一つ目の答えは、ともかく動くこと。

 

そして、二つ目の答えは、とてもシンプルなものだった。

「すべてを受け入れよう」

ということだった。

起きる出来事、他との関わりすべてを肯定して、受け入れよう。

自然や人と対峙したってかなわない。

起きる出来事はすべて自分にとって有難い存在なのだ。

 

受け入れて、考えて、動くのだ。

 

孤独の時間を味わい、発心の道場で悟った真理だ。

これは弘法大師様からの贈り物だと思って受け入れよう。

 

 

さぁ、いよいよお遍路も最終章だ。

明日は、讃岐国の難所「雲辺寺」に挑む。

 

 

0860/1000

 

 

本当にやる気になれば、

出来にくい事情は消えていく。

 

どんな人にも4本の木が宿っている。

元気。

本気。

勇気。

根気。

これらをうまく育てていくと、出来ない理由は消えていく。

 

 

自転車日本一周旅〜人生で大切なことはすべて旅で学んだ〜

 

 

高知県は「修行の道場」と云われ、第24番から第39番までの16の札所が点在する。

札所は国道沿いや街中に集中している場所もあるが、その多くは山頂や山の中腹に存在する。

難所と呼ばれる札所に繋がるアスファルト道は大きく2パターンだ。

一つは急勾配を緩和するために道路を螺旋状にし、山の周囲を渦巻き状に回りながら徐々に高度を上げていく螺旋ループ道路。永遠に繰り返されているような錯覚を抱く無限ループ状態だ。

もう一つは、殺人的な急勾配の直線道路。傾斜20%は必至。上り坂というより壁に近い。

第27番札所「神峯寺」は、真っ縦(まったて)と呼ばれる急な山道を登った神峰山の中腹にある。海岸線から標高450mまでの上り坂一本勝負。

「土佐の関所」「遍路ころがし」と恐れられ、高知で一番の屈指の難所として知られている。

最近ほぼ毎日のように上り坂と格闘し、下半身は疲労し切っている。

神峯寺に続く反り立つ壁の前に敗れ去り、積載重量30kgを超える荷物を乗せた自転車を手押しで進む。

まるで水前寺清子の「365歩のマーチ」のようだ。

人生はワンツーパンチのスピリットを持って取り組む一方、一日一歩、三日で三歩、三歩進んで二歩下がる感じだ。

自転車と荷物の重量が腕と下半身を酷使させる。

こういう難所を攻略する秘訣はこうだ。

最初の一歩を踏み出せ。

山全体を見る必要はない。

ただ、ただ最初の一歩を踏み出せばいいのだ。

だがその踏み出す足首、踵に負担がかかり、日増しに腫れているように感じる。

 

 

神峯寺を制した後、室戸岬を逆頂点とするピラミッド形状の快適道路をV字走行。

走る道路は国道55号線。

高知県から室戸岬を経由して徳島県に続く一般国道で、急勾配、急カーブもほとんどない海岸沿いを走る快適なドライブコースだ。

日本地図を眺めると国道55号線は、見事な逆三角形を描いている。

標高450mの神峯寺から一気に国道に戻り、快適ロードを室戸岬方面に進み、途中の第26番「金剛頂寺」、第25番「津照寺」、岬の先端にある第24番札所「最御崎寺」を制覇。

 

 

ここまで巡った札所は、41札所だ。88箇所の約半分になる。

折り返し地点に差し掛かり、ステージは高知県の土佐国から徳島県の阿波国へ移行する。なんとなく結願の目処がついてきた。

俺はこの国道55号線をビクトリーロードを名付けた。

ビクトリーロードはゴーゴーだ。残すところ、徳島県、香川県、愛媛県の一部の札所を巡れば結願を果たすことができる。

たった47の札所を巡るだけで結願だ。

快適ロードを徳島県方面に爆走する。

左手には山深い高知の山々。右手には大海原が広がり、見上げる空は限りなく広がっている。

まさに空海の世界を風を切って走る。

駆け抜けろ。

あの目標の向こうに新しい世界が待っている。

そんな気分で国道55号線を爆進。

 

ついに舞台は高知県から徳島県へ突入。

阿波国は、「発心の道場」だ。発心とは悟りを求めて仏道を踏み行うという意がある。

サーフィンメッカの宍喰町にやってきた。大手海岸で休憩。うまく波に乗るサーファーに目を奪われ大海原を眺めていた。

 

 

地元サーフィン専門店のオーナーが話しかけてきた。

何十年も波に乗り続け、波の事なら何でも分かるという白髪の老人が波乗りの心得について教えてくれた。

「7つ目の波」というものだった。

老人は顎髭をさすり、水平線を見つめながら静かに語り始めた。

 

「海の波を眺めていると7回に1回大きな波が来るんだよ。

 サーファーは大きな波に乗れるかどうかは自分の目で判断する。

 経験を積んで、波を見極めるのだ。

 時にデカイ波が来る。

 しかし、波を怖がっていたら乗ることはできない。

 そして力がなければ乗ろうとしても簡単に打ち砕かれてしまう。

 力を蓄える。

 見極める。

 タイミングを計る。

 そして思いきって波に乗ってみるのだ。」

 

このサーフィンオーナーの話には人生のチャンスをつかむヒントが隠されている。

運の数は誰でも一緒。運も不運も同じ数だけある。誰にも同じように幸運は訪れる。それに気づくか気づかないかの問題だけだ。

自分を知り、自己の力を自分で判断する。そしてチャレンジしてみる。失敗と成功を味わう。

失敗の対極に成功があるのではない。成功に向かうプロセスに失敗というものを経験する。

では成功の反対側にあたるものはなにか。

成功に向かう出発点は何か?

成功の反対は失敗ではない。

何もしないことだ。

「7つ目の波」の話から大切なことが学べた四国遍路の途上。

 

続いて第23番札所「薬王寺」を打つ。

ここにきて札所を「制する」というより「打つ」という表現が適していると感じるようになってきた。

「制する」とは支配的なニュアンスや勝ち組負け組という印象が先行する。しかし「打つ」というのは対象と共鳴しているような感があり、勝った負けたを超越したゲームを楽しんでいる雰囲気がある。

札所を巡ることを「打つ」と云われているのは、昔の札は木や紙や金属などでできており、それらを札所、つまり寺院の柱などに打ち付けて巡拝した証としたことに由来する。自分と札所を一体とする、主客一如ということだ。

 

薬王寺を打った後、すぐ側の廃車となった大型バスを改良して作った善根宿でお世話になった。

善根宿とは、接待所の一つで、お遍路さんを無料で泊めてくれる場所のことである。個人の善意と好意に支えられる非営利目的の無料宿泊施設だ。

そのバス型善根宿の受付は、隣接の橋本食堂となっていた。食堂を経営しているオーナーが無償で宿を提供しているのだ。さらに夕食の接待も受けた。箸入れには次の事が書き記されていた。

 

 

 

―――旅に出て自分の親が旅先で親切にされたり、おいしい食事を頂だいたと帰って話を聞いたりしますと、自分にとってこんなうれしい事はありません。自分たちもそのような気持でお仕事をしたいものです。店主―――

 

いただいた喜びや感謝はお返しする。その実践をしているにすぎない。だれもがそのような気持ちでお仕事ができたら幸せですね。私からちょっと始めてみました。

そのような声が配膳された料理から聞こえてきた。

 

 

配膳された料理を前にして俺は、座席を取り外されたバス車内で考えさせられた。

自力遍路は自己を見つめる行為といえる。徒歩、自転車など自分の体を使って行うお遍路さんのことを自力遍路という。

圧倒的に体力を使っている時間は、同時に自問自答する時間でもある。

人と接して自分を知る。

自然に圧倒されて自分を知る。

孤独を味わって自分を知る。

四国遍路を含む、自力旅にはそういう要素が備え付けられている。

さも当然の如く、さらりとバス車内に夕食が届いた時、これは恩返しをしなければと強く心が打たれた。

橋本食堂さんのおもてなしの心をいただいた時、受けた恩はどこかでお恩返ししなければならない、と思った。

ここまで自転車日本一周旅を続けてきて、本当に数え切れない人々の心をもらった。

受けた恩を全ての人にお返しするのは難しい。しかし受けた恩を別の人に送り伝えていくことはできる。これから関わる人々に恩送りをしていけば、巡り巡ってそれは恩返しにつながる。

「恩送り」という言葉は聞き慣れないが、旅の途上、これまで自分がしてもらって嬉しかったこと、ありがたかったこと、しんどいときに助けてもらったこと、恩恵の大小に関わらず、その時の感激を心に刻んで、感謝の心を忘れず、今度は自分が誰かのためにお返しをする。

それが「恩送り」だ。

恩を下さった人以上に次の世代に送り伝えていくことが大切なのだろう。

10年後、20年後に何が出来るか、今は分からない。

 

でもきっといつか、人と社会に喜びを与えられる存在になると誓った善根宿の夜だった。

死後、自分の名前を後世に残すのはお墓ではなく、生前の行為の記録なのだから。